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アンノウン・デスティニィ 第23話「ノゾミ(4)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第23話:ノゾミ(4)

【西暦不明、鏡の世界、つくば市・アンノウン・ベイビー園】
 そもそも、とアスカは思う。
 受精卵を追って勢いだけでこっちの世界に来てから、出口のわからない迷路をさまよっている、そんな感じがしていた。どこかで道をまちがえたのではないかという不安が胸に貼りついて離れない。5月10日に鏡を越えてから、体内時計的にはまだわずか3日だけど。もう何十年も経っているような錯覚と混乱。いま緑のラビリンスガーデンで小さな女の子に翻弄されているのが、現実なのかどうかすら危うくなる。苦い自嘲が頬をゆがめる。
「どうした?」
 肩を並べて小走りしながら、キョウカがちらりと視線を走らせる。
「なんでもない。暑いね」
 緑の壁はアスカたちの背丈しかない。5月の陽光が頭上を直射する。
 
 最後の壁を直角に曲がると、とつぜん視界が開けた。
 眼前には緑の壁ではなく、白いコンクリートの無機質な壁がそびえていた。アプローチの石段に座って、女の子がゴールデンレトリバーの背を抱きしめ、金の毛並みに顔をうずめていた。
 アスカたちの到着に気づいて顔をあげる。髪と同じ鳶色の大きな瞳でふたりをじっと見比べると、なにかを見極めたのか立ちあがる。まっすぐにアスカに歩みよると、抱っこをせがむ幼子のように両腕を伸ばす。アスカはとまどい、キョウカをちらっと見る。キョウカは膝に両手をついて息を整えながら、抱いたら、とでもいうように顎をくいっと振る。
 アスカは子どもを抱いたことがない。施設では年齢があがると、世話好きの少女たちが小さな子をよく抱いていた。けれど、いじめが日常化した幼いころから、アスカは人の輪に加わろうとしなかった。人も植物も等しく観察の対象でしかなかった。
 アスカはぎこちなく女の子を抱きあげる。拳銃を扱うほうがよほど緊張しないと、バカなことと比べてしまう。
「あなたがアスカで、そっちのおねえさんはキョウカね」
 とつぜん名前を言い当てられ、ふたりが目を剥く。
「なんで……あたしの、それも仮の名を」
 キョウカが背中のリュックに手を伸ばすと、
「やめて! あたしの目にさわらないで」
 女の子がぎゅっとアスカにしがみつく。
 なぜ、そうしたかはわからない。アスカはとっさにキョウカに背を向けて女の子をかばった。母性なんてものは自分にはないと思っているのに。
「リュックが目? なにわけのわかんないこと言ってんのよ。大人をからかうのもいいかげんにしたら」
「あたしは目が見えないの」アスカの肩から顔を半分だけのぞかせていう。
「目が……見えない?」
 アスカとキョウカの驚く声がシンクロする。
「あんなに正確に、迷うことなく迷路を走ってたじゃない」
 アスカは男性に変装してることも忘れ、でたずねる。
「……だって、視えるんだもん」
「目は見えないけど、みえるってどういうこと? 何がみえるの?」
 アスカは女の子を降ろしてアプローチの石段に座らせ、その前にしゃがみ彼女の目を見つめる。鳶色の大きな澄んだ瞳がある。この目が見えないというの?
 ワンピースの左胸に名札がついているのに気づく。
「ユイちゃんっていうの?」
「ちがう。それは名前だけど名前じゃない」
「まあた、わけのわかんないことを」
 キョウカがいくらか怒気をにじませる。
「あたしもさ、本名はアスカだけど。アスカがふたりだとややこしいから、いまはキョウカにしてる。名前なんて区別がつきゃいいのよ」
 キョウカの意見に、ぷいと横をむく。
「とりあえずユイでいいよね。呼び名がないと不便だから」
 キョウカがユイの意向にかまわず決める。
「ユイちゃんは、何がみえて、何がみえないの?」
 アスカがたずねると、「こうすると」とユイがリュックをおろす。
「光は見えるけど、物の形はぼやっとしかわからない。目で見る力のことを視力っていうんでしょ。それが生まれつきとても弱いの」
 アスカはしゃがんだまま、キョウカを見あげる。
「だから、パパおじさんがこれを作ってくれた」とリュックをまた背負う。
「パパおじさん?」アンノウン・ベイビーに親はいないはず。
「コウモリのエコーローケーションといっしょなんだって」
「エコーローケーション? 何それ?」
 キョウカがたずねる。4歳児にたずねる内容だろうか。ユイは年齢からは想像がつかないほど知的レベルが高い。
「コウモリも目が見えないでしょ」
「超音波で獲物をとらえるって、あれね」
 ユイが「やっとわかったのか」というふうに大げさに首をふる。
「なんかさあ、いちいち生意気よね」
 キョウカが立ったままユイの額を小突く。
 ユイはユイで、ぷい、と顔を背ける。
「迷路をまちがえなかったのも、エコーローケーションのおかげ?」
 アスカがたずねると、それもあるけど」と言いよどむ。
「答えが視えるから。こっちに行けばいいとか、そういうのが、ぱっと頭に浮かぶ」
「それって……」
 キョウカがアスカと視線をからませる。
「透の透視能力と同じだと思う」アスカがうなずく。
「あたしの変装を見破ったのも、女だってことが視えたから?」
 こくりとうなずく。
 透もこんなふうに幼いころから物事の本質や答えが視えていたのだろう。それはたぐい稀な能力ではあるが、周りの理解は得にくかったにちがいない。あたしもさびしい子どもだったけど、透もさびしい子どもだったのだ。

「ねえ、どうしてエントランスがラビリンスガーデンになってんの。毎回、あそこを通って学園に入るのってひと苦労じゃない」
 キョウカは迷路にすっかりまいったようだ。
「ベイビーたちが楽しめるようにだって。バッカみたい。逃走防止用だと正直にいえばいいのに」ユイが大人びた口調で言い捨てる。
 そうね、鉄格子で囲うわけにはいかないものね。大人はいつだって本音をうまくカモフラージュする。それをこの子は本能で嗅ぎわけている。
「そうだ、さっき門のところでユイを抱っこしてた白衣の人は誰?」
 キョウカが肝心のことを思い出す。
「せんせい」
「先生? アンノウン・ベイビー園の?」
「先生はみんな白衣を着てる」
 保育士や教師が白衣を着ているのなら、門にいた人物は犯人とは関係ないのかもしれない。ここはラボの延長なのだ。アスカは人工子宮器の並んだ格納庫の光景を思い出す。
「だから、キョウカは白衣を着てね。アスカは……そのままでいいかな。ちゃんと男の人の声でサラリーマンを演じて」
「あたしは白衣で、アスカはサラリーマン?」
「先生の恰好をしてれば、学園内を自由に動ける」
「あたしはどうしてサラリーマンのままなの?」
 ユイがアスカを見えない瞳で見つめる。
「政府はアンノウン・ベイビーたちの養子縁組をすすめてる。その見学者のふりをすれば、やっかいな人を足止めできる」
「やっかいな人?」アスカがまたオウム返しする。 
「もうすぐ園長先生が来るよ」と、にこりとする。
 「ところで、きょうは西暦何年?」
 アスカがユイにたずねる。
「2041年の5月13日よ」
 5年も経ってる。

(to be continued)

第24話に続く。


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