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きみの上には花ばかり(前編)

 三か月の休職の後、男が最初に始めたのは写真を撮ることだった。
 家電量販店で買った一番安いデジタルカメラは、すぐ手のひらに馴染み、それ自体がかすかなぬくもりを持っているようだった。背広のポケットに入れると、子供の頃、ハムスターをレインコートに隠して小学校に連れていったことを思い出した。
 三か月前、職場のメーラーにたまっていく一方のメールをただ茫然として見下ろすことしかできなくなった時、男には昨日起こった出来事と一昨日に起こった出来事の区別がつかなくなっていた。半年以上前の出来事は幼少時のあるかなしかの記憶と混じり合ってしまい、この五年十年の間、自分の身に何がどういう順序で降りかかり、それをどうこなしてきたのかも思い出せなかった。妹の結婚式があったのはいつだったか、父親が亡くなったのは母方の祖父の亡くなったのよりも前だったか後だったか、判然としなかった。
与えられた三カ月間の無給の休職期間を、男はただ眠ることだけに費やした。
 眠り、起きると枕元に買いためて置いてあった食パンを何枚か齧り、心療内科医が二週間に一度処方する睡眠薬と抗鬱剤と精神安定剤を飲み、また眠る、その繰り返しだった。休み始めて何日が経ったのか覚えていなかった。時間を刻むのは時計でも太陽でもなかった。八十五キログラムあった男の身体から分厚い脂肪の層が少しずつ削ぎ落とされ、あばら骨と肩甲骨と背骨が少しずつ浮き出てくる過程だけが、時が経っていることを教える唯一の尺度たった。砂漠の砂が風でとり払われ、中から恐竜の化石が次第に姿を現すように、男の肉体の考古学的痕跡が剥き出しになり、二十年以上前の痩せた体躯が再現されていくのを鏡で眺めながら、なるほど、心よりも先に身体が時間を取り戻すわけだ、と男は思った。そしてまた眠った。
 そういう生活を二か月間送って、ある秋の朝、目が覚めた時、依然として過去とも未来とも切り離された現在の小島に佇んでいたが、いつもと違う何かが喉の奥に引っかかっていることに気づいた。その何かを無理やり吐き出そうとして胸に力をこめ、すると栓が抜けたように、嗚咽の塊がずるりと引っぱり出された。声をあげて、誰もいない部屋の中で泣きじゃくりながら、男は、おやおや、と思い、どこかほっとしている自分に気づいた。これほどの孤独、これほどの寂しさ。だがこの孤独は、寂しさは、奇妙に懐かしかった。これまでほとんど無痛だった自分の、恢復期への最初の一歩だと受けとめてもいいような気がした。事実、その日を境にして、男はわずかずつ恢復への坂を這い上がっていった。
 職場に復帰したら日記を書き始めるつもりだった。三か月の間に理解したことといえば、自分がいわば砂時計の細いくびれの部分であり、そこをめがけて時間の砂が未来の闇からどっと殺到し、猛スピードで現在をくぐり抜け、名づけることのできない闇の中へと再び四散してしまうことだけだ。自分の中を通過していくその砂粒の、せめて一つでも、小さな網ですくい上げてみたかった。買っておいたモレスキンの無地の手帳を広げた。だが文字はどうしてもボールペンの先から生まれてこようとしない。職場で上司が自分にかけた何気ない一言も、昼休みに売店で食べた菓子パンの味も、満員電車でふと嗅いだ香水の匂いも、帰宅して書きとめようとすると、イメージはたちまち砕け散り、二度と固まらなかった。何度も書きあぐねたあげくに音をあげ、どれほど追いつめられても変わろうとしない自分の頑固な横着さに閉口した時、手帳のかわりにポケットに収まっていたのは、そのカメラだった。

 手ぶれを補正し、接写だろうと望遠だろうと、曇天だろうと夜だろうと、あらゆるモードに即座に切り替わってくれる無邪気な機械は、男を少し温かい気分にさせた。通勤の途中にも休日の散歩にも、飼い犬を連れていくように持ち歩き、カメラが関心を向けた場所で立ち止まり、カメラが行きたいとねだる方角に引きずられ、好きな時に好きなようにさせておく。シャッターを一度押すたびに、小さな砂粒が一つだけすくいあげられる。それで満足だと思った。
 だがそうして一日の記録を撮り、家に帰ってパソコンに画像をダウンロードし、二か月分ほどフォルダにたまった写真をあらためて眺めてみると、被写体のほとんどは空だった。空、雲、さもなければ冬の街路樹の細くもつれ合った枝のシルエット、運河の水面に映った月、職場の前の植え込みの葉に下りた白い霜。うんと遠くを撮るか、さもなければうんと近寄って撮るかのどちらかだった。自分が写真の構図をどこまでも抽象的に構成しようとしていること、余白のように何もない空間を好んでいること、人の生活を写すことを極力避けていることに気づいた。自分の部屋を写す時は、スクリーンのような無地のカーテンだけを写していた。賢いカメラは男が撮ったどんな無造作なショットもそれなりに美しく見せてくれたが、裏を返せば、それは男がそれなりに美しく見えるような風景をしか切り取ることができなくなってしまった事実をさらけ出していた。
 ごたごたした街中にいる時には、まるで失語症にかかったように、シャッターを押すことができなかった。雑踏の中にいることは男にとってはむしろ心地よかったが、カメラの方は、無数の人いきれに包まれた街をそしらぬ顔で素通りしようとするらしかった。男は不安を感じるようになった。本来写るべきものが写っていない。ぶつからなければならならないもの、すれ違わなければならないものを、それと知らずに、通り抜けている。街が透明になったか、それとも男が透明になったか、どちらなのか。どちらにしたところで、何ものにも衝突できない人間に写真を撮ることができるわけはない。これは存外、病の根が深いな、と男は思った。
 そんなことに気をとられていたせいか、自分がまさか被写体の側に回るとは夢にも思っていなかった。
 二月の半ば、男が一番気を滅入らせる夕暮れの時刻だった。気がつくと神保町の古本屋街から脇道に入り、閑散とした裏通りをぐずぐずとあてもなく歩いていた。歯をくいしばる、というようなものではない。なるようになれと開き直ったような、それでもどこか身構えるような、中腰の姿勢のまま、やがて寄せてくる波を、一つ、また一つ、よろめきながらやりすごす。反射的にコートのポケットに手がいき、指先がカメラを探しあてるのを待つために立ち止まった。カメラを収めたソフトケースの感触は、だがそこにはなかった。さっきの喫茶店か。電車の中か。電車の中なら見つかりはしないだろう。男は狼狽し、来た道を振り返った。そして自分に向けられたレンズの視線に、いきなり射すくめられた。
 男が持っているのとよく似た、小さなデジタルカメラだった。その裏の液晶画面に映し出された男は、殺気立った顔つきをしていたに違いない。頬に平手打ちをうけたような顔つきになったのは、むしろ女の方だった。カメラから顔を離し、驚きに大きく見開いた目で見つめ返してきた。自分の顔に浮かぶ感情を抑えつけておくだけの経験もなく、合わせてしまった視線をさりげなくそらす方法も知らない、若い女だった。背中を盗み撮りされた怒りはあるかなしかのうちに消え、悪いことをした、すぐに踵を返して通り過ぎてしまうのが思いやりだった、そんな後ろめたさを感じた。だが、失くしたものを探すには来た道を戻らなければならない。カメラが心配で、時間が惜しかった。
 話しかけるつもりもなく気にしてもいないことを示すために、コートのポケットから出した片手を軽くあげて会釈し、そのまま目を伏せて女の横を通り過ぎ、すれ違って三、四歩進んだところで、ちょっと、と呼びとめられた。振り返ろうとした男の耳に、今度はシャッター音がはっきりと聞こえた。
 女は男を睨みつけていた。平手打ちをくらわせておいて逃げる気か。本当なら男が言ってもいいはずの台詞を、その女の目がこちらに投げかけていた。自分が怯えていることに男は気づいた。その怯えが相手に伝わったこともわかった。やがて女の口元に、無理に作った微笑が灯っていくのを、声をかけかねたまま黙って見守った。女は緑色のコートの左ポケットに自分のカメラをしまい、かわりに右のポケットから男のカメラを取り出すと、無造作に突き出した。
――忘れ物。渡そうと……
 語尾は白い吐息の中に溶け崩れていき、曖昧に開いたままの唇だけが後に残った。
 語尾を預けられた男は、頭を下げてカメラを受け取り、とっさの礼を口走りながら、もう途方に暮れていた。誰であれ他人の存在を、その吐息を、これほど間近に感じるのは、復職して以来初めてだった。男が歩き始めると、若い女もあたりまえのように男の横に立って歩いた。自然に速足になった。ひび割れた舗道へつま先を擦る具合に歩きながら、短く切った女の髪先を二の腕に感じ、柑橘系の香水の匂いを嗅いだ。休職する直前の頃、恐れていたのは他人といる時にふと生まれる沈黙だったのに、復職してからは、沈黙を破る最初の言葉をもっと恐れるようになった。髪の感触と香水の匂いが、今、その言葉として男に語りかけてくるようだ。女からさりげなく身体を離しながら、横顔を盗み見た。まっすぐ前の、どこか遠い一点を、何かを決意しているように、あるいはあきらめようと努力しているように、見つめていた。ブーツのかかとが荒々しく鳴った。
 さっき喫茶店で飲んだばかりのコーヒーが胃に重かったが、チェーンのカフェを見つけると、逃げこむように扉を押した。すると誘うつもりでもなかったのに、扉を開けかけた男の腕の下を、その向こうの細い隙間へ、女は猫のようにくぐり抜けて入っていった。

 後になってその時のことを思い出そうとするたびに、しきりに男の記憶にまとわりついてくるのは、輪郭のくっきりした白い三日月のイメージだった。なるほど、相手の視線を避けて手元ばかりを見ていたというわけだ。男は合点し、むしろ苦笑したい気分だった。四十も半ばにたどり着いた中年男が、ちょうど半分くらいの年になるかならないかの娘を前に、叱られてうなだれる子供のように、ただ相手の手元を、その指先を、見つめている。女の爪は仄暗い灰色に塗られ、その先はより白に近い灰色に縁どられている。
その場では開き直っていたつもりだった。こちらが関わりを断とうとしても、関わりの方がこちらを断ってくれないことはとうの昔に知っていた。それならいっそ、関わりに向かって扉を開け放し、男の中を覗きたいだけ覗かせ、それが空っぽの部屋であることを確かめさせた上で、早々にお帰りいただくのが得策というものだ。そういう気分になっていた。最初に話しかけたのも男の方だった。席に着いた女が傍らに置いたコートのポケットから自分のカメラと布製のカメラケースとを取り出し、男の目の前でカメラをケースにしまいこむ、ただそれだけの仕草が、危なっかしいほどぎこちないのを見かねて、つい口を開いていた。黒い布製のケースに、大きさも字体も不揃いな赤いアルファベットの縫いとりが施されているのを指さし、何と書いてあるのか訊いたのだった。
 女は問いに答えるかわりに、カメラを入れたケースを、縫いとりのある側を下にして、トランプの札を伏せるようにテーブルに置き、眉をしかめた。恥ずかしい、と、あてつけのように呟いた。そのカメラのメモリーカードに収められた写真のうちの、少なくとも二枚には、男の背中が写っているはずだ。そう思うと、自分の分身を人質にとられた気がしなくもなかった。
男の視線が、手元のカメラから緑のコートの横に置かれた、帆布製のバッグ――トートバッグと呼ぶには大きすぎ、美大生がカンヴァスを持ち歩くためのバッグにしては小さすぎる――に移ったことに気づくと、女はバッグを手繰り寄せて膝に乗せ、中から石板じみた重い書物を引き抜くように持ち上げ、自分の顔の下半分を覆い隠す高さまで掲げた。上半分だけになった女の顔の、二つの目が男の視線を避けるようにそっぽを向いた。わざわざ口を開いて教えてやるまでもないといった態度だった。
 だが表紙に書かれたHammershøiという画家の名前を男は知らなかったし、覚えられる自信もなかった。白い部屋に立った黒衣の女の後姿と、窓から差しこむ陽射しの絵、その寒々とした静謐さを一瞥しただけで、男もまた目をそむけた。休職してからは、本を読むのも音楽を聞くのも、絵や映画を見るのも、同じように苦痛だった。すると男の歪んだ顔を見るのを楽しむように、相手は冷笑を浮かべた。
――絵を見るのは、好きなんです。写真もです。本棚は画集とか写真集とか、展覧会のカタログで埋まっています。絵はただ見て感心するだけで、自分ではこんなマニキュアを塗るのも難儀しますけれど、写真は見るより撮る方が好きなんです。たまたま今日持っているのはこんな子ですが、普段はマニュアルカメラを首から下げていたりします。卒業展まで一か月を切ってしまったので…… 重くていつも前屈みです。
 女はどこか侮蔑したような笑みを口元に残したまま口をつぐんだが、その視線が目の前に置かれた紙コップのカフェオレに落ちた途端、思案に沈む具合に表情は消え、白い三日月のついた指先が時間稼ぎにプラスティックのスプーンをつまみあげ、表面をかき回し始めるのを、黙って見下ろす様子だった。しばらくして、そこに映った自分の顔から宣託を読みとったように、女はふと告げた。
――これから私の話すことを、あなたは聴きません。
 はあ、と男は馬鹿のようにうなずき、思わず吹き出しそうになったが、女はあくまで真面目な目つきだった。私の言うことを、お聴きにならないんです、いいですか、早口でそう念を押した。いったんまとまりかけた商談に水が差されないうちに、慌てて打ち合わせを切り上げてしまう話しぶりだった。それから女は語り出した。

 女が写真家のAと知り合ったのは、Aがたまたま同じ大学の写真部のOBだったからで、大学の近くの画廊で開かれることになっていた個展の、準備作業と称する短期のアルバイトに応募した写真部の十八人の中に、女も入っていた。そこそこ名の売れた写真家だっただけに学外からの応募者も多く、声がかかることは最初からあきらめていたが、簡単な面談の後、採用されたのは女一人だけだった。何かが奇妙だとはその時から感じていた。募集の際の話では、撮影はまだ三分の一ほどが残っており、女にはそのロケのための旅券や宿泊の手配の作業が割り当てられるはずだったのに、最初の打ち合わせで確認してみると、出展のための写真はほとんど出来上がっているばかりか、そもそもロケに関する手配はAの事務所がいっさいをとり仕切ることになっていて、女が実際にする作業には画廊への写真の搬入と掲示だけ、多く見積もっても展示会直前の二日間があれば足りる仕事だった。
 画廊の二階の応接室で初回の打ち合わせをすることになり、そこに来るのも事務所の裏方だと連絡されていたのが、実際に来たのはA本人だった。そのAの口から前置きもなく告げられたのは、これから十月と十一月の二か月の間、一週間に二度、直接A一人とだけ打ち合わせを行うという追加のアルバイトの申し出で、それだけのために別に破格な報酬が提示された時、なるほど、やっぱりそうか、と女は思った。即座に断ろうとすると、さえぎるようにAは微笑んだ。目尻に皺が寄り、痩せこけた眉間の険しい芸術家が人懐こい親父に変わった。
 騙し討ちのようにして悪かったが、お察しのとおり、展示会の準備とは別にお願いしたい仕事がある。危険な目に合わせたり、不快な思いをさせたりすることはない。おそらく今きみが想像しているであろうことも一切ない。これはあくまで写真の仕事であり、それ以上でも以下でもない。要するに、僕はある女性写真家のインスタレーションに共鳴したところで、きみにはその真似ごとに協力してほしい、というだけの話だ。ソフィ・カルという名前を知っているかい?
 Aの提案は、つまりこういうことだった。打ち合わせが終わった後、女はAを盗み撮りしなければならない。いつ、どこで、何をしている時に自分が撮られるのか、Aが決して気づくことのないうちに撮らなければならない。撮るチャンスは、合計十六回にわたる打ち合わせの後のうち、ただ一回だけだ。どの回にするかは女が勝手に決めていいが、Aに知らせてはいけない。もし成功したなら、個展の初日、出来上がった写真を直接Aに手渡し、そこで追加の報酬を受けとることができる。ただし、もし女が尾けている途中でAに見つかってしまったなら、その時点で仕事は終わり、対価が支払われることはない。
 女は応じることにした。この申し出が回りくどい誘惑なのか、Aが言うところの一種のインスタレーションの試みなのかはわからなかったが、いずれにしても好奇心をそそる提案には違いないし、何よりもプロの写真家と二人だけで打ち合わせができる魅力には抗えなかった。追うのがAではなく女である以上、危険も大きくはないように思えた。もしただの誘惑だったとわかったとして、応じるかどうかは自分自身が決めればいい。
 女がうなずくのを見届けると、Aは、打ち合わせの場所と決めてあるその画廊から、地下鉄を二度乗り継いだ先にあるホテルの最寄り駅までの道のりを示して言った。打ち合わせのたびに、僕はこのホテルに宿泊する。この道のりを全部つきあってもらう必要はない。写真が撮れたら、その場で引き返していい。さっさとやりとげてしまえば、きみにとっては割のいい仕事ということになる。もっとも僕は初回から警戒していますがね。いいですか、僕はこの実験をこれまで四人の方にお願いしてきた。誰も成功しなかった。幸運を祈りますよ。
 打ち合わせは口実に過ぎなかった。毎週火曜と金曜の午後六時に画廊を訪れるAは、自分より一回り若い娘を、女としてはもちろん人間としても見ていないことがすぐわかった。いつも憔悴しきっていて、どこかうわの空で、短く刈り込んだ髪と同じくらいの長さの無精髭が、実年齢よりずっと老けて見せていた。最初に出会った時に見せた人好きのする笑顔は二度と表さず、毎回十分ほどの会合の間、黙りこんだAの目のどこにも女は映っていなかった。疲れきっているのか、さもなければ麻薬の常習者か、と女は考え、これまで撮りためてきた作品を相手に見てもらう余地はないと悟って、落胆した。こんなていたらくで、警戒とは笑わせる、と思った。
 十月の最終週の金曜日、そろそろ契約の破棄を申し出ようと考え始めた矢先だった。
 打ち合わせが終わった後、画廊の向かいにあるカフェでコーヒーを飲んで、地下鉄の駅の入口のすぐ脇にある二階建ての本屋に入ると、Aがいた。声をかけようとして、凍りついた。Aは女に気づいていなかった。ポケットにカメラは入っていなかったが、カメラ機能付きの携帯電話はあった。後ろに回りこんで、文庫本のコーナーの前に茫然と立ち尽くした背中を撮った。あまりにもあっけなかった。この安直な一枚とひきかえに高額の報酬を受けとろうとしている自分を侘しく感じたほどだ。写真は撮り終えてしまったというのに、まだ一か月残っている契約期間中は、あのいたたまれない「打ち合わせ」をやり過ごさなければならない。自分が付き合わされている仕事の馬鹿馬鹿しさを思い知った。かといって、今、Aの背中を叩き、これまで四人全員が失敗したなんて、嘘ばっかり、と笑い話にするのも、相手を侮辱したふるまいに思えた。仕方なく、写真を撮った後も、女はAの後をしばらく尾けて歩いた。
 Aはホテルの最寄り駅の一つ手前で降り、そこからホテルまでの道を歩いていった。女は胸の高鳴りも感じず、秘密めかした遊びをしている気分にもならず、まるで犬が自分の縄張りを徘徊するように、ただ義務感に似た気持ちに動かされるままに、Aの少し後からつき従って歩いた。Aはコンビニエンスストアに寄って週刊誌と温かい缶コーヒーを買い、そのコーヒーを啜りながら歩き続けた。時々口笛を吹いた。気ままに吹き鳴らすのではなく、子供が一生懸命リコーダーを練習するように、繰り返し同じフレーズを、音程を確かめ、確かめ、吹いていた。横断歩道の前で立ち止まって煙草を取り出し、信号機の支柱に背をもたせかけながら吸った。女は手ぶれも露光も気にせずに、気の向いた時にシャッターボタンを押した。そしてAを見つけてから二時間後、ホテルのロビーに被写体が消えていくのを見届けた時、疲労感とも満足感とも区別のつかない、だがそう悪い気分ではない感情に浸されていた。
 個展の初日、十二枚の写真を手渡された時、男は驚くというより面白がっている口調で訊いた。僕なの? 正真正銘、僕? 人違いじゃないの?
―—本物のAさんですよ。今、私の目の前にいらっしゃるのがAさんなのでしたら。
――いつ? 気づかなかったなあ。もしかして、最初にお会いした時?
――違います。気づかないはずですよ、あんなに隙だらけで。正面からも一枚、撮って差し上げました。
 男は目を細め、生まれたばかりの息子でも眺めるように写真を眺め、あはは、馬鹿面してらあ、と笑った。ほら、本当に馬鹿みたいだ。それから急に真顔になって女を見つめると言った。
――ありがとう。お手数をおかけしました。
 女はどぎまぎして、いいえ、拙い写真で、と言い、Aから指示されるがままに受付に向かうと、怪訝そうな顔をしている事務員から報酬の入った封筒を受けとった。振り返ると、Aは照明に透かすように頭上に写真を掲げながら、片目をつむり、もう片方の目で一心に見入っていた。それがAを見た最後だった。

 それから一年が経ち、Aが自殺したことを、私はAの事務所からの手紙で知らされました。手紙には一枚の写真が同封されていました。Aは遺書の中で、その写真を私に送るよう、指示していたというのです。
 私は写真を見た瞬間、しばらく動けなくなってしまいました。
 人気のない深夜の駅のホームの隅のベンチに腰を下ろし、両手で顔を覆った一人の女の人を、真正面から望遠でとらえた写真でした。見たところ、その女の人はすっかり打ちひしがれている様子でした。顔は覆っていても、嗚咽を覆い隠すことはできず、手首を伝って流れ落ちる涙の跡まで、レンズは容赦なく暴き立てていました。それでも、その人は二つの手で、頑なに顔を塞ぎ続けていました。指の一本一本を顔に食いこませるように、そうやって顔そのものを剥ぎとろうとでもしているように、爪を額に突き立てていました。ちょうど今しているのと同じ、フレンチネイルの爪をです。
 ええ、その女の人は、間違いなく私でした。私はベンチに座って泣いていたその夜のことを、今でもよく覚えているのです。お話しするわけにはいきませんが、決定的なことが起こった夜でした。その夜を境に一生引きずっていくであろう傷を、覚悟しなければなりませんでした。
 いったいAがどうやってその写真を撮ることができたのか、いまだにわかりません。永久にわからないでしょう。写真が撮られたのは、Aが自殺する三か月ほど前でした。Aは私のことをずっと尾行し続けていたのでしょうか、それともその夜まったく偶然に私を見つけたのでしょうか、今となっては確かめることもできません。
 最初はもちろん、薄気味悪く思いました。今でもいい気分じゃありません。ただ、その一年前にあの奇妙なアルバイトを私に持ちかけた時、Aが本当は何を手に入れようとしていたのか、私に何をさせようとしていたのか、理解できた気はしています。
 今思えば、Aはひどく寂しがっていたのです。同時に、その寂しさを誰かと一緒に分かち合うことを、必死になって拒絶してもいたのです。自分の孤独を意固地になって守りながら、自分を孤独から救いだしてほしいと祈っていたのです。そんな矛盾した人間を救えるのは、神様しかいないでしょう。でも、自殺してしまったところを見ると、Aは神様など信じていませんでした。神様のかわりにAが求めていたのは、たぶん、一つの眼差しでした。どこかでずっと自分を見守ってくれている眼差し、触れることも触れられることもないけれど確かにそこにあり、ただ黙って自分の寂しさを見届けてくれる、そんな眼差しです。
 触れることも、目に見える場所に立つことも許されず、ただ見守るだけ。それが、私のカメラがあの寂しい男の心を慰謝するために命ぜられた、ぎりぎりの立ち位置でした。
 今、私はAのそういう気持ちが理解できる気がするのです。

 若い女はそれだけ話し終えると、照れ隠しをするように芝居がかった口調で、いいですね、あなたは何も聴かなかった、と念を押した。男は真面目くさってうなずき、間の悪さを押し隠すために先に立って歩いた。カフェの出口で、秘密を打ち明ける口ぶりで女はささやいた。Friday’s child. 何を意味しているのかわからずにまごついている男に向かって、女はポケットからカメラをケースごと取り出すと、そこに縫いとられた赤いアルファベットの文字を指さした。それから男に背を向け、小走りに立ち去りながら片腕だけをこちらに向けて振った。
 しばらく背中を見送った後、男は女と反対側の方向に向かって歩き出した。まだ相手が傍らにいて、二の腕を髪先でくすぐられているような居心地の悪さを感じ、つい今しがた聞かされた物語を――俺は「聴かなかった」わけだが、と苦笑しながら――反芻した。
 あの女は、実際にはAと深い関係にあったのだろうな、と考えてみた。そうでなければ、生前のAの心情をあんなに確信をこめた口ぶりで説明できるはずがない。もしかしたら、あの女はAが自殺した原因でさえあったのかもしれない。誰にも語れないが、誰かに語らなければ乗り越えられないその秘密を、ずっと抱き続けて女は生き、そして今日、ふと壁に語るように、通りすがりの男に語ってみせたのだ。
 それはもちろんありうる解釈だったが、男はまだ腑に落ちなかった。不安だった。まだ語られていないことがあるからではなかった。本当のことはすでにはっきりと語られてしまっているのに、自分にはまだ届いていない気がした。無駄だとわかっていたが、立ち止まらずにはいられなかった。
緑色のコートの後ろ姿は跡形もなかった。もう一度呼びかければよかった、と歯噛みするように思い、すると木霊のように質問が返ってきた。呼びかければ? 呼びかけた後、おまえに何ができたというのか。そそくさと立ち去ろうとするあの女の細い手首を、コートの上から思わずつかんで引き止め、もう一度振り向かせることができたのか。あの目、今にして思えば最初から最後まで自分自身しか映し出していなかった目の中に、今度こそおまえの姿を焼きつかせることができたというのか。それこそ無駄というものだ、と男は考えた。そんなことをしてみたところで、必ず拒まれていたに違いない。フレンチネイルの爪がたちまち伸びてきて、男の手の甲に突き刺さり、無理やり手首を振りほどくと、膚の上に五つの赤い三日月型の痕を残して駆け去っただろう。
 そこで、つま先の方向を変えずに、再び男は歩き始めた。歩きながら、たった一つの手がかりのように、同じ言葉を繰り返し呟いた。金曜日の子供。誰かの肩が男にぶつかった。よろめきながら、カメラを取り出した。液晶のファインダーが、気の向くままにそれからそれへと視線を向けるのを、ただ後からついていくように眺めた。シャッターはいまだに押せなかった。そのことが寂しかった。寂しいのう、なんとも寂しいのう、とおどけた声で呟き、すると凍るような冷気が背中からやってきて、砂時計のくびれをすり抜けるように男をすり抜け、街の中へ散らばっていった。犬。ラーメン屋の看板。自転車。古書店。電線にとまったヒヨドリ。ゲームセンターのイルミネーション。駅。地下鉄。地下鉄から出てくる人、人、人。すべてが男を通り抜けていった。その中にあの女はいなかった。神保町駅の改札を抜け、半蔵門線に乗りこみ、人混みに身体を押しこむと、男は吊皮につかまった無数の手を見渡した。そこにはないと知りながら、森の彼方にあがる狼煙を見はるかすように、無数の指先の中にたった一つの灰褐色のしるしを、つい見つけ出そうとしていた。

 その日から、自分がまたゆるやかな螺旋型の坂を下り始めていくのがわかった。
 どうすることもできなかった。春の光が眩しければ眩しいほど、濃くなっていく影の中に男は立ちすくんでいた。そのうち写真を撮ること自体が、映画を見たり音楽を聴いたりすることと同じくらい苦痛になり始めた。カメラを本棚の底部についている引き出しの中にしまいこみながら、特に痛切な未練を感じるふうでもない自分を奇妙に感じた。未練はなく、ただ心細さだけが残った。さて、また沈むのか。喫水線ぎりぎりで踏みとどまるか。そう呟いてみて、まるでひとごとだ、と笑い、もちろんひとごとだ、と思い直した。自分で決めるだけの力も権限も、とうに手を離れてしまっていた。後は、別の岸辺にか、それとも崖の縁から滝壺へか、ともかく流れつくところへ流れるまで、あるいは流れつく前に沈むまで、ただ待っているより他に方法がなかった。
 毎朝、職場にたどりつき、ブックトラックに載った膨大な書物に四方を囲まれるたびに、男はあの茫然とした感覚、ページづけがばらばらになった乱丁本を最初から無理に通して読もうとでもするような、時間と空間の脈絡を見失った感覚に押しひさがれていった。
 この図書館に勤め始めたばかりの頃は、館内を歩きながら感じるほの暗い寂しさを愛していた。何百万冊という書物が互いにささやき交わす声は、いつも音ではなく、匂いとして感じとることができた。国内最大の書庫に好きな時に立ち入ることができる自分を、心から幸運に思った。十七階建てのコンクリートの箱の中央に佇んで、古びた紙の匂い、手垢に汚れたページの隙間から立ち上る、甘酸っぱい獣の仔のような匂いを嗅ぎながら、巨大な鯨の腹の中に一人いる感覚を、その静けさを、確かに楽しんでいた。今はもう跡形もない楽しみだった。書庫に入らなければならなくなるたびに、男は怖れるようになった。何十分もの間、目指す書物も出口も見失い、途方に暮れ、迷い、当惑した。どれほど大きな書庫であれ、本の一冊ごとに与えられた請求記号をたどっていけば、目指す書物にたどりつくのは造作もないはずだ。しかもその請求記号を振り当てたのは、他ならない男自身だった。それなのに、いったん書庫に入れば排架のルールをきれいに忘れ、来た道筋をたどり直すことすらできなかった。
 書物を前にした時も同じだった。
 男の仕事は書物を分類することだった。日に百二十冊の本を手にとって斜め読みしながら、十進分類法が指し示す記号をあてがっていく。好きな仕事だった。一つの細胞に一つの細胞核があるように、どの書物にも一つの主題が内包されていて、調子さえよければ、目をつむったままそれを無造作につかみ上げることができた。核心が何重にも偽装された襞の奥に隠されている時は、触診する手つきで慎重に論旨の道筋を解きほぐしていった。未知の分野を散策する時は、あっさりと主題を見つけてしまうのが惜しくて、わざと回り道をした。
 だが今の男には、休職する直前と同じように、一冊の書物がかたちづくるコンテクストが見えなくなってしまっていた。十進分類法は、南半球の星座表のように、もう何の役にも立たなかった。主題とはいったい何なのか、どうしてあるページの中に書かれている一つの言葉が、そのページの他の言葉よりも重きを置かれなければならないのか、なぜある概念が別の概念よりも上位に置かれることがあるのか、わからなくなった。男の頭の中で、コロッセウムの観客席のように世界を環状に取り囲んでいたはずの概念の階層が、いつのまにかきれいに消え去ってしまっていた。
 一冊の新しい書物を手にとって開こうとし、自分が吐き気のような恐怖感にとらわれているのに気づいた時には、来るところまできたかと嘆息し、人間相手ならまだしも、書物に怯えるようならいよいよ末期だと思い、同僚の前では恐怖を隠しながら、あの三か月間の空白の穴ぼこの中に再び落ちこみかけている自分を、それでもまだ、どこか他人事のように眺めていた。

 その日、有楽町線に揺られて新木場のアパートに帰り着き、いつもの癖で郵便受けに探るように手を挿し入れ、その指先が一枚の薄い封筒を挟んで引き出した時、どういうわけか男は、こういうことがいずれ自分に起こると予測していた気がした。
 宛先の書かれていない茶封筒には、三枚の写真が入っていた。
 すべてに男が写っていた。一枚目は図書館の職員用出入口から出てくる前屈みの姿を、二枚目は地下鉄のプラットホームでジュースの自動販売機に硬貨を入れている後ろ姿を、三枚目はレンタルビデオ店でアダルト・ビデオを物色している妙に生真面目そうな横顔を、焼きつけていた。かなり無理をして盗み撮りしたことは一目瞭然で、画像は相当ぶれていたが、被写体が男であることは間違いなかった。
 男はしばらく佇んだまま写真を見つめた。それらに写っているのがいつの自分なのか、もう思い出せなかった。知らない間に尾行されていたことを不気味に思わなかったのは、相手が誰なのか知っていたからではなく、写真に写っている自分と今の自分との間に、繋がりを見つけ出せなかったからだ。一瞬前の自分と一瞬後の自分は互いに独立したビーズの粒で、それぞれを数珠のように繋ぎとめておく紐は、とうに千切れてしまっている。いったん上から流れ落ちてきた砂は、はるか下方、底の知れない真っ暗な闇の中に消えていくだけだった。
 アパートの周囲を見渡した。通りに人影はなかった。いったいきみは何がしたいんだ、と、あの灰褐色の爪をした若い女に、笑いながら呼びかけてみたかった。盗み撮りか。自分がされたことを、そっくりそのまま、他の誰かに向かって返礼したいのか。撮られたのは俺だったかもしれないが、もう俺ではない。俺ではないものを写して、俺の何かを理解したつもりになったのなら、勘違いもいいところだ。これが俺の孤独だとでも言いたいのか。だとしたら、傲慢にもほどがある。
 アパートの階段を上りながら写真を封筒に入れ直す間に、少しずつ不機嫌になっていった。封筒をコートのポケットに無造作に入れ、思い返してもう一度取り出し、わざわざ郵便受けのところまで小走りに戻ると、舞台の上の手品師のような手つきで写真を一枚ずつ取り出し、ゆっくり引き裂いた。まだあの女が尾行を続けていて、どこからか監視し、男が写真を目にしてどんな顔をするのか、見届けようとしている気がしていた。監視されていないとしても、少なくとも自分自身のために、厄払いの儀式をしておく必要があった。紙が裂けていく音は男の心を静めた。千切った紙片を封筒に放りながら、くわばら、くわばら、と魔除けの呪文のようにおどけて呟いた。
 二、三日もするともう、そんな振舞いをした自分を後悔していた。破り捨てた写真が惜しくなったのではない。そこに自分を見つめる視線があるかのように、何者かに向かってわざわざ見せつけるしぐさをしたことが、厄払いのつもりでいたその儀式が、遅効性の毒薬のように自分を縛り始めるのを感じた。事実、たとえ冗談めかしてであれ、どこからか自分を見つめる眼差しがあると認めた瞬間、その眼差しは男に向かって注がれ始めていた。
 最初は苦笑していた。通勤や帰宅の途上で、ふと、自分の所作が妙に気どっているのに気づき、いったい誰に見せているつもりなのかと呆れ、笑いがこぼれかけ、そのまま身体がこわばった。気がつくと、男を見つめる目はいつもどこかにあった。信号待ちをするたびに、地下鉄の改札をくぐり抜けるたびに、ひととおり視線をめぐらせ、周囲を確認するのが癖になった。歩きながら、わざと威嚇するように腕を横に突っぱったり、かかとを鳴らしてみたりすることもあった。痙攣じみた動作をした後はすぐに照れくさくなった。自分が何を照れているのかは努めて考えないようにした。
 最初の写真を受け取ってから一週間後、日の暮れたアパートの前に立って、郵便受けから同じ封筒を引きずり出した時、男はもう驚かなかった。出来のよかった試験の採点表を渡されるような、不思議な高揚をさえ感じた。だが開封して中の写真を取り出した瞬間、気持ちの高まりは落胆へ、一週間前と同じ不機嫌へと戻っていった。
 この一週間、始終どこかから見張られている気配を感じながら、一挙手一投足に神経をすり減らして過ごしたはずなのに、三枚の写真に写っている場面はどれもまったく記憶になかった。確かなのは、盗撮されているのが自分だということだけだった。買い物籠を下げてスーパーの野菜売り場をうろつく男。図書館の食堂でペットボトルのお茶を飲んでいる男。有楽町駅前の書店から出てくる男。写真の中の男は、この一週間のどの一日にもあてはまる日常にいた。逆に言えば、どの日常もある特定の瞬間を思い出させることができなかった。それでいて、どの場面でも、男は写真に写っていない何かを、どこかいやらしい目つきで一心不乱に追っていた。その浅ましい顔つきは妙に生々しかった。
 一週間前と同じように、男はアパートの周囲を見渡した。今すぐあの女を追いかけて捕まえたかった。盗み撮りされるのを怒っていたからでもなく、盗み撮りする詳しい理由を訊きたかったからでもなかった。ただ誤解だけを解いておきたかった。
 もし写真に写されるのが自分だったなら、男はこのゲームに身を乗り出して参加しただろう。日常はもはや一人きりの独白ではなく、見知らぬ視線との対話になり、男はその対話を楽しみさえしただろう。かつて女が語ったように、これまでの自分とこれからの自分を隔てる決定的な何かが男に訪れ、それを永遠に焼きつけるような写真が撮られたなら、涙を流すこともできたかもしれない。
 だが男は、自分がもう被写体としてとらえられない何かになってしまっていた。自分自身によって刻々と忘れ去られ続ける何か、一瞬たりとも同じ形のままとどまることのない、流れ続ける水のような何かになってしまっていた。腕を伸ばし、すでに流れ去ってしまった一瞬前の自分を手のひらにすくい上げたところで、それはもう腐り始めた自分の死骸でしかない。これが本当に生きていくということなのか、と男は思った。俺の人生の残りとは、こういうことか。こういうことが、死ぬまでただ続くということか。
 形のない男、自分にも他人にも抱きしめられることのない男、そんな自分が寂しくてならなかった。なんとかして自分に輪郭を与えてやりたい。しかし、少なくとも写真が自分を救ってくれないことは確かだった。

 次の日、男は職場を出ると、神保町の古本街にまっすぐ向かった。二か月前に女が男に向かってAの話を聞かせたカフェを見つけると、窓際の一番奥の席に陣取り、拳銃を置くようにカメラをテーブルに置いて、午後七時半から十時まで、コーヒーをちびちび飲みながら店内と窓の外を交互に見渡した。
 翌日からそれが日課になった。同じ店の同じ席に腰を下ろし、いつまでも読み進めることのできない一冊の本の上に左手を乗せ、右手のすぐそばに弾をこめた拳銃のようにカメラを置き、彫像のように固まったまま、一度だけしか会ったことのない女の、ほとんど記憶に残らなかった面影を必死に呼び戻そうとした。緑色のコート。カメラであれコップであれいつも両手で捧げ持つようにする所作。帆布製のバッグと、そこから取り出されたヴィルヘルム・ハンマースホイの洋書の画集。Aの口から出た、ソフィ・カルという写真家の名前。褐色の三日月にふちどられた爪。柑橘系の香水の匂い。二の腕にかかるショート・ボブの髪先の感触。だが女の顔立ちは、その表情は、どうしても思い出せなかった。
 もう一度見れば思い出せる、と男は自分に言い聞かせた。そして相手が自分を尾行している以上、もう一度女の姿を見るチャンスは必ずある。
左手の下の本――正確に言えば、図書館の蔵書から本の一部をコピーし、ホチキスで留めたもの――は、ソフィ・カルの唯一の邦訳がある著作で、すでに絶版だった。男はAの著作も必死になって探したが、本はおろか、Aという名前の写真家がいたということさえ突きとめられなかった。ソフィ・カルは女を知るためのただ一つの手掛かりだった。コーヒーの染みがところどころについたそのコピーをめくっては閉じ、思い出すとまた開いたが、もう字面を追ってはいなかった。
 ソフィ・カルは確かに風変わりな写真家で、写真家と呼んでいいのかもわからなかった。

《何ヵ月か前から、街なかで見知らぬ他人の後をつけるのが習慣になった。後をつけるのが面白かったからで、相手に興味を持ったからではない。カメラで隠し撮りし、道順をメモし、最後には姿を見失って、それきり忘れてしまう。》
   
 ほとんど他人も同然の男を追いかけてヴェネチアを訪れ、二週間近くも盗撮と尾行を続け、そうして出来上がった数十枚の写真と日記が、そのまま一つの「作品」となる。あるいは逆に、私立探偵を雇って自分を一日尾行させ、写真と報告書を提出させ、それもまた「作品」の一部となる。確かにソフィのパフォーマンスは、今あの若い女が自分に対して行っていることのモデルなのに違いなかった。だが、ソフィ・カルの著作は、結局それ以上の何も男に教えてくれはしなかった。後をつけるのが面白かったからで、相手に興味を持ったからではない。写真家が自分の「作品」に与えた動機づけは、このそっけない一言に尽きていた。あの若い女がなぜこのパフォーマンスに感銘を受け、自分も同じようなことをしようと思い立ったのか、そのヒントになるような言葉も行動も、ソフィの本から見つけることはできなかった。
それは男が自力で見つけなければならないことだった。
 男はコーヒーを啜り、通りの雑踏の中に混じった、着こなしきれていない黒いスーツの男女を眺めながら、若い女が口にしていた「卒業展」という言葉を思い出していた。するとあの女もまた就職して、今頃はあんなふうに黒っぽいスーツに身を固め、自分が写真にあれほど入れあげたことなどもう遠い過去になってしまったかのように、澄ました顔でその日その日をやり過ごしているのか。いずれ、気まぐれに一人の中年男をつけ回したことも忘れてしまい、自分の顔を引き剥がしてしまいたくなるような孤独も忘れてしまい、何人かの恋人たちの間を渡り歩き、その中の一人に自分のための居場所を空けてもらうのと引き換えに、緊張を脱ぎ捨て、生活の疲れを手に入れ、やがてそのうちに……
 男は動悸を気づかれないように、そっと紙コップをテーブルに置いた。もう一度窓の外を目の端で窺い、車道を挟んだ向こう側、コミック専門店のすぐ横から携帯電話のレンズをこちらに向けている人影を確認した。ショートヘアの髪、細い骨ばった肩の線、ロングスカートから覗く細い足首のシルエット。肩からトートバッグを提げている。男は一呼吸置き、それからカメラをひっつかんで立ちあがると、走り出した。扉を開け、次の二歩でガードレールを飛び越えた。横断歩道を迂回せずにまっすぐ車道を駆け抜け、もう一度ガードレールをまたぎ越えて反対側の舗道にたどり着くと、そのまま女の前に歩いていった。相手は広げていた携帯を閉じて顔を上げた。ショートヘアではなかった。長い髪を後ろで束ねていた。
 違う女だ。気づいた時にはもう、男は娘の手首をつかんでしまっていた。骨そのもののように細く冷たい手首だった。娘は怯えきった目を見開いてこちらを見つめた。男が初めてあの女にレンズを向けられた時の怯えが、その怯えに重なった。男は視線を落とし、とうに力を失った手首をまだ放そうとしない自分の手を、罠にかかった獣のように黙って見下ろしたまま、震える娘と一緒に立ちすくんでいた。



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