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The Adventure of GRANDMASTER FLASH on the wheels of steel①


2016年にネットフリックスで公開されたドラマ「ゲット・ダウン」。巨匠バズ・ラーマンが監督を担当、約1億2,000万ドルという破格の制作費を費やし製作されたTVドラマだ。

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70年代後半のブロンクスを舞台に、ヒップホップがいかに生まれたのか?をドキュメンタリー・タッチで描いたもので、その主人公達のメンターとして登場するのがグランドマスター・フラッシュ。もはや説明不要だろう。クール・ハークやアフリカ・バムバーターと並ぶヒップホップDJの始祖だ。

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デヴィディーズヒップホップコーナーサイトでフラッシュは語った。

「私が魅力的だと感じたのは、ヒップホップ が他ジャンルの音楽を取り入れ、それを再構成して、その上に詩を載せることができるという事実だ。それがヒップホップ。私、バムバーター、 クール・ハークがこの種を植えたんだ」。

劇中でグランドマスター・フラッシュは、本人が確立した「クイック・ミックス理論」を展開する。「クイック・ミックス理論」とは、レコードへのマーキングによって、レコードを数学的に回転数でブレイクのピークに到達させること。ブレイクを探すことなく瞬時に頭出しができるため高速でレコードをミックス(=クイック・ミックス)できるというもの。それをバック・スピニング、ダブル・バック、カット、スクラッチなどを用いて実践した。今でいうセラトなどを使ったデジタルDJが画面で見ながらやることをすでにレコードで実践していたということになる、しかも、70年代中期にだ。

彼はよく自分のことをサイエンティストだと語る。それは、当時感覚的に行われていたDJプレイを理論的かつ実践的に機材改造を行なってきた自負があるからだろう。彼がやったことを箇条書きにしてみた。

ターンテーブルを改造しピッチコントロールのようなものをつけた。

ミキサーのクロスフェード・キューを開発した。

スリップ・マットを発明した(母親が仕立て屋で生地に詳しかったため、フェルト生地に辿り着けたと本人は語っている)

英ヴォックス社の手動式ドラム・マシンを改造した〈ビート・ボックス〉をDJプレイに取り入れた(このマシンは、バス・ドラム・キー、スネア、ハイハット、そしてハンド・クラップを備えていたらしい。「フラッシュ・トゥ・ザ・ビート」を聴いてみるといい)。

彼がヒップホップDJという文化を司どるサイエンティストだということに異論はないだろう。

デイリー・ビーストの記事にこう書かれている

「フラッシュは、166ストリートとティントン・アヴェニュー23パークのパーティーで「クイック・ミックス理論」をデビューさせた。ダンサー中心のパーティーでフラッシュがクイック・ミックスを初めて披露したとき、ダンサー達はとても混乱しフラッシュがなにをしているのか見るために踊るのをやめてしまった。それを見たフラッシュは失敗したと思った」。

また、本〈そして、みんなクレイジーになっていく〉にはこう書かれている。

「レコードのクライマックスをつなげて、ぴったりタイミングを合わせて、切れ目なく流し続けよう、それでみんな完璧に盛り上がる、そう思った。でも、それでやってみたらシーンとしちゃってんだ。みな演説でも聴いてるみたいだった。俺はすごく落ち込んだよ。すごく悲しかった。二日くらい泣いてた」

新しいことはすぐ理解されない。フラッシュはこの体験から自分のプレイをもっとわかりやすくするために、クール・ハークやバムバーターと同じようにマスター・オブ・セレモニーをつけることにした。

デヴィディーズヒップホップコーナーサイトでフラッシュは語った。

「最初のメンバーはカウボーイだった。俺は彼を「群衆を喜ばせる者」と呼んだ。2人目のメンバーはキッド・クレオール。3人目のメンバーは、キッド・クレオールの兄弟、メリー・メル。4人目のメンバーは、後にスコーピオとして知られるようになったネス、最後はラハイム。アシスタントのディスコBもいた。ディスコBは、今でも俺のアシスタントをやってくれてるし、彼自身クラブでも回してるし、俺のクラフトを完璧に手助けしてくれる楽器なんだ。」

先述したドラマ「ゲットダウン・シーズン1」の最終話を見ているような話だ。そして、クラブ〈ブラックドア〉、〈ディキシー・ルーム〉のレジデントDJや数えきれないほどのブロック・パーティーを開催していくうちに、グランドマスター・フラッシュとMC達の名前はニューヨーク中に響き渡ることになった。

本〈そして、みんなクレイジーになっていく〉にこう書かれている。

「1976年9月2日、彼らはマルコムXが演説を行ったハーレムの巨大シアター〈オードボン・ボールルーム〉を満杯にする(キャパは2~3000人)。ー中略ー「フロアがすげえ揺れてるんだよ。あれはほんと最高だった。あの翌日にはグランドマスター・フラッシュとフューリアス・ファイヴはヒーローになっていた。」

余談だが、彼が影響を受けたDJは、ピートDJジョーンズグランドマスター・フラワーというブロック・パーティーDJだった。彼らはディスコ・ミュージックをプレイしていた。そして、そのグランドマスター・フラワーとDCコミックのキャラクター「フラッシュ」(フラッシュの如くミックスが早かった)から名前をとってグランドマスター・フラッシュと名乗ったようだ。だから、彼のプレイはディスコ・ミュージックのDJプレイに影響を受けていた。私の記憶が正しければ、グランドマスター・フラッシュは〈パラダイス・ガラージュ〉でラリー・レヴァンのDJプレイを体験していたはず。一部で言われてるようにラップはファンクが基本でディスコを拒絶していたのではなく、むしろマンハッタンで花開いたディスコ文化をブロンクスの街角で当時のブロック・パーティーDJ達が再構築したと〈そして、みんなクレイジーになっていく〉に記述されている。

https://www.theguardian.com/music/2016/aug/07/the-get-down-baz-luhrmann-grandmaster-flash-hip-hop


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