DELIC RECORDS/イシヤマヨシアキ

『創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です ― 与謝野晶子』 …

DELIC RECORDS/イシヤマヨシアキ

『創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です ― 与謝野晶子』 HP : http://www.delicrecords.net

マガジン

最近の記事

DJ FOOD / Raiding The 20th Century (A History Of The Cut Up)

2004年1月18日、DJ FOODことStrictly KevはロンドンのFM局〈XFM〉『ザ・リミックス』番組でオリジナル・ミックス『Raiding The 20th Century』を初披露した。 それは、21世紀における前衛的なテープ・エディットやターンテーブリストなど、エディット&カットアップ・ミュージックの歴史をカタログ化する40分間の試みだった。 Music Concrete, avant garde ,tape experiments, megamixes

    • 「British Hustle」制作インタビュー

      石山:Brit Funkをテーマにしたミックス「British Hustle」を作るきっかけは? 松本:パンデミックで(アメリカへの)買い付けの回数が減った分をオンラインでの仕入れで補おうという局面がありまして。アメリカで知り合ったイギリス人レコード・バイヤーがいたのでその人に連絡とってみたところ(レコードを)何箱か送ってくれて買いました。最初はレゲエを仕入れてたんですけど、オマケで何枚かつけてくれていたのがジャズ・ファンク系のレコードでした。で、そのレコードがおもしろかっ

      • 不良ラップを創出した男。SCHOOLLY D①

        約40年前、1枚の12インチ・シングルが街角リリースされた。シルバーに黒文字で描かれた手書きのグラフィティー(というには可愛すぎるが)。シンプルなTR -909のビートと荒いスクラッチ、「そこの彼女、街角の怪しいものには手を出さないで僕のメルセデスに乗りなさい」とラップされる不良のための楽曲だった。 ラッパーの名前は、スクーリーD(本名はジェシー・B・ウィーバー・Jr.)。西フィラデルフィア出身。 フィリーの地元紙(?)〈City Life〉によれば、彼が少年だったとき、

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        • Make G,Baby Bam,DJ Sammy B,,,Jungle Brothers!!

          今年でヒップホップも50歳。NYでは毎日お祭り騒ぎ。そんなヒップホップの黄金期は90年代。その黄金期突入のきっかけのひとつにジャングル・ブラザースの存在があった。 ジャングル・ブラザーズは、ブロンクスの高校時代の友人だったナサニエル "アフリカ ベイビー バム" ホールとマイケル "マイク G" で結成された。そして、 マイクは家族の友人である DJ サミー B を加えチームは完成した。 ブロンクスを地盤にしていたアフリカ・バムバーターやDJジャジー・ジェイに師事しレッド

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        DJ FOOD / Raiding The 20th Century (A History Of The Cut Up)

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        • The extended外伝
          17本
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        記事

          SkitとInterludeとPrince Paul②

          88年に西海岸でも「スキット」が生まれていた。11月にリリースされたコンプトン出身のラッパー、キングTのアルバム『Act A Fool』に収録された「Baggin' on Moms」だ。この「スキット」は相手の母親をコケにしまくるダーティーな寸劇だ。 話は逸れるが、このエピソードは、西海岸はファンク、東海岸はジャズから影響を受けていたことを実証した(90年代の話)。 その後、90年代に入りヒップ・ホップはポップ・マーケットのキングとして君臨した(今もなお)。ウータン・クラ

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          SkitとInterludeとPrince Paul②

          SkitとInterludeとPrince Paul①

          パブリック・エネミーのラッパー、チャックDはこう言った。 「ラップはブラック・アメリカンにとってのCNNだ」。 ラッパーたちは彼らの日常をベースにリリックを書く。それはフィクションでもありノンフィクションでもある。N.W.A.やスヌープドギードッグ、ウータン・クランのようにキャラクターに寄せるリリックもあれば、アルバムのコンセプトに沿ったリリックにすることもある。 リリック、キャラクターとコンセプト。ラップのアルバム作りには欠かせないテーマだ。 そんなラッパーのキャラ

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          SkitとInterludeとPrince Paul①

          Ego Trip Magazine

          90年代初頭。海の向こうでは、ランDMC「ウォーク・ディス・ウェイ」の世界的ヒットでヒップ・ホップがポップスのひとつとして認知され、常にチャート・インするジャンルへと成長していった。いわゆるゴールデン・エラだ。 国内でも、ヒップ・ホップはお茶の間にこそ届いていなかったが、街角には専門のショップができはじめミックス・テープが溢れ、ヒップ・ホップに影響を受けたファッションをまとう若者が闊歩し、週末ともなればDJやラッパーがクラブでイベントを開催し人気を集めていた。そう、マグマ沸

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          「1984」マスターミックス!! マツモト・ヒサターカー・インタビュー Part.2

          「1984」マスターミックス!! マツモト・ヒサターカー・インタビュー Part.2をお届けします。 Q20.自由に制作する。自分の価値基準でしかない。それこそ職人ですかね?ちなみにアナログ・トゥ・アナログなのでミックス・テープの音が太いような気がするんですよね。 職人はちゃんと商売もできる人のことやと思うんで職人ではないですね。ただの趣味です笑。音が太いってのは狙ってはないですね。そう聴こえたら聴こえたで良いんですが。 Q21.この企画に関しては趣味ということで笑。僕

          「1984」マスターミックス!! マツモト・ヒサターカー・インタビュー Part.2

          「1984」マスターミックス!! マツモト・ヒサターカー・インタビュー Part.1

          2016年、一本のミックス・テープがリリースされた。タイトルは「1984」、内容はオープンリールを使ったテープ・エディットによるマスターミックスだ。それは、80年代にニューヨークのFM局において、ディスコ〜クラブDJやエディターによるDJミックスをオンエアする番組〈マスターミックス・ショー〉へのオマージュだった。 制作者はマツモト・ヒサターカー。京都でヴァイナル7レコーズを営むかたわら、DJ、プロデューサー、マスタリング・エンジニア、エディター、そして、AYBフォース・メン

          「1984」マスターミックス!! マツモト・ヒサターカー・インタビュー Part.1

          アーティストとコレクターとレコード会社

          90年代後半からMP3フォーマットのポータブル・プレーヤー・アプリにはじまり、03年にアップル社によるITunes(そのちょっと前には悪名高いNapsterがあった)がリリースされると一気に音楽のデジタル販売が世界規模で広まっていった。さらにサブスクやストリーミング・サービスがリリースされ音楽は所有するものじゃなく共有するものだというパラダイム・シフトが起きたのは周知の事実。 そのパラダイム・シフトが過去の遺産を呼び起こした。それまで隅に追いやられていたアナログ・レコードの

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          アーティストとコレクターとレコード会社

          The Wheel Of Steel T-Shirts

          DJによるDJのため2ターンテーブルとスクラッチで編み上げられた人力メガミックスのマイルストーン「ザ・アドベンチャー・オブ・グランドマスター・フラッシュ・オン・ザ・ホイール・オブ・スティール」。 81年、このレコードが流通したことで、世界中のリスナーにグランドマスターフラッシュ(=DJ)の存在を知らしめ、ターンテーブル・ミックスの実践を即した。現行のDJプレイで日常的に行われているターンテーブル・ミックスを突き詰め楽曲にまで昇華させた。それは大袈裟でなくポップ・ミュージック

          The Adventure Of GRANDMASTER FLASH on the wheels of steel②

          本〈そして、みんなクレイジーになっていく〉から引用する。 1978年末、ファヴ・ファイヴ・フレディーは初めてグランドマスター・フラッシュとフューリアス・ファイヴのパフォーマンスを見た。ショーの後、ローワー・イースト・サイドのスミス公営住宅コミュニティー・センターで、彼はメリー・メルと話した。 ファヴ「よお、おまえ、こいつはすごいぜ。わかってんのか?おまえらレコードを出すべきだよ」 メリー「そんなもん誰が買うんだよ!」 ファヴ「少なくともこういうパーティーに来てる奴らは

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          The Adventure Of GRANDMASTER FLASH on the wheels of steel②

          The Adventure of GRANDMASTER FLASH on the wheels of steel①

          2016年にネットフリックスで公開されたドラマ「ゲット・ダウン」。巨匠バズ・ラーマンが監督を担当、約1億2,000万ドルという破格の制作費を費やし製作されたTVドラマだ。 70年代後半のブロンクスを舞台に、ヒップホップがいかに生まれたのか?をドキュメンタリー・タッチで描いたもので、その主人公達のメンターとして登場するのがグランドマスター・フラッシュ。もはや説明不要だろう。クール・ハークやアフリカ・バムバーターと並ぶヒップホップDJの始祖だ。 デヴィディーズヒップホップコー

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          The Adventure of GRANDMASTER FLASH on the wheels of steel①

          The Dominatrix Sleeps Tonight

          ドミネイトリックスをご存知か?直訳するとSMの女王。これがこのユニットのコンセプトとなっている。楽曲も然り。その首謀者は、スチュワート・アーガブライト。 70年代後半にパンク・バンド、ザ・ルードメンツでデビュー。その後、ポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ、ノー・ウェイヴ、アヴァンギャルド〜エレクトロ〜ヒップホップを複数のユニット(FutantsIke Yard、Death Comet Crew、Ike Yard、Black Rain、Voodooists、Will To Po

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          Disco King Marioについて

          1971年、ディスコ・キング・マリオはブロンクスの著名なDJのひとりだった。彼は優れたサウンド・システムと音楽、楽しい時間が大好きなことで知られていた。しかし、当時のブロンクスはギャングと暴力が蔓延、街は空爆されたかのような荒れようだった。そんな時代にブロック・パーティーをはじめたマリオは、ディスコ・キングとして近所のファミリーから汚れたギャング達まで至るところで尊敬されていた(彼は喧嘩も強かったらしい)。当時のブロック・パーティーではDJがキングだった。これがヒップホップの

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          Marley MarlとPhrase Sampling

          マーリー・マール。この名前を聞くとミスター・マジック「ラップ・アタック」、ジュース・クルー、L.L.クール.J「ママ・セイ・ノック・ユー・アウト」、FMステーション〈ホット97〉の「フューチャー・フレイヴァー」、ビギー・スモール「ジューシー」を思い出す人は多いはず。それは世界中にいるヒップホップ好き(おじさん)の共通項だ。 そして、昨今流行しているブーン・バップ・ヒップホップのルーツを辿れば90年代のプロデューサーら(プレミアなど)の作品になるんだろうが、その奥にはマリー・

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