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アンノウン・デスティニィ 第22話「ノゾミ(3)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第22話:ノゾミ(3)

【西暦不明、鏡の世界、つくば市・ラボ前?】
 ざりっ。
 犬に飛びかかられると同時に、左脚に覚えのある痛みが走った。たぶん「時」か「世界」か、いずれかの鏡界を越えた。
 ぬるっとした何かに頬を舐められ、閃光に白く霞んだ視力がもどる。
 アスカの目の前にゴールデンレトリバーの顔があった。犬の肩越しにキョウカと目があう。キョウカが片頬をきゅっとあげ、にんまりする。アスカは左脚をさぐる。ズボン上からでわかりにくいが、ふくらはぎの側面に新しい痛みをたしかめる。これで傷は3つ。
「キョウカ、脚の傷は?」
「新しいのができてる」
「そう。じゃあ、成功ね」
 ゴールデンレトリバーのマズルを両手で包み「カイ、ありがとう」と礼をいうと、犬はぱたぱたと尻尾を振った。
 
「第三者からみて赤の他人にみえるふたり」が、同時にGPSポイントに達するためにどうするか。
 さまざまなアイデアが出ては消滅した。「犬の散歩」案でまとまるころには日が暮れかかっていた。これなら後方から距離をとっていても犬をけしかければ「不自然にみえずに突然走りだす」ことができる。サラリーマンと犬の散歩中の主婦に接点は見いだせない。
「犬はどうする?」瑛士がかんじんな点をまな板にのせる。
「ぼくの実家がゴールデンレトリバーを飼ってます」
 アラタがすぐに応じると、
「あ、カイね」とキョウカがいう。
「キョウカはそいつと面識があるのか。なら、散歩係はキョウカだ」
 
 アラタはつくば駅の南東にある森林公園の駐車場奥に軽トラを停めた。背後の遊歩道からゴールデンレトリバーを散歩中の初老の女性が近よる。荷台からすべり降りたキョウカはその女性、アラタの母親からリードを受け取り犬を連れて公園を出た。キョウカは白のクロップドパンツにサックスブルーのオーバーブラウスを羽織り、キャスケット帽を目深にかぶって顔の印象を消す。
 
 ハルニレが枝をのばし、通りにそって涼しげな緑陰をつくっている。
 通りは南に向かってわずかに下り、右にゆるやかにカーブしている。道の曲がる方向といい傾斜角といい、つい先ほどまでいたラボ前通りと同じだ。左右反転していないから、「世界」を越えたのではなく、「時」を越えたのだろう。その証拠に風景は少し違っていた。
 建設現場の白い安全鋼板の囲いも、現場に入っていくトラックの列も、重機の音もない。街路樹が通りのカーブまで延々と続きとぎれない。静かなたたずまいの通りがあった。
 いつまでも歩道に尻をついていては不審に思われる。サラリーマン姿のアスカはぱんぱんと尻を払って立ちあがり、あたりを見まわした。
 通りの先に門が見えた。ラボの入り口でないことは、門扉から明らかだった。デコラティブな曲線がデザインされた両開きの高くそびえる黒い鋳物門扉。忍び返しのついたテラコッタ色の高い塀に囲まれ、資産家の邸宅のようにみえる。塀は門の左右に50メートルほどずつ続く。個人の居宅とすれば豪邸といえよう。山際調査事務所の敷地も広いが、ここの半分にも満たない。
 その威風堂々たる門の右脇に細い通用口があり、白衣が背を向けて立っていた。女の子を抱いている。
「いた!」
「どこ?」キョウカがたずねる。
「あそこ。あの門の脇。女の子を抱いてる」ささやくように伝える。
 キョウカは立ちあがりながら、「すみませんでした。だいじょうぶですか」と犬の粗相をわびる飼い主を大げさに演じる。「だいじょうぶです」と視線は白衣に据えたままアスカも応じ、足早に歩きだす。
 抱かれている女の子がアスカたちのほうを指さすと、白衣の人物は女の子をおろし通用門の内側に消えた。
 キョウカがリードを手に犬と走りだす。アスカも人目を忘れて駆ける。
 女の子が御影石の門柱から顔だけのぞかせ、アスカとキョウカを手招きしていた。
 門柱には『アンノウン・ベイビー園』とプレートが嵌め込まれている。ここは、建設中だったアンノウン・ベイビーたちの保育施設か。
 通用門に駆け込むと、男の姿はすでになかった。また、まにあわなかった。落胆が疲労となって息があがる。
「アスカ、ちょっと見て」
 キョウカは守衛室の受付脇でカメラの死角に立つ。アスカは門に据えられているカメラを確認する。どれも動いていない。
「キョウカ、カメラが切られてる」
「カメラも? 守衛も眠ってる」
 アスカも守衛室を覗く。たしかに守衛が机につっぷしている。
「呼吸はあるから、眠っているだけね」
 たしかに鼻息が聞こえる。
「ここ」とキョウカが、机にだらんとのっている守衛の右手首内側を指す。動脈の上に針痕があった。
「白衣のしわざ?」
「かもね。おかげで、あたしたちも潜入できるけど」
「手首の内側っておかしくない? 相手に気づかれずに、こんな部位にどうやって」
 アスカが首をひねったときだ。
「お姉さんたち、早く、こっちよ」
 上部を平らに刈り込まれ厚い塀か壁のような植え込みの陰から、先ほどの女の子が顔をのぞかせアスカたちを呼ぶ。4歳ぐらいだろうか。セーラー襟のついたペールグリーンのワンピースを着ている。ウエーブのかかった鳶色の髪を頭頂部でハーフアップにしてリボンをつけていた。『不思議の国のアリス』のアリスみたいだと思った。
「バッグに白衣が入ってるんでしょ。それを着て。ワンちゃんも連れてきてね」といって手を振る。
 あらためて門の内側の光景に目をやって、アスカは感嘆とも驚嘆ともいえないため息をもらした。イチイかツゲだろうか。樹木がきっちりと方形に刈り込まれ、緑の塀をなしていた。ヨーロッパの庭園ではよく低木が幾何学模様に刈り込まれデザインされている。あのラビリンスガーデンのようだ。ただし緑の壁は高く、大人の背丈ぐらいはある。
「どうする?」とキョウカを振り返る。
「あそこしか入り口がなさそうだし、それにあの子しか手がかりがないんだから選択の余地なんてないじゃん。それより、あんたのこともお姉さんて呼んでたね。男にばけてんのに」
 そういえば。これまで男性に変装しても、日本人成人男子とかわらない身長があるため一度もばれたことはない。バスでも不審がられはしなかった。どうして、あの子にはわかったのだろう。
 門から守衛室までを緑の壁がぐるりと扇形に取り囲んでいる。入り口は女の子が手を振っているあそこだけだ。
「早く」また手招きし、くるっと背を向けラビリンスに消える。
 その背に見覚えのあるコウモリの羽のついたリュックを見つけ、
「えっ」アスカは驚きを声にする。バンクラボの格納庫に現れた少女と同じ……?
「どうしたの」
 キョウカが振り返る。女の子を追いかけようとはやる犬のリードを引っ張る。
「あの子のリュック、見た?」
「ああ、なんかコウモリの羽みたいなのがついてたね」
「バンクラボの格納庫で不思議な少女にあったと話したでしょ」
「画像に写ってなかった子ね」
「そう。似たようなリュックを背負ってた」
「その謎の少女もアウンノウン・ベイビー園の子?」
「かも」
「じゃあ、あたしたち15年くらい時をワープしたってこと?」
 ふたりは互いをまじまじと見つめあう。
 
 緑の壁の内側は、想像どおり迷路になっていた。それもかなり複雑な迷路であることが、すぐにわかった。通路は大人ふたり並ぶのがせいぜいなくらい狭い。そのうえ短い距離で折れ曲がっているため走ってもトップギアに至るまえにブレーキをかけねばならない。歩幅の小さい子どものほうがずっと敏捷に動ける。
「こっちよ」
「ほら、こっち」
 からかうように緑の蔭からひょこっと顔を出し手招きする。捕まえようとすると、さっと角を曲がる。アスカもキョウカも必死になるから、互いが行く手を阻みぶつかるはめになる。キョウカはゴールデンレトリバーののリードを持っているので、なおさらだ。ふたりと一匹がもつれあう。
「ねえ、あの子はなんで迷いなく走れるの」
「毎日、遊んで覚えてるんじゃない」
「かなり複雑よ、ここ」
 ふたりは肩をぶつけ、よろめく。
「アスカ、ストップ」キョウカがコマンドを出す。
「これじゃあ、あの子に翻弄されるだけ」
「遊びにつきあわされてるみたいだもんね」
「迷路は子どもサイズ。大人のあたしたちには不利よ」
「で、どうする。敵はあそこで、また、手をふってるわよ」
 緑の壁からうかがうと、ゆるく婉曲したT字路で小さな手がゆれている。
「同じサイズにまかせよう」
「どういうこと?」
「カイに追いかけてもらう」
 キョウカはリードをはずす。犬はリードから解放されるとわかったのだろう、尻尾をせわしなくふる。
「よし、カイ、つかまえて」
 バゥワン!
 アスカたちは、カイの金にきらめく尻尾の残像を追って走った。

(to be continued) 

第23話に続く。


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