見出し画像

SkitとInterludeとPrince Paul②

88年に西海岸でも「スキット」が生まれていた。11月にリリースされたコンプトン出身のラッパー、キングTのアルバム『Act A Fool』に収録された「Baggin' on Moms」だ。この「スキット」は相手の母親をコケにしまくるダーティーな寸劇だ。

キングTのアルバムがリリースされヒットした頃には、デ・ラ・ソウル『3 Feet High and Rising』のレコーディングが終わっていた。つまり、このふたつの「スキット」は同時多発的に発生し西海岸と東海岸でそれぞれに後続のラッパー達に影響を与えていった。

〈レッド・ブル・アカデミー〉「A History of the Hip Hop Skit」


これら世界初の「スキット」は、初期の東海岸と西海岸のヒップ・ホップの美的コントラストを強調している。キングTのダーティーさは、レッド・フォックス、リチャード・プライヤー、ルディー・レイ・ムーアのようなコメディアンや影響力のあるサウス・セントラルのコミック レーベル〈Laff Records〉に由来する。つまりファンキーであるということ。しかし、デ・ラ・ソウルのスタイルはコンセプチュアルでハイセンス。地下鉄で漫画を演じるような即興的寸劇であり、ゲーム番組、パノラマ映画、または自己認識型のパロディだった。それはまるでサイケ・ジャズのブリコラージュだ。

〈レッド・ブル・アカデミー〉「A History of the Hip Hop Skit」

話は逸れるが、このエピソードは、西海岸はファンク、東海岸はジャズから影響を受けていたことを実証した(90年代の話)。

その後、90年代に入りヒップ・ホップはポップ・マーケットのキングとして君臨した(今もなお)。ウータン・クラン、ギャング・スター、スヌープ・ドギー・ドッグ、Drドレ、エミネム、2パック、ノートリアスB.I.G.etc,,,。彼らのアルバムには必ずスキットが収録された。それは00年代まで続いた。

90年代以降、ミュージック・ソフトがレコード、CDディスク、MP3、ストリーミングへ移行するにつれて、音楽とリスナーの関わり方も変化した。当時はレコードやCDなどフィジカルでリリースされたものを手に入れシングル、アルバム単位で聴いた。今のリスナーの多くは、サブスクでシングルや楽曲単位でプレイ・リストを作りそれを聴く。アルバムよりシングル=楽曲重視の傾向にあるという。そのため、テーマ性に重点を置くコンセプト・アルバムを制作するアーティストは少なくなった。もちろんゼロではないが、アルバム・コンセプトを強調するために「スキット」を収録することは稀だろう。これからヒップ・ホップ界隈で「スキット」の全盛期が戻ってくる可能性は低いのではないだろうか(ただし、ショート動画で人気のTIKTOK界隈では重宝されるかもしれない)。

最後に、ヒップホップ/R&Bサイト【 moluv 】によれば、プリンス・ポールは「正直スキットは好きじゃない」そうだ。

「『3 Feet High and Rising』で初めて「スキット」を(アルバムに)収録したとき、『こいつはいいぞ。今後アーティストはオレのマネをするだろう』なんて思わなかった。好んであれをやったわけじゃないんだ。手元にある曲で1枚のアルバムに仕上げたかった。でも、あまりにも不揃いでね。それを落ち着かせるにはどうしたらいいかと思ってやったのがあの「スキット」だったんだ。そしたら、その後ヒップ・ホップ・アルバムに定着したんだ。オレ自身は人のアルバムにスキットがあったら飛ばすけどね。『何でこんなもん入れるんだよ』と思いながら」笑。

ヒップホップ/R&Bサイト【 moluv 】

一筋縄ではいかない男。プリンス・ポール。

余談だが、2015年に行われた〈XXL〉のインタビューにケンドリック・ラマーはこう答えている。

「僕は、ビギーやドレーとスヌープ、パックがやったのと同じようにスキットをやりますよ。」

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?