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イライラ(神経症)の源泉

こんにちは、木月です。

わたしは、神経症だとかウツ・統合失調などについて独自の思索をしています。
というのは、早くから、学校や社会などに適応不全気味だったので、これらのものは身近だったからです。

さて、余計な前置きはこのくらいにして
今日は、神経症のおはなしです。

神経症も、ピンからキリまでありまして
会計の仕事をやってるわけでもないのに、あんまり几帳面に帳簿(家計簿など)をつけたり、ギタリストなどが、レコーディングなどで、1曲のギターソロをあまりに何テイクも録り直す等も、広義の意味で神経症的であるといえますが、
ここでは、イライラや怒りとか、何らかの情緒・感情の障害を引き起こすような神経症にはなしを限定します。

まぁ、イライラ(神経症)などは、更年期だからとか、カルシウムが足りないからだとかもあるのかもしれませんが
わたしの考えるところでは
それは、成就の見込みのない(少ない)野心(現時点で)などが刺激を受けるからではないかと考えました。

X(Twitter)とかって、そこが唯一の真の交流の場だという人も多いかもしれませんが
同時に、すごくイラッとする場でもあるかもしれません。
noteみたいな投稿アカウントやYouTubeなどのタイムラインをスクロールしてるとき、またはインスタなどのフィードを見てるときにイラッとすることもあるかもしれません。

そこで起こってることは、成就の見込みのない野心(または欲望)が刺激を受けてるのだろうということです。

歳をとると、丸くなって、昔より怒らなくなる人というのは、野心(の多く)に諦めがつくようになったということだと思います(バカバカしくなったというか)
逆に、歳をとるほど、怒りっぽくなる人は、諦めがつかない野心(たとえば、家族が自分の言うことを聞いてくれるみたいな小さなこと含めて)が、歳とともに累積して、そこを刺激される機会が増えてるということでしょう。

わたしたちの多くは、成就の見込みのない野心(のうち、諦めがつかないもの)に直面するのが嫌いなのです。

「絶望」とは、これの程度がはなはだしいことだと思います。

成就の見込のある野心は、しばし、人の気持ちを明るくさせます。
たとえば「ウェブマーケティング成功法則」みたいな本があったとして
それが十分可能だ!と思える人には、是非手にとってみたくなるものでしょう。
でも、70歳を越えたデジタル難民な人が、そのタイトルを見て、自分に縁のあるものだと、こころウキウキする可能性はかなり低いでしょう。


そうすると、また、こういうことも言えるかもしれません。
それは、野心(や欲望)が十分成就が可能(だと思える)な範囲内に落ち着いてる人の精神は比較的快適だということです。
朝が快適な日が多いでしょう。
逆に、野心などが、現時点の状況から、到底成就の見込がない状態のものが累積してる個人は、ジレンマの嵐で、場合によってはイライラしやすかったり怒りっぽかったりするというわけでしょう(甚だしくは、細胞の癌化などが進んで、朝から吐き気がするかもしれません)

どっちが素晴らしいのかは、何とも言えません。
というのは、前者は、快適な暮らしが手に入りますが
そこにドラマはなく誰も感動させることがありません。
後者は、犯罪や自滅など、騒々しい現実を引き起こしてしまう可能性もありますが、ドラマ性に満ち、人を感化する可能性もあります。
または、少なくとも、問題の提起にはつながります。

難しいところですよね。

ほとんどの人は
こんがり焼いたトーストに、いい香りの紅茶かコーヒーで
または、おいしい朝ごはんで、陽の光を目いっぱい浴びて、気持ちのよい暮らしの永続を願ってたりします(僕もどちらかといえばそうです)
そういう生活は、消費モデルとしては、素晴らしいものです(僕などの70年代生まれの人の多くは、こういった「消費モデル」に30くらいまで幻惑されて、30代後半くらいから幻滅を繰り返してきた世代といえるかもしれません)

いや、まぁ、はなしが本題からかなりズレてしまったんで、軌道修正すると
ある種のイライラ(神経症)は、成就の見込みのない野心(のうち諦めきれないもの)を刺激されて、抑えが利かないときに起こるのでは、というのが今日のおはなしです。


(あとがき)
6年前、父の入院で病院へしょっ中行ってたころ、管でつながれてるむごい状況にある人たちを沢山みて、こんな人たちが一人もいなくなれば、と少しだけ思いました。
それは成就の見込のない野心で、お釈迦様とかの説く(生老病死)を受け入れていない愚か者なのかもしれません。
僕なんて、医療とか介護のフィールドのスキルゼロなんで、そんなフィールドにいまから入っていくのはムリなんですが
48歳のときにはnoteを始めて、SNSで大成功みたいな野心にとりつかれて、成就が可能と思えてたうちは、気分が高揚して、インフルエンサーのはなしを聞いてたものです(有料サブスクとかは一切やってませんが)
成就が可能と思えてたうちは気分が高揚したものは、僕も、過去に枚挙にいとまがありません。
挫折した恋愛に、英語に、ミュージシャンになるに、その他もう、ほじくり返せばキリがないくらいです。
情緒の安定を最優先するなら、成就が可能な範囲内の野心のうちに収まることが肝心なのかもしれません。
ただ、SNSという自己解放(?)の場が与えられて、かえってムリする人は増えたのかもしれません。
以上『イライラ(神経症)の源泉』でした。

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