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音楽室

流氷に仮設された音楽室の中で 斜めに傾いだ鍵盤を押す ふたつ みっつ はりめぐらされてゆく音程の差分が よそよそしい等高線になる よっつ いつつ 灰色から水色にいたる 淡彩に塗り分けられた深度は 暗い藍色を夢見る 五線譜のぬくもりを懐かしむ余力は 私にはない グランドピアノの屋根が開き 黒い帆が掲げられる 楽譜は譜面台とともに吹き払われ 鍵盤は冷たく 指は音楽を奏でる前に凍える 対位旋律は崩れ 楽節の隘路にとどこおり ただ左手に許された三和音の記憶だけが 時間をかろうじてせきとめる ダンパーペダルを ソステヌートペダルを 私は懸命に踏みしめなければならない 減衰する現在を 力の限りおしとどめなければならない 無駄だと知りながら そう 私の努力はむなしい 音楽室は流氷とともに沈んでいく ピアノと私を道連れに 残響もなく沈む 開け放たれた窓から 灰色の奔流がなだれこみ 水色に変わる 指先の冷たさが 点滴のように全身に広がる 私は 回りながら下降する その奥に待ち受ける 暗い藍色を 凍結したつまさきで探りながら

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