個性を殺す学校と個性を発揮しろという社会の矛盾
僕らは小中高の12年間に渡って学校へ通ってきた。
その際、他者と同じ学生服を着て、他者と同じ授業を受け、他者と同じようにルールに従って生きてきた。
そうしているうちに、他者と同じであることが当然で、他者と違うのはおかしいことだという認識を持ってずっと生きてきた。
このことに対して違和感を感じ始めたのは就活期。
今まで必要なかった「個性」というものが、急に求められるようになった。
しかし、他者と同じように生きてきた僕が個性などというものを持ち合わせているはずはなかった。
今までの自分を否定された気分になり、絶望を味わった。
そして、こういった僕を作りあげた学校教育というものに疑念を抱かざるを得なくなった。
学校には、意味のないルールがたくさんある。
ただし、意味のないルールでも破ると問題行動だと扱われる。
たとえルールを破っていないとしても、少し他者と違う行動をとると目を付けられる。
だから学生は、意味のないルールに従うし、他者と同じ行動をとる。
これらの理由により、学校教育を受け続けた結果、個性を持ち合わせない、もしくは喪失した人間が出来上がる。
こうした教育は、高度経済成長期に生まれた。
以前は学校卒業後工場労働者になる人がほとんどで、個性は働く上で邪魔だった。
ただ特定の知識を持ち、言われた通りに作業をこなしてくれるロボットみたいな人間が必要だった。
だから、学生を統率し均質化する教育は、この社会システムに適合していた。
ひどい話ではあるけれど。
でも、今は違う。
そういった単調な作業はロボットが代替するようになり、人は自分らしさを発揮して働くことができる時代になった。
他者と同じような知識しか持ち合わせていない人や、他者と同じことしかできない人などは必要なくなった。
いい意味で少し変な行動をとるような個性のある人が求められるようになった。
しかし学校教育は中々アップデートされず、依然としてロボットのような没個性的な人間を生み出し続けている。
そうして僕のような被害者が今日も生まれ続けている。
自分と同じような思いをする人を減らしたい。
個性を殺さずに生きられる人を増やしたい。
そう願って僕は今日も発信を続ける。
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