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Marley MarlとPhrase Sampling

マーリー・マール。この名前を聞くとミスター・マジック「ラップ・アタック」、ジュース・クルー、L.L.クール.J「ママ・セイ・ノック・ユー・アウト」、FMステーション〈ホット97〉の「フューチャー・フレイヴァー」、ビギー・スモール「ジューシー」を思い出す人は多いはず。それは世界中にいるヒップホップ好き(おじさん)の共通項だ。

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そして、昨今流行しているブーン・バップ・ヒップホップのルーツを辿れば90年代のプロデューサーら(プレミアなど)の作品になるんだろうが、その奥にはマリー・マールの作品がどっかと鎮座している。もちろん、DJプレミアをはじめRZA、ピート・ロックら有名ヒップホップ・ロデューサー達もその影響を公言しているのがその証拠。彼は今もなおヒップ・ホップ界のメンターとしてシーンのトップに君臨しているのだ。彼のプロフィールについては情報が溢れているので検索していただきたい。

彼のヒップホップ界に対する功績は計り知れないが、1番は、フレーズ・サンプリングの発見だろう。

ドラム、スネア、ハイハットとパートごとに単音で抜き出し、あるパターンを打ち込んでループさせる。彼の発見したフレーズ・サンプリングという手法が、ヒップ・ホップをバンド・サウンドから打ち込みのマシン・サウンドへと変換させ、90年代のヒップ・ホップ・ゴールデン・エラを形成する源となった。そのヒップ・ホップにおけるプロデュース・ワークの本質は今も変わらない。

彼はどうやってフレーズ・サンプリングを発見したのか?!その答えを、本人が顛末を語ったレッド・ブル・アカデミーのロング・インタビューからエディットした。

「知ってるよ」ってかたはページを閉じてください。「今更なに言ってるの?」ってかたは、そう言わずに基本に立ち返るつもりで読んで欲しい。なお、この記事は、レッドブル・アカデミー、マーリー・マール・インタビューを抜粋し掲載しているので気になるかたはフル・ヴァージョンでご覧ください。

●自身がプロデュースワークを開始したときの気持ち

私は自分自身をプロデューサーだと思っていなかった。あくまでDJでありリミキサーだと思っていた。だから、最初の作品(ロクサーヌ・シャンテ「ランナウェイ」のことだろうか?)でプロデューサーとクレジットされたときは驚いた。

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自分はDJなのにと。だから、レコード会社とクレジットでもめた。私はDJだと笑私が、スタジオにいるときは、ただいい音楽を組み合わせていただけだった。あくまでDJという立場でそこにいた。DJのためにリミックスを作って自分のためにDJツールを作っていた。それがやがて他のDJのツールになった。最初の頃のDMCバトル(レコード)を聴くとほとんど自分の曲が取り上げられている。それは自分のものがDJツールとして広く使われている証拠だった。DJ達が向上できるようにツールを与えていただけだった。だから、自分のことをプロデューサーだとは思っていなかった。ただ、少ないネタでどれだけファンキーなものができるかというのは頭にあった。自分の初期の作品の多くにはジェームス・ブラウンが基礎として使われている。なぜならDJをしていてジェームス・ブラウンをかけると人々は夢中になるのを知っていたからだ。

●サンプリング発見をしたときのエピソード

私はユニーク・スタジオでインターンとして働いていた。そこに、フェアライトがあった。当時10万ドルもする高価な機材だ。私は、キャプテン・ロックのレコーディング・セッションの現場にいた。「コズミック・クルー」セッションだった(「コズミック・クルー」という曲はない。「コズミック・ブラスト」とインタビュアーのチャーメン・マオが訂正するも、マーリーはその曲のB面だという。B面は「コズミック・ブラスト」ダブ・ヴァージョンだった)。

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そこで、アート・オブ・ノイズ「ビート・ボックス」をサンプリングしたんだ。「ア〜」という音だった。そのレコードで自分が得たい効果を出すためにやったのさ。それ以外に別のものをサンプリングしようとしていたんだけど、欲しい音の直前にスネアの音が入ってしまった。スピーカーから来る音に合わせて自分のサンプリングの音を再生していたら、自分のサンプリングに入ったいたスネアの音の方がいい音に聴こえたんだ。エンジニアに元のスネアの音を下げてもらい、自分のサンプリングしたスネアの音を合わせてみたんだ。私はエンジニアに「今なにが起きたかわかる?」と聞いたら「間違えてスネアの音をサンプリングしたんでしょ?」と言われたんだ。

そういうことではなく、どんな既存の音源からでも、ジェームズ・ブラウンの音源からでもドラムの音をサンプリングできる証明になったわけだ。

サンプリングは元々短い音の断片に過ぎなかった。決して3分間とか30秒のループだったわけじゃない。そんなものは当時なかったしサンプリング自体が高価な作業だった。だから、1.5秒の尺でスネアをサンプリングして、次にまた1.5秒の尺でキックをサンプリングして、0.5秒でハイハットを、、、そうやってやるしかなかった。それが初期のサンプリングだった。だから、自分であのキックとスネアをサンプリングして自分のビートを作ったときに、ヒップホップ を変えることになったんだ。

●アリーム「リリース・ユア・セルフ」セッションについて

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アリーム「リリース・ユア・セルフ」。これはアート・オブ・ノイズからとったスネアだ(フレーズ・サンプリングを発見したときのもの)。でも、少しEQしてある。それにコンプもかけてある。サンプラーに関してはこの手法を初めて実験した結果だ。このレコードでは好きにやらせてもらった。リリース・ユア・セルフと歌っているサビの部分が入っている、それはそれでホットだとは思ったけど。

●単音のサンプリングを発見した後日談

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あの日はオーディオ・ショップで安いサンプラーを買った。コルグのSDDだった。確か、1.5秒のサンプリングができたはずだ。デジタル・ディレイとサンプラーがついていた。裏にはトリガーがついてたね。ユニーク・スタジオで仕事をしていたのでいろんな人がトリガー機能を使っているところを目の当たりにした。とても面白い経験だったね。アーサー・ベイカーも使っていた。「A.E.I.O.U」でも使っていたね。彼らはすでにエレクトロニック・ミュージックをやっていた。人気が出るはるか前にね。思い出すね、トリガー機能を使ってリズム・マシンから自分のサンプルをトリガーできたんだ。これはMIDIなんかが登場する前の話だ。SYNCという機能があった。SYNCとPULSEを使っていた。リズム・マシンからPULSEを出してサンプルをトリガーするというやり方だった。それによってドラムのリズムを決めることができたんだ。

●初サンプリング制作楽曲。MCシャン「マーリー・マール・スクラッチ」

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このレコード入ってる音こそが初めてサンプリングしたドラム音なんだ。ここから全てが変わっていったんだ。考えてみればこういった音が出てくる前は、バンドがヒップホップ・ブレイクをそのまま演奏していた。よくないね。本当によくなかった。馬鹿にするつもりはないよ。単純によくなかった。初めてラップを聴いた時に自分の耳に入ったのはブレイクビーツのスクラッチ音だった。ファンキーな部分が衝撃的だったのさ。バンドにファンク要素がなければファンク系の曲を再現することなんて不可能だ。ー中略ー(下手なバンド・サウンドや打ち込みサウンドは)自分が初めてサンプリングを試みた「インピーチ・ザ・プレジデント」のようなインパクトもなかった。(ファンキーは)必要不可欠な要素だった。

ヒップホップの歴史を変えたサンプリン・グループ。その元となった単音サンプリングの発見。それはただのミスだった。なんの哲学もストーリーもなかった。自分がインターンとして働いていたスタジオで、インディー・レーベルからのプロデュース依頼に抜擢された、若いDJ兼プロデューサー候補の青年(マーリー・マール)が、フェアライトという高価な機材を使わせてもらいミスった結果。でも、プロならミスで済ませていた事柄に対してそれをミスと思わず採用した。

ここから私の勝手な意見だが、DJとしての経験から、ドラム・サウンドという音楽の肝(=音の強さやグルーヴ、ファンキーさ)に対して他エンジニアとは違う価値観を持っていたのかもしれない。だからこそ、単音サンプリングの凄さに気づけたのではないだろうか。マーリー・マールはインタビュー中に何度となく言った。

「ヒップ・ホップはジェームス・ブラウンによって生み出されている。これは確かなことだ」。

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レッド・ブル・アカデミーのマリー・マール・ロング・インタビューは、他にも、往年のビーフ・クラシックス、ブリッジ対決の原因や、影響を受けた楽曲、LLクールJセッションのエピソードなど面白ネタが満載のインタビューなのでお時間のあるかたはぜひ観てほしい。

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