鈴木智之

かつては小説を書いていたが、小説家ではない。今は詩を書いているらしいが、詩人でもない。

鈴木智之

かつては小説を書いていたが、小説家ではない。今は詩を書いているらしいが、詩人でもない。

記事一覧

水族館

わたしに似ている魚を探しに 夜の水族館へ出かけた どの魚もわたしに似てはいなかったが 魚たちの影はどれもわたしの影と同じだ 夜 消灯の時間はとうに過ぎ 水槽の明…

鈴木智之
1か月前
11

牧羊犬の夢 

鐘が鳴る 丘の上に連なる羊たちは 頭を上げず 草を食んでいる 私は待つ 午後 彼らの影は長い 夏が終わる 代赭色に覆われた季節が来る 羊たちはそんなに貧弱な巻き…

鈴木智之
1か月前
9

音楽室

流氷に仮設された音楽室の中で 斜めに傾いだ鍵盤を押す ふたつ みっつ はりめぐらされてゆく音程の差分が よそよそしい等高線になる よっつ いつつ 灰色から水色に…

鈴木智之
1か月前
6

「きみの上には花ばかり」のためのノート

この短編を書いたのは2011年で、活字になった三番目の(そして最後の)小説である。最初のタイトルは『オッフェルトリウム』で、地方自治体が主催する文学賞を受賞し、僕…

鈴木智之
1か月前
4

きみの上には花ばかり(後編)

――書店でアルバイトをするのが、性に合っているのだと、信じこんでいたんです。馬鹿ですね。その娘はため息をそっと吐き出すような声で笑った。本屋に勤めれば、毎日本を…

鈴木智之
1か月前
7

夜 私のつまさきは なだらかな半音階の稜線をなぞる 雨が踝を流れる 私は裸足だ 足指の爪は黒い 陽に焼かれた印画紙のように いんがし と声に出してみる その言葉…

鈴木智之
1か月前
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きみの上には花ばかり(前編)

 三か月の休職の後、男が最初に始めたのは写真を撮ることだった。  家電量販店で買った一番安いデジタルカメラは、すぐ手のひらに馴染み、それ自体がかすかなぬくもりを…

鈴木智之
6年前
21
水族館

水族館

わたしに似ている魚を探しに 夜の水族館へ出かけた どの魚もわたしに似てはいなかったが 魚たちの影はどれもわたしの影と同じだ 夜 消灯の時間はとうに過ぎ 水槽の明かりだけが足元を照らし 魚の影は床を走り回り 小さな脚注のように わたしの影にまとわりつく わたしのつまさきが波紋の影をひろげる それが本当ならば とわたしは呟き 声が途切れる それが本当ならば いや 本当ではない ここは水族館ではない 七

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牧羊犬の夢 

牧羊犬の夢 

鐘が鳴る 丘の上に連なる羊たちは 頭を上げず 草を食んでいる 私は待つ 午後 彼らの影は長い 夏が終わる 代赭色に覆われた季節が来る 羊たちはそんなに貧弱な巻き毛で 冷風から身を守るつもりなのか 鐘が鳴る 私の吐く息はすでに白い 雪のひとひらが足元に落ちる 季節に季節が重なる 私は待つ もう 鳴き声は 聞こえない 彼らが食む草はとうに枯れた 羊たちは凍え 一頭 また一頭 倒れていく 一声も鳴かず 

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音楽室

音楽室

流氷に仮設された音楽室の中で 斜めに傾いだ鍵盤を押す ふたつ みっつ はりめぐらされてゆく音程の差分が よそよそしい等高線になる よっつ いつつ 灰色から水色にいたる 淡彩に塗り分けられた深度は 暗い藍色を夢見る 五線譜のぬくもりを懐かしむ余力は 私にはない グランドピアノの屋根が開き 黒い帆が掲げられる 楽譜は譜面台とともに吹き払われ 鍵盤は冷たく 指は音楽を奏でる前に凍える 対位旋律は崩れ 楽

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「きみの上には花ばかり」のためのノート

「きみの上には花ばかり」のためのノート

この短編を書いたのは2011年で、活字になった三番目の(そして最後の)小説である。最初のタイトルは『オッフェルトリウム』で、地方自治体が主催する文学賞を受賞し、僕にしては大きな額の賞金を貰った。それが今のところ唯一の賞歴だが、三人の選考委員による評価は総じて否定的で、うち一人からは完全な失敗作だと断言されたほどである。僕としても特に異論はなく、それ以前に書き上げた二つの長編小説と比べて優れた点

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きみの上には花ばかり(後編)

きみの上には花ばかり(後編)

――書店でアルバイトをするのが、性に合っているのだと、信じこんでいたんです。馬鹿ですね。その娘はため息をそっと吐き出すような声で笑った。本屋に勤めれば、毎日本を読んで暮らせるとでも思っていたのか、そう自分に訊いてみたいくらいです。もちろん、そんな夢を見ていたわけではありません。でも他の仕事に比べたら、まだましかもしれない、と期待してはいました。まし、というのは、仕事ではなく、この私のことです。もう

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夜

夜 私のつまさきは なだらかな半音階の稜線をなぞる 雨が踝を流れる 私は裸足だ 足指の爪は黒い 陽に焼かれた印画紙のように いんがし と声に出してみる その言葉をどこで覚えたか 思い出せない 私の黒い爪 私の穢れた足跡 私という印画紙に残された ただ忘れてゆくための焦げ痕 その黒い痕を ひとさし指で なぞり 私は倒れ 眠る なぜ 眠りに落ちる というのだろう 私は 眠りに浮かぶ 背中を 黒い水が流

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きみの上には花ばかり(前編)

きみの上には花ばかり(前編)

 三か月の休職の後、男が最初に始めたのは写真を撮ることだった。
 家電量販店で買った一番安いデジタルカメラは、すぐ手のひらに馴染み、それ自体がかすかなぬくもりを持っているようだった。背広のポケットに入れると、子供の頃、ハムスターをレインコートに隠して小学校に連れていったことを思い出した。
 三か月前、職場のメーラーにたまっていく一方のメールをただ茫然として見下ろすことしかできなくなった時、男には昨

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