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誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える⑨

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感(HSP気質)だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

このnoteは

からの続きです。
登場人物
わたし:ibitsu
だーさん:今年6月、ある本屋のイベントで知り合った同世代異性の友人。
興味のあることが近いので、月1~2回外や我が家で(外遊びはお金がかかるので)遊ぶようになった。



前回『自分の気持ちを伝えて、もしも「だーさん」に変化がなければ』と書いたことについて、考えてみる。

「人は変えられないが自分は変えられる」という言葉。

2021年に書いた
続・娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」お母さんを探しに行く、編 の中で

『相手を変えるより自分が変わる方が早い なんて言われて、もっと我慢が必要?じゃぁこっちがイライラすればいい?』

という問いから

『変えるべきは目の前でイライラしている誰かでもわたしの行動、でもなくていつもの通りいつものルートを辿って、昨日と同じように自分を責めるモラハラ思考なんじゃないか。』
という結論にたどり着いた。


けれども今回
「わたしが不安になる」と伝えた先には「あなたに変わって欲しい」が明確にあったし「だーさん」もそう受け止めたんじゃないか、と思う。(変わるか変わらないかはさておき、変わって欲しという意図は伝わったかと思う。)



それは正しいこと だったのか。



わたしの希望(理想)が全てでないことはわかっている。
「だーさんが」にとってそれが難しいことなら、前回書いたように

『書いて伝えるのはどうか。
パペットで腹話術をしてみるのはどうか。』

そんな風に歩み寄る気持ちはある。
でも何もかもが受け入れてもらえないのだとしたら



友達ではいられない。
そういう風に「自分を変える(関係を変える、断つ)」を選ぶことになるだろうと思う。


だからその前に、自分の気持ちを伝えた(説明した)ということは
わたしにとっては「正しいこと」だったと思うのです。


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