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仕事が好きそうに見える僕でも、実は働きたくないと思うのです

僕は今、自分の仕事に誇りを持って働いている。

さらに、仕事を通じて向かっていきたい方向をしっかり持って、日々前進できている。

こういうことをnoteで書いたり、友人に話したりするからか、よく「働くの好きなんだね」とか、「仕事楽しそう」などと言われる。

しかし、これらの発言は少し的外れだ。

僕にだって、朝起きて「仕事に行きたくないなぁ」と思う日がある。

じゃあなぜ、前述したようなことを言われるのか。

それは、どうせ働かないと生きていけないなら、その時間を有意義なものにしようとしているからだと思う。


人が社会の中で生きていくためには、お金が必要だ。

ひょっとすると、お金がなくても生きていけるという方もいるかもしれない。

しかし、僕は趣味を妥協したくないし、健康的かつ美味しい食事をして生きていたいし、大好きな人と結婚して家庭を築いて子育てをしていきたい。

なので、僕の生活の基準を満たすためには、それなりのお金が必要となる。

そして、お金と仕事というのはなかなか切っても切り離せない。

というわけで、僕は突き詰めるとお金のために仕事をしている。

僕の生活基準を満たすための手段として、働くことを選んでいるということになる。


しかし、なんとなく働くというのは難しい。

何をするにも意味を考えてしまう僕にとって、自分のためにならないようなことを何十年もなんとなくこなすというのは、京大に合格するよりも全然難しい。

というわけで僕は、働くという行為に意味を持たせているのだ。

・仕事を通じて成し遂げたいこと
・身につけたい能力
・進みたい方向
などを明確にして働くことによって、仕事を単なるお金稼ぎの手段としないようにしている。

この行動だけを見ると、意識が高いだとかすごいだとか思う人がいるかもしれない。

しかし実際は、なんとなく働く力がないからこそ、意識高く生きざるをえないだけなのだ。


多くの人が、仕事がつらいと嘆きながら生きている。

それもそのはず。

だって、仕事以上に好きなことがある人がほとんどなのに、それから離れないといけない時間が楽しいなんて普通はあり得ない。

だからこそ僕は、人はみな、仕事の時間に意味を持たせられるように行動するべきだと思う。

仕事の時間を多少でも好きになれる努力をすべきだと思う。

それが結果的に自分の身を守ることになるのだから。


意識高く働くのは、正直疲れる。

進んで引き受けている業務や休みの日を活用して行っている自己研鑽が、本当に心からしたいものかどうかは正直言って怪しい。

ライブに行ったり、自然の中を散策したり、小説を読んでいる方がよっぽど楽しいわけだし。


でも、こうして高い意識を保っている状態が崩れた時、本当に仕事が、そして人生がつまらなくつらいものになってしまう気がする。

だからこそ僕は仕事を通じて進み続けるし、僕が働いた痕跡をこの世界に残していきたい。

これが、僕なりの仕事に対する考え方。

そして、僕が今生き生きしているように見える理由。

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