45歳から身に着けた 「本を読むこと」読書習慣をつけるためにしたことしなかったこと「買わない」編
このnoteは
から始まる、45歳から身に着けた 「本を読むこと」についてのお話です。
前回書いた「本を読むために決めていること」
の中から今日は
「買わない」について解説します。
わたしは本をあまり買いません。(本屋さん出版社さん、ごめんなさい。)
理由は、買うと読めないからです。読書をはじめて5~6年、未だにです。
では何を読んでいるかといえば、図書館の本です。
もちろん無料で借りて読んで返却しています。
買うと読めず、借りれば読める最大の理由は
借りたものには「返却期限があるから」だと思っています。
本が読めなかったころにも、本を買ったことがあります。
本屋に行く、本を選ぶ、そして買うということに憧れの気持ちがありました。
有名な賞をとりSNSで話題になっている作品。
「普段本を読まないわたしでも面白くて1日で読めた!」なんていうつぶやきがたくさんの「いいね」を集めています。
そのストーリーなら興味が持てる。
Amazonでの評価も確認し、いかにも読書好きなわたしをかもしながら本屋へ行く。
目当ての本があっさり見つかってもすぐには買わない。
あれもこれも見て、その上で選んだのだという、読書好き風の演出もしっかり。
そして本を買ったという高揚感を維持したまま家に帰りさて読もう!・・と思うものの、数ページであっ!という前に挫折。
いや、開いたかどうかすら定かでない。
「いつか読むかも」といつでも目に入る場所に、手の届く場所に置いていてもやっぱり読むことができません。
読書好きを演出してまで買った、お金をかけてまで手に入れた本が読めなかった。
やっぱりだめなんだというがっかり感と、無駄な演出に酔った恥ずかしさに自分を責めてしまいます。
その点、図書館の本は期限がくれば返却しなければならない。
だから、読める・・と、いうこともないわけではないのですが
返却期限という崖っぷちに立たされたことで読めた!なんて、そんな単純なことだけじゃぁないんです。
その最大の利点は
いつでも目に入る場所に、手の届く場所に置いていてもなぜか読むことができない自分を責めずに済む、ということなんです。
本が目に入るたびに「やっぱり読めなかった」ということを確認させられれば、本を読むという選択肢がいつの間にか人生の中から消えてゆきます。
興味がある分野の本でさえ、評価が高く普段は本を読まない人でさえ読めたという本が、わたしには読めない。
読めない人が読めない本を手元に置いておくことは「できないという思い込み」を強めるのです。
借りたものなら返却してしまえば罪悪感を感じる時間は消えます。
そのために「買わない」を選んでいるのです。
日本では毎年7万点もの本が出版されているそうです。毎年!新しい本が7万点です。
ジャンルだって
ミステリー・ファンタジー・SF・恋愛・ホラー・エッセイ・絵本・児童文学・童話・詩集・短歌・俳句・戯曲・映画原作・図鑑・評論・ ノンフィクション ・ビジネス・経済 ・歴史・地理 ・政治・社会 · 芸能・エンターテインメント・アート・建築・デザイン・ 人文・思想・宗教・自己啓発・スピリチュアル・言語・辞典・参考書・漫画・写真集・インテリア
もっともっと、たくさんあります。
読書の習慣を手に入れた今思うことは
そんなにたくさんの中から、自分に合った本がすぐに見つかるわけがない、ということ。
読める本が見つかるまで
自分の好みや傾向がわかるまでは
読めなくたって当たり前。
だから買うではなく、まずは図書館を利用してみるということが有効だと思うのです。
おまけ。
もうひとつわたしが本を買わない理由は「終活の一環」でもあります。
わたしが命尽きたあと、その後の始末はどうしたってひとり娘が負うことになる。
ひとりっこ同士だった両親が、それぞれの親の介護や後始末をする大変さを見てきたわたしは、本も服も調理器具も雑貨もできる限り必要な分だけを心掛けたい(希望)。
また、わたしにとって本を買うことは
好きな本屋さんや古本市や旅先で、店主とのコミュニケーションをふくめたとっておき。そんな位置づけなのです。
※購入を避けることを勧めているわけではありません。
図書館利用のデメリットも、どこかで書く予定です。
続きはこちらから。
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