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【メモ】自分の「生きる意思の弱さ」によって生じた問題

昨日(2020/11/04)、所得補償を受けとるための書類(医師の診断書+私が記入した就業障害の報告書)を郵送で保険会社宛に送付した。

この後、通常だと審査を経て約1週間で申請の可否の結果が出る。審査が通れば、所得補償がいただけ、そうでなければ、所得補償は打ち切りになる。

私は現在、無職であり、収入のすべてをこの所得補償に頼って生きている。しかも、現時点では、正規社員・非正規社員・アルバイト等、形態を問わず雇用関係の中に入って働くことに大きな困難を感じている状態であり、雇用関係の中に入らず働くという方法も現在模索中であるが、まだ、「これでメシが食える」といったものは確立できていない。よって、所得補償が打ち切られるかどうかは私にとっては、死活問題なのである。

今回はいつもと違う気分で審査の返答を待っている。というのも、申請書類の1つである医師の診断書の内容が今回変更されていたからである。

どのように変更されていたのかというと、具体的には、診断書の「現在の治療状況」という欄に、「治癒」、「継続」、「中止」、「転医」の4つの項目があり、いずれかに丸を付するのだが、前回の申請までは「継続」つまり「治療を継続しますよ」という所に丸が付されていた。しかし、今回、この「現在の治療状況」の欄を見てみると「治癒」の項目に丸が付されている。

「治癒」というのは、文字通り「病気が治りましたよ」ということを意味する。この項目に丸を付されてしまうと、保険会社側も「この人は病気がもう治ったんだな。じゃあ、もう支援はいらないな」となり、その時点で支援が打ち切りになる可能性が極めて高い。このコロナの情勢で各社収益が下がっている中なら、なおさらだ。ここに私は強い不安を覚えた。

しかし、診断書に書かれた内容をよくよく見てみると、違和感を覚える箇所が複数見つかった。「検査所見」の欄には、「不安定残存」、「うつ状態残存中」と書かれており、まだ症状が残っているという趣旨のことが書かれている。これは、「現在の治療状況」の欄の「治癒」という記述とは矛盾するのではないかと私は違和感を覚えた。

また、「投薬内容」の欄には、「炭酸リチウムの増量」、「睡眠薬の強化変更」、「抗不安薬の増量」と薬も増強させる方向性で治療を継続しているという旨が書かれている。これは、私が診察中に、「最近、不安に襲われることが多い。今飲んでいる薬があまり効いていないように感じる」とか「希死念慮がたびたび発生し、不穏時(自殺したくなった時)の頓服を何度か服用している状態である」とか「最近、中途覚醒が多い。これによって、まとまった睡眠時間が取れず、精神が不安定になっている」と医師に伝えた結果、不安定な精神を安定させるために、処方を増強する方向性で治療していこうという判断になったはずだと私は解釈している。この点も「現在の治療状況」の欄の「治癒」という記述との矛盾を感じた。

また、「患者が行うことのできない活動はありますか」という欄には、明確に「就労」と書かれている(もう1個何か書かれていたが、医師が乱筆で何が書かれているか解読できなかった)。これも「治癒」という記述と矛盾する。

おまけに、「予測される症状改善の時期」の欄には「不明」つまり「いつ治るかわかりません」ということが書かれているし、「今後予測される症状」という欄にも「慢性化してしまった」とか「薬的強化にて対応を続ける」と医師自身の手で記載されており、これらも「治癒」という記述と矛盾している。

このように、医師の治療方針や医師自身が記入した診断書の他の項目と突き合わせると、「治癒」という記述は到底ありえないと思うのだけど、私はこの診断書の内容を確認したとき、矛盾を感じつつも、「私を何年も見てきた医者だし、プロの目から見てそう判断するのなら、そういうことなんだろうな。嘘をつくわけにもいかないし、これを出したら支援は打ち切られるだろうがしょうがない。そうなったら死ぬだけだ」と自分の生死に関わることなのに、それを「運命」として受け入れてしまった。

この内容を含んだ診断書を郵便局に提出し、郵送してしまった後に、両親に「今回の診断書の内容だと、所得補償の審査が下りないかもしれない。そうなったら、私は無職で稼ぐ能力もないから死ぬわ」みたいなことを言ったら、即「医師の診断書の内容を見せろ」と言われ、その内容を見せたところ、先ほどの私と同じように矛盾を感じたらしく、「これは主治医に診断書の中身についてしっかりと確認すべきだ。送った書類は開封せずに返送してもらうよう、すぐに保険会社に連絡を入れろ」と言われた。今朝(2020/11/05の朝9:00ごろ)、保険会社の方に連絡を入れ、診断書の内容に誤りが含まれている可能性が高い旨を説明した結果、郵送した書類は(保険会社側で)一度開封して中身の確認はするが、返送してもらうことになった。父からは「後から死にたいと思うくらいなら、その場のことを死にもの狂いでやれ」「諦めるのが早すぎる。もっと生にしがみつけ」と叱責されたが、この指摘はごもっともだと思う。ただ、「死にもの狂いでやれ」というのは、健康で生きる意思が強い人には当てはまるかもしれないが、私のように病気で生きる意思が弱まっている(生きることへの執着が弱まっている)人には適用できないのではないかとも思った。生きる意思が弱いがゆえに死にもの狂いで生きることにしがみつくことができず、明らかに内容に矛盾がある診断書の内容を「運命」として受け入れ(たとえ、それが「死ぬ運命」だったとしても受け入れ)、その結果として、「死ななければならない状況」に陥ってしまったというのが今回の正確なところだろう。

生きる意思が弱いというのは、生きていく上で必ず不利に働くし、言い換えれば、自分が受ける不利益に対して無抵抗であるということなので、死に近づきやすい。だから、これから生きていくならば、必ず矯正した方が良い考え方の癖であると思う。ただ、このような考え方の癖を矯正するのは一朝一夕ではいかない。何年も何十年もかけてようやく人並みの生きる意思(意欲)が湧き出てくるようになるくらいのものだと思っている。今回の問題は、診断書の内容に疑問を感じながらも、周囲の誰にも相談せず、そのまま郵送してしまった私のミスでもあるが、根本的には私の性格(生きる意思の弱さ)によって生じた選択の結果である。その結果として、大きな不利益を被るのなら、やはりそのような考え方(生きる意思の弱さ)は、ゆっくりとでも矯正していく必要がある。

具体的な対処法も考えておこう。今回の問題については、まず、診断書を受け取ったらその内容をきっちり確認する。その上で、矛盾点を感じたら、まずは郵送する前に身近な人に相談する。それで、医師に診断書の内容について確認する必要が生じたら、医師に直接電話なりなんなりで確認するということを怠らないようにする。お金に関することは生き死にに関することだから、なあなあにしない。きっちり詰める。こういうことが起こったときは、どうリカバリーをするかと起こった原因を特定して二度と同じことを繰り返さないのが大事であるという教訓を得た。つらかったが、良い経験になった。次回は、同じミス(というか、私の性格に起因する選択)をしないと固く心に誓った。

主治医とは診断書の内容についてこれから話をする。なぜ、「治癒」の欄に丸をつけたのか。どういう考えがあったのか等(もちろん、本当に「治癒」と判断して診断書にそう書いたという可能性もある)。また、普段は診察時間の制約上、詳しく話したことがない、「私が就労にあたって感じている困難」や「金銭面での不安定な現状(いかに細い綱を渡るような生活をしているか)」や「症状の面で医者の前ではうまく喋れているから元気になったように映るかもしれないが、業務上のコミュニケーションは全くダメである」こと等、この際伝えるべきことはたくさんある。そのために、きっちりとしたレジュメもすでに用意した。主治医には必ず一読してもらう予定である。医師も短い時間の中で、たくさんの患者を捌き、たくさんの診断書の類いを書いているのだから、その過程でミスが生じることもあるだろう。そして、かなり時間が制約された中(1ヶ月に1回、長くても1回20分程度)で、患者の本当の状態を把握するのも難しいことだろう。だから、これが良い機会だと思ってレジュメ等も用意して、医師にしっかりと私の現状をわかってもらうつもりである。私の主治医は比較的、患者の話をよく聞く方の医者であるから、世の中の精神科にかかっている患者はおそらく意志疎通にもっと苦労しているだろう。私なんかはかなり恵まれている方である。

というわけで、数日後には直接か電話かはわからないが、医師ときっちり話してくる。今後、同じことが起こらないように。治療を効果的に行うために。今回はこの辺で。では!

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