見出し画像

【精神】うつ(双極性障害)になった当時、本気で困っていたことー病気を通じて変化した家族との関係ー

◆うつになると困ることー家族との関係悪化ー

うつになると困ることはたくさんある。毎日「死にたい」と考えてしまうこと(希死念慮)を筆頭に、意欲がなくなってしまって何もする気が起きなくなること、頭が全然働かなくなって今までできていたことがまったくできなくなってしまうこと、日々強い不安に駆られること、お金が稼げなくなること等々、色々な困りごとがある(これらは私も死ぬほど困ったことであるし、今も困っている問題でもある。それで死んでしまう人もたくさんいる)が、当時の私が特に困っていたこととして思い返されるのは、「身近な人間とコミュニケーション不全を起こして、関係が修復困難なほど悪化したこと」である。これについては、私にとっては死ぬことを考えるほど大きな悩みになった。うつになったとき、自分を支えてくれるのは、基本的には家族以外にいない(医師やカウンセラーは治療を助けてはくれるが、常に寄り添えるわけではないので)からである。その家族との関係悪化は死活問題である。

◆「黙っていること」の弊害

私にはうつになり、休職して実家に帰ってきた当初、家族と全く喋らなかった時期がある。飯を食う、風呂に入る、トイレに行く以外は居室から一歩も出ず、完全に引きこもりのような状態で1日を過ごすことも少なくなかった。当然、家族とは一言も喋らず、1日を過ごすことも多かった(おそらく、一時的に緘黙の状態にあった)。なぜ、喋らなかったのかというと、当時は、家族と話すのが猛烈に怖かったからだ。うつ病になると気分が塞ぎこんで、意欲がなくなるため、誰とも喋りたくなくなるというのも当然理由の1つではあるが、私の場合、現状として家庭の経済にも家事にも何も貢献できていなかったので、家族が私に対してどんな感情を抱いているのかわからなかったというのが1番大きな理由だった。正直なところ、それを知りたいという気持ちはあったが聞くのが怖かった。

人間というのは、喋らない相手の内心を悪い方に想像する癖のある生き物だと思う。当時の私は家族とまったく会話をしなかった。それゆえに生じる誤解と憎悪というものが、各人はっきりとは口にはしないものの、確実に存在した。私も家族に対して不満というかやりきれない思い(病気の症状に伴う希死念慮や意欲の減退により何もできないことへの申し訳なさや厚かましいがそれを理解してくれない家族への不満)を抱えていたし、家族も私に対してそれと同じかそれ以上に大きなネガティブな感情を抱えていたはずだ。

これは、結構重要なことだが、どんなに小さなことであっても何かしてもらったら感謝の言葉は躊躇せずに口に出した方が良い。「ありがとう」とか、シンプルな言葉でいい。そうしないと、当時の私みたいに「こいつは1日中何もせず寝ているだけなのに、家族に対して何の感謝もないのか?」などと思われる(実際に父にそう言われていたのが隣の居室から1回だけ耳に入ってきたことがある。たぶんのその1回は常日頃から思っていたことが口をついて出てしまったものであろうから、家族みんな内心ではしょっちゅうそういうことを思っていたはずだ)ことになる。当時の私は感謝の言葉ですら、口に出すのが怖かった。そういうこともあって、一時期、家族の雰囲気はこれ以上ないくらいに険悪だった。

今になって聞くと、母は当時の状況を相当心配していたらしい。何か一人で悶々と悩みを抱えているのではないか。うつの状態が悪いのではないか。いつか自殺してしまうのではないか。そう思っていたらしい。その思いは当たっていた。うつで家族とのコミュニケーションを避けていた私の精神状態は最悪といっていいものだったし、日々自分が家族から責められているように感じていた。この家族にとって私は要らない存在なのではないか。消えてしまった方が良いのではないか。ずっとそう考えていた。父のちょっとした強い言動に動揺したり、イラついたりしても、ずっとそれを黙ってため込んでいた。

◆父との軋轢、母、弟との深刻なコミュニケーション不足

当時、家族の中で一番大きな軋轢が生じていたのは、父だった。父も何も話そうとしない私が何を考えているのかわからず(特に自分の人生についてどう考えているのかわからず)、私のことを真剣に生きようとしない怠け者だと考え、怒りをため込んでいたと思う。完全に冷戦状態であった。お互いにいつかそれが爆発して家庭が崩壊してしまう(私が家庭から追い出されてしまう)のではないかとおびえていた。

父は性格的にかなりバイオレントなところがあるので、一度喧嘩になるとヒートアップして包丁が出てくるみたいなこともある。私が学生のころ、父の癇に障るようなことを言って実際に包丁を突きつけられた経験があるので、マジで喧嘩をしたら、親族間の殺し合いになりかねない危うさがある。私も普段は抑えているが、実はそんなに気が長い方ではないので、一度口喧嘩になると徹底的に相手を叩き潰すつもりでやってしまうことがあるし、一歩間違えれば「事件」になって、「無職の息子が父親を殺害(あるいはその逆)」というパターンになってしまう可能性もあった。そのとき、私はどのように報道されるのだろうか?どうせ、私のことをよく知りもしない近所の人に適当にインタビューして「あの人ならいつかやると思ってました」とか「暗くてオタクっぽい雰囲気の人でした」とか言わせて、偏見を助長して、「無職のクズ息子が父親を困らせた挙句、殺人まで犯してしまった」とか、そういう報道のされ方をするのだろうな……みたいなことを考えるくらいには追い詰められていた。

実際、病気で休職をしてから2年くらいは親父とほとんど口を利かなかったし、喋らないことで余計に憎悪を募らせたりして、喋るたびに言い争いこそしないものの、一触即発のような雰囲気になって、めちゃくちゃウザかったし、親父とのコミュニケーションが精神的にも大きな負担になっていた。何をとち狂ったのかわからないが、父をぶん殴って関係を終わりにしてやろうと思っていたこともある。それくらい私と父の関係は悪化していた。

因みに母と弟とは、具体的に大きな軋轢が生じていたわけではなかったが、関係性は“無”だった。要するにコミュニケーションが発生していなかった。それゆえのぎこちなさはあった。決して打ち解けることはなかった。私の当時(現在も同じ)の居住空間はかなり狭い。それゆえ、もし母や弟と会話をしたら、その内容は確実に父の耳に入る。その内容が、もし父にとって気に食わないことであったら、父は絶対に噛みついてくる。そういうことへの警戒心(および恐怖心)もあって、私は母や弟ともほとんど話をしなかった。

このように家族との関係は可燃性を持ちながらも、冷え切っていた。私の人生の中で最も家族と疎遠になっていたのは、ここ1~2年の話だ。

◆対話による関係改善

しかし、とあることをきっかけに(かなり最近になってから)関係は改善に転じる。父に対して、意識して自分から喋りかけるようにしたのが契機だったと思う。そこから、父との関係はかなり改善された。何より対話ができるようになった。昨年(2020年)の夏(6~7月)ごろからだろうか。

このままではいけないという思いが私と父、双方にあったのだと思う。当初、私から勇気を出して話しかけてみたら、意外にも父は何の驚きも示さず、反応を返してくれた。たぶん、最初は2-3言しか交わさなかったと思う。それから、たまにではあるが、母がいない父と2人きりで家にいるときに、何か適当に話題をつくって私から父に喋りかけるようにした。そうすると、父との会話も最初はぎこちなかったものの、段々と固まった雪が解けていくように、交わす言葉の数も増えていった。最近では、くだらないお喋りをしたり、世間話をしたりして打ち解けるようにもなったし、逆に「今後、お前人生どうするつもりなの?」みたいなシリアスな話題も互いに強い言葉を使うことなく、できるようになった。

今では私の人生について先達として真面目にアドバイスをくれることもあるし、今こうやってブログを書いていることも(社会復帰のリハビリとして、あるいは将来を見据えた準備として)応援(というか鼓舞)してくれている。「お前は働ける。ちゃんと能力はあるはずだから。それを活かして自分で身を立てていくんだ」と後押しをしてくれるようにもなった。うつになるまで(特に学生時代)は、親父=何かと怒りをぶつけてくるおっかない人(しかも、どこに怒りの地雷が埋まっているのかわからない)という印象で、できるだけ関わりを避けていたが、最近はそれが変わりつつある。

親父は家族の中で誰よりもこの家庭を背負っていかなければならないという責任を感じている。この家庭を維持するために、人一倍真剣になって考えてくれている。問題から逃げずに真正面から解決策を考えようとしてくれている。だからこそ、言葉が強くなることもある。そういうことが歳をとって私もわかるようになった。親父が歳をとって丸くなったというのもあるだろうけど。今の良い関係性をできるだけ続けたい。今後、おそらく私の人生の問題や家庭の経済の問題などシビアな問題に直面して、そのときに関係が前のように悪化することはあるかもしれない。仮にそうなっても以前とは違ってきちんと正面から対話ができると思っている。

父との対話をきっかけに私は母や弟とも打ち解け始めた。私がうつで一人引きこもっていたときにこういうこと(家族とうまくコミュニケーションが取れないこと、それをどう解決したらいいのか)を考えて、日々苦しんでいたとか、そういうことをできるだけ正直に包み隠さず話すようにした。何か不満や怒りの一言でもぶつけられると覚悟していたのだが、意外にも(母も弟も気を遣ってそういうことを口にしないでいてくれたのかもしれないが)「そういうことだったんだね。やっとあなたのことを理解したよ。こういう話ができるようになって良かった」と優しい言葉をかけてくれた。

◆家族といえども別個の個体。コミュニケーションの基本は「擦り合わせ」

その日以降、私は家族と恐怖心を感じず、普通に会話ができるようになった。お礼の言葉は都度きっちり伝える。謝意(詫びる気持ち)も同様に。強い言葉を決して使わず、理性的に話をする。相手の話(主張)をしっかりと受け止めてから話す。一端の大人なら当たり前にできることかもしれないが、今はそういうことを心掛けて家族とも接している。家族といえども別個の個体だ。それぞれ異なる考え方・価値観を持っているし、時に許せないことが出てきたりもする。身近で一緒に暮らしているがゆえに、互いの汚点も目につきやすい。だから、他者に接するときと同じように言葉をしっかり選んで、理性的に対話ができるように心がける。常々言っているがコミュニケーションは「擦り合わせ」だ。お互いに思う所をしっかり開示して(これがなければ、相手が何を考えているかはわからないし、先述のとおり、人間はわからない人間に対して悪い方に内心を推測する傾向のある動物である)、ズレているところがあれば、相手の立場に理解を示しながら、譲歩できるところは譲歩し、譲歩できないところは相手にその旨を伝え、可能な限り譲歩してもらえるように交渉する。そうやって、互いの妥結点を見つけていく作業を欠かさないようにする。決して、自分の意見・価値観の押しつけにならないように注意する。その結果か、今のところ家族とのコミュニケーションに大きな問題は生じていない。

恥ずかしながら、人生において家族と円滑にコミュニケーションが取れるようになったのは、つい最近(2020年も半ばを過ぎたあたり)のことである。学生の頃は学生の頃で、両親にはよく反発し、弟とはよく喧嘩もしていた。成人してからはあまり率直に自分の思っていることを口に出さなくなったし、うつになってからはだんまりを決め込むようになってしまった。だから、こうして腹を割って話ができるようになったのは、はじめてのことなのだ。

◆見守ってくれた家族への感謝

父も母も弟もよく我慢してくれたと思う。今まで何の意思も示さなかった私に対して、表面的にはほとんど怒りをぶつけることなく、忍耐を続けてくれた。この家族の忍耐なしには、今の関係は築けなかったであろう。うつ病は家族も根気強くなければ、家庭が崩壊してしまう危険性がある。私は幸運なことに家族に恵まれた。そのおかげで命を失わずに済んだというのは大袈裟な表現ではない。私が今家族を大事にしたいと思っているのも家族が私のことを大事に扱ってくれた結果である。仮に関係が再び悪化したとしても、今の私たちなら対話によって修復していくことができるはずだ。

〈おすすめ記事〉
*うつ・躁鬱関連の記事は、マガジンにもまとめてあるので、そちらもご覧いただけるとうれしい。



ご支援ありがとうございます。また見にきてくださるとうれしいです。頂戴したお金は大切に使わせていただきます。