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45歳から身に着けた 「本を読むこと」読書習慣をつけるためにしたことしなかったこと「読まない」編

5年前、言葉を覚えることを目的に本を読み始め、気が付けば毎日読んでいます。2022年後半からは、小説も読めるようになりました。
2023年ようやく「そこそこ読んでいるのでは?」ということに気が付き、noteで記録してみることにしました。
それから1年が経った今、読書の習慣を振り返って
45歳から身に着いた「本を読む」こと、を書いてみます。

このnoteは

から始まる、45歳から身に着けた 「本を読むこと」についてのお話です。



2つ前に書いた「本を読むために決めていること
の中から今日は

「読まない」について解説します。



読書の習慣をつけた経緯について書いているのに、このタイトルはどういうこと!?という感じではあるのですが・・
例えでも別の意味があるわけでなく、ちゃんと「読まない」です。
が、その前に3つの言葉が付きます。それは

無理に・全部・真面目に、です。ではご一緒に。さんはいっ

無理に「読まない」
全部「読まない」
真面目に「読まない」
Excellent!

3Y(読めない・読まない・読みたくない)だった頃のわたしには
読書 = 読了(すべて読み切ること)

という思い込みがありました。
でも「読書とは」と調べてみると「本を読むこと」とは書いてありますが、「最後まで」とも「読み切ること」とも書いていません。


例えば語学を学ぼうというとき、はじめはA・B・Cから。
楽器を始めようというときは、ドレミから。
まずは楽器に触れることから。動画を観ることから。
音を聴くことに慣れ、音を出すことに慣れ
そんな風に少しづつ練習していきますよね。
最初から「運命」という曲すべて、楽譜も見ずに弾けないのならば「ピアノを弾いている」と言ってはいけない!なんていうことはないですよね。

それと同じように、本を読むことにだって
タイトルだけ、もくじだけ、前書きだけ、気になる項目だけであっても「読んだ」と認識していいと思うんです。(ただし基準の違う誰かに言えば「それは読んだとは言えない」と返され認識がぶれるので、黙っておきましょう。誰に認めてもらわずとも、自分が「そうだ」と思っていれば、自分だけが認めていればいいのです。)

難しい言葉や漢字が出てくるととたんに読む気が失せるなら、その言葉を飛ばして読んでみます。
確実な理解がなかったとしても、前後の文脈からなんとなくわかっている風に読み進めることはできます。
登場人物が多く覚えられなくても、遡らずにそのまま読みすすめるとそのうち「あ、これあの人か」となることもあります。
(結局最後まで思い出せないこともある。)
それがだめなら、その時点で読むことをやめていい。

そういう読み方に最初は気持ちの悪さを感じますが、そのうち慣れます。
「慣れ」を獲得するまでは「この気持ち悪さを抱えてみる」と自覚しながら読み進めていると、いつか「途中でやめることも読み飛ばすことも気持ち悪いのも当たり前」になります。当たり前は、何も感じないとも言えます。それを目指します。

それでいいんです。最初は。
読むことが習慣になれば、読み方はどんどん変わるし変えられます。(忘れなければ・・いずれ書きます。)

読書とは「全部読むこと」ではなく
小説なら物語を楽しむこと。
実用書なら知らなかったことを知ること。知識を得ること。
楽しめる部分だけ、知りたい箇所だけ読んだことを「読書」と分類してもいいんです。(と、かつて己に言い聞かせていたことを書いています。)


図書館に通い始めたころ、予約本を受け取るとその場ですぐにパラパラとめくってみて、読めそうにないなと思ったら目次だけ読んで「読んだ」と認識し、持ち帰ることなく返却ポストに投げ入れました。(さすがにカウンターで返すのは恥ずかしかった。)

今はそういうことは減りましたが、それでも
フォントが苦手 とか 行間や文字の大きさが読みにくい とか 内容以外の好みの面でも読む読まないをかるーく選んでいますし、内容が気分に合わないと思えば、最初でも途中でもやめて別の本を手に取ります。
今は、3Y(読めない・読まない・読みたくない)だった頃己に課していた「全部読まなくては」という深刻さはありません。

前回も書きましたが、日本では毎年7万点もの本が出版されているそうです。毎年!新しい本が7万点です。
自分に合う本がいつかきっと見つかります。

本を読み何年か経った頃、苦手だった小説を読んでみようとまずは短編を選びました。が、初めて最後まで読めた小説は短編ではありませんでした。
そしてたくさんの本(自分比)を読んだ今「短編が苦手」だということがわかりました。(理由はわかっていません。)
短いものが読めないのに長編が読めるわけがない!と決めつけていたら、今小説が読めていなかったと思います。

それもたくさんの本(自分比再び)を読んで、内側を観察し比べたこと(観察とは事物の現象を自然の状態のまま客観的に見ること。できなかったことを責めることではない。)でわかった読書における自分の特性です。

だから自分の読書特性がわかるまで・・
いや、わたしは今でも、本を読むことを嫌いにならない
「積極的(前向きな)未読」「いい加減読書法」を採用しています。
その記録がこのシリーズ2回目の
2023.2~2024.2までに読めなかったもの
です。

しかし積極的な未読を採用しても前回書いたように、読まなかったものが家にあると多少の罪悪感がわいてくるので、図書館を利用します。
無料で利用できるからこそ

無理に「読まない」
全部「読まない」
真面目に「読まない」

自分を許すことができたのだと思います。

読了しなかったものは、これでも少なくなったほうです。
読み始めのころはもっともっとたくさん、返却していました。
たくさんの本をいい加減に読んで、自分の読書特性や好みの傾向が分かってきたことで短編小説を選ばなくなり、読まずに返す本が減った。
そんなカラクリだと思っています。


以上のことを罪悪感を持たずに繰り返し
読まないことで 読むことに慣れていく
長い時間をかけて、自分の脳に身体に「一部読むということも、全部読まないことも当たり前」ということを覚えさせました。




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