うつ病について② カタルシスの瓦解

こんにちは、木月まこと(ペンネーム)です。

2回目の投稿になります。

前回は「うつ病」について語りました。このアプリを見ておられる方の多くは、もしかすると「うつ病」とは無縁な生活を送っておられるかもしれませんし、また、あまり、そういったことに関心がないかもしれません。
自分の投稿がお金になることを、また、このアプリへの掲載をきっかけに活躍の場が開けてくることを夢みている、どちらかといえば、前向きでポジティブなモードの方が多いと思われます。もちろん前回も言及しましたように、生きにくさや絶望、世間一般との乖離に当面し、それを直接ぶつけている人も多いと思われます。
しかし「プチうつ」も含めて「うつ病」は、おそらく増加傾向にあり、軽度のものを含めれば、社会全体はおそらく「うつ病者」を出しやすいものになっており、今現在は希望に胸を膨らませて投稿、閲覧していると思われる皆様にも、その何割かの人には絶対に無縁とは言い切れないと思いますので、前回に引きつづき、そのことについて語りたいと思います。

前回のおさらいをいたしますと、「うつ病」とは、ある努力目標的な生活を営んでいて、それが漠然とでも想定していたカタルシスの見通しが非常に悪くなり、しかし、「努力しなさい」とか「頑張るべきだ」というような一般規範の自分に対するむち打ちは止まらず、エネルギーが枯渇してしまうことだと述べました。

では、この想定していたカタルシスの見通しが悪くなるとは実際にどういったことかについて、少し具体的に説明しましょう。


体験談になってしまいますが、私は大学受験時に2浪しております。当時は昨今のような大学全入時代ではなく、浪人経験者が大学生の7割を占めるという特殊な時代でした。私の世代は第二次ベビーブームにあたり競争もテキトーに熾烈だったのです。現役で大学へ入ると、むしろ肩身が狭いくらいなんです。18歳から20歳くらいの人の年齢の一歳差というのは結構大きく、それが、大学の教室のような母集団ですと、現役で入ってきた人というのはかなり一発でわかります。ルックスがガキというかお子ちゃまなんですよ。2浪で入った自分が気のせいか老けて見えます。また当時の風潮として「浪人はしてみるもんだよ」という感じだったのです。そんなこんなで2浪(因みに2浪とも自宅浪人です)してしまった私ですが、最初から2浪するつもりだったわけではなく、現役時代はともかく、1浪時にはそこそこ真面目に勉強した(つもりだった)ため、受けたとこ全部スベったときは呆然としました。3月上旬でも願書を受け付けてくれる大学を探すことも考えましたが、あまりに悪あがきなので、それは止めました。
「えーっ、もう一年?」って感じで気がとおくなり、しばらく何もする気になれませんでした。絶対早稲田主義とか東大主義、あるいは芸大主義とか確たる理想があれば、またはなしは別でしょうが、私の場合、「どこでもいい」とまでは言わなかったとしても、志望校にそんな烈しいこだわりもなかっため、あと一年受験勉強を宣告されたときはショックでした。
今思えば、滑稽なはなしですが、当時は、「あと一年」というのは気の遠くなることのように思えました。
今思えば、それが初めてのウツだったのかもしれません。カタルシスが悪くなることのほんの一例です。
1浪時、結構真面目にやった(つもりだった)ため、2浪しても全落ち?みたいな可能性も頭をよぎりました。

何だよ!たかが大学受験の失敗かよと、カタルシスの喪失というようなタイトルを掲げて随分小さな挫折だなとガックリきたかもしれません。
しかし、大学受験の失敗程度の痛手もときにはひどいダメージになります。私の高3時のクラスメートは2浪でも全落ちし、3浪が決まって2ヶ月後に心臓発作で亡くなってしまいました。私もだらしないはなしですが、2浪が決まってしばらくは迷走状態に陥ってしまい、進学はやめて、音楽学校にでも通って(金は全然なかったです)ミュージシャンになろうかとか、考えが二転三転バラバラかつフラフラまとまらず、夏には、人生で初めて神経科に通院する展開になった程でした(余談的に結果まではなしますと、9月あたりに、もう一回受験してみようかという方向で、ようやく気持ちがまとまり、秋の最中に、1浪のときわけもわからず頭にたたきこんだ事柄が不思議と有機的にまとまりだし、1浪時に受けた模擬試験で、どこを志望校に選んでもひたすらE判定だった私が、早稲田でもC判定が出るようになり(まったく何の自慢にもなりませんが)結局行くことになった大学はA判定が出るようになりました)
随分はなしが脱線してスミマセン。

軌道修正しましょう。

カタルシスの見通しが悪くなるのは色々なシチュエーションでそれが考えられます。
事業や恋愛の失敗をしてもうつ病のような失調に陥ることもあるでしょうし、刑事事件で逮捕されて犯罪者などのマイノリティへ転落したり、重いハンデを背負ったり、家族や自分が不治の病にかかったり…
このカタルシスの見通しが悪い状態は、しばし文学にも描かれます。うつ病になったという結果を招いたわけではありませんが、ヘミングウェイの「老人と海」もカタルシスの見通しに関する悲劇のひとつでしょう。
努力目標的な生活は大抵の場合「成就」「成功」「今よりよい人生を手に入れる」などの何らかのカタルシスを無意識的にでも想定している場合が多いでしょう。しかし、ある時、何らかのきっかけでカタルシスの見通しが崩れたり悪くなったりすることもあるのです。
卑近な例になってしまいましたが、わたしの1浪時に全落ちして、まったく予定になかった2浪をするはめになったという、ハタから見れば多分大したことない挫折について書きました。まぁ、今から見ればホント全然大したことじゃなかったかもしれませんし、2浪とかでどうにかなったんで、私の場合まだマシだったのかもしれません。私の場合、絶対東大、早稲田主義とか確たる理想もなかったんで、3浪とかそれ以上にならなくてホントによかったです。
はなしが逸れてしまいましたので、また元に戻しますと、努力目標的な生活をしていてカタルシスの見通しが悪くなりますと、しばし努力や真面目さが足りなかったからだと、さらに自分をむち打ちます。しかし、そこで、どうにかまだ頑張り続けられるくらいの失調であれば「プチうつ」の範囲内かもしれません。ですが、学校や仕事に行くとか、あるいは家事その他、日常フツーにやってることの遂行にも支障をきたすレベルになりますと、これは完全な「うつ病」になります。

これ以上文が長くなりますと、また読者の疲労が予想されるため、今回のおはなしはこの辺で切り上げましょう。

今回は、「うつ病」が発生するメカニズムのひとつ、カタルシスの喪失について、大したことないかもしれませんが、私の受験時代の失敗について書きました。

次回以降もさらに「うつ病」について、はなしを進めていく予定であります。

今日はここまでと致します。

ご一読ありがとうございました。

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