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政治はどこまで避けて通れるのか

選挙の投票率は相変わらず低いですね。

自分の居住選挙区にそもそも推したい候補がいなくて、さりとて自分が立候補もできないという理由もあるでしょうが
日本の庶民の多くって、政治アレルギーがあるのかもしれません。

政治なんかには、極力関与しないで一生をできれば終えたい人が多いのかもしれません。

かく言う僕もそのひとりです。


山本太郎のYouTube動画を見てました。

85歳で万引きをやらなければいけないおばあさん

おじいちゃんのような年齢の人が、コンビニのカウンターに立ってたり、搬入物の出し入れをしていたりするのは、これは政治の問題ではないか、というはなしでした。

もちろん、高齢の方がそういう仕事に従事して、かえって元気や健康が保たれてることがないとも言えないけど

僕らは、死ぬまで資本主義競争に、それもあまり望まぬ形での資本主義競争に従事しなければいけないのか

いや、ある種の職は、もう外国人労働者にどんどん任せてる。

先日、近所で、古い民家の解体作業が行われていたが、作業をやっているのは全員外国人労働者だった。

そのうち、この種の作業は、(純)日本人の中にはそのノウハウを知ってる者がいなくなるのではと思った。

ロシアとウクライナの戦争で、物価が高騰し、個人でやってるお弁当屋などが、価格に転嫁できずに廃業というようなはなしはあちこちで聞いてると思う。
しかし、そこそこいい生活を享受してるサラリーマンなどの組織人には、まだ彼岸の火事でしかないのかもしれない。

こんな状況になっても、与党の党首は、敵基地攻撃能力を高めるため、消費税を上げるとかのたまっている。
悲願の改憲を成し遂げると言っている。

こんな状況になってすら、僕の本音を言えば、それでもまだ政治などは避けて通りたい。

政治などは、極力避けて通って、楽しく気持ちのいい暮らしをしたい。

ネットカフェを渡り歩くしかない若い人のはなしが話題になったのはずい分前だけど

今日の、政治の問題の何割かは
それは、個人責任の問題なのか?
その人の個人責任で放置してよいのか?
というはなしなのかもしれない。

派遣バイトなんかをやって、年金を収めるのを全額免除で通ってるような収入の自分は、誰かを助けるより、むしろビミョーに救済の対象なのかもしれない。

こんな状況になっても、まだクリエーターとして自活したいなどと、個人的資本主義競争で個人的に生き残ることを目指してる自分がいる。

こんな状況になっても、資本主義競争を手放そうとしないクリエーターって一体何なんだ?って疑問も正直わくけど

政治を避けて通る限界みたいなものをたまに感じることもある最近です。

人のせいにするな!

社会のせいにするな!

それも、一種の正論だとは思います。

しかし、それはホントに個人責任なのか?

個人責任で放置しておいてよいのか?
という別ベクトルの正論もまたあるのではないでしょうか?

すべてのことは、あるがまま、なるようにしかならないのでしょうか?


(あとがき)
こんな文を書いていたら、気持ちの悪い地震がありました。
そこそこの揺れだったと思います。
そんなはなしはどうでもいいかもしれませんが
最近、資本主義競争にのめり込もうとすると、どこかでブレーキがかかる自分がいます。
でも、将来のどこかの年齢でもし干上がってしまったら、それも自己責任になるのかななんて考えてしまう自分がいます。
こういった、愚にもつかぬ、抽象的・観念的な思考をするより、もっと金になるような活動に従事した方が、資本主義的にはプラスなのはわかっているのですが、でも、いま考えてることを、飾らず忖度なしに提出してみることにしました。

結論のハッキリでない文章におつきあいいただきありがとうございます。

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是非、よろしくお願いします。

政治を避けて通るのには限界があるのでは?というはなしでした。

それらは、個人責任なのかというはなしでした。



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