大河ファンタジー小説『月獅』66 第4幕「流離」:第16章「ソラ」(1)
物語は第2幕、第9章「嵐」までさかのぼります。
「隠された島」でノア・ディア親子とルチルと共に、すくすくと育った天卵の双子シエルとソラ。彼らの二歳の誕生日に、「天は朱の海に漂う」との星夜見を受けた捜索隊が島に上陸し、ソラが巨鳥にさらわれたところから話を再開します。
第2幕:第9章「嵐」は、こちらから、どうぞ。
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(1)
太い鈎爪で肩を鷲づかみにされ、視界がぐいんと急上昇した。耳がきーんとする。海風をまともにくらい、目が開けられない。向かい風を受け瞬速で上昇していくのをソラは全身で感じていた。
――ビュイックだ。ビュイックがまた助けてくれたんだ。
ビュイックは立派なグリフィンの成獣だが、ふだんは幼獣のビューの体内に閉じ込められている。ビューはシエルの左手に握りしめられていた卵から孵った。ところが、二年経っても鳩ぐらいの大きさからいっこうに成長せず、飛ぶこともできない。ビュイックはビューが眠りにつくと姿を現す。昼はビュー、夜はビュイック。そんなおかしな入れ替わりが、もう二年も続いている。
「なぜそんなことになってるのか、さっぱりわからん」とノアは首を振る。
二頭の魂が不完全な幼獣の一体に同居していて、ビュイックの魂はビューの支配下にあるらしい。ソラが嘆きの山の火口に呑み込まれそうになったとき、ビュイックがはじめて姿を現しソラを救った。
昼間にビュイックが現れることは珍しい。
――きっとビューは昼寝でもしてるんだ。あいつは弱虫のシエルにばかりくっついて、ほんとうに腹が立つ。
シエルとソラは双子の兄弟で、天卵の子だ。
天卵は清らかな乙女が流星を宿して生むと伝えられている。伝説にすぎないとされていたが、二年前に流星がエステ村領主の娘ルチルの体に飛び込み天卵を生んだ。天卵は王家にとって凶兆とされる。王宮から狙われたルチルは、追手を欺くため海に身を投げ「隠された島」に流れ着いた。島にはノアとディア親子しか人はいなかった。漂着してひと月が過ぎたころ、天卵が孵った。向き合う勾玉のようにして二人は卵におさまっていたから、どちらが兄とか弟とかはない。シエルは金髪で、ソラは銀髪という違いくらいだ。
ふつう人は卵から生まれないのだとルチルがいうと、
「じゃあ、ぼくたちは鳥なの?」シエルは無邪気な笑顔を向ける。
春になると鳥の雛が、森のあちこちの巣で孵る。
「あなたたちはね、天からの授かりものなの。でもね、王宮から狙われているから、天卵の子であると知られてはだめよ」
だから光を抑える訓練をしましょうね、とルチルは二人の頭をなでる。
卵から孵ったとき、二人はまばゆいばかりに輝いていた。しだいに光は弱くなったが、それでもまだ淡い光のオーラを全身にまとっている。光っていては、天卵の子だとばれてしまう。光らないためには、気持ちを平らかにすることだとノアはいう。
「緊張したり、怒ったり、感情をとがらすのがよくない。のびのびと過ごすのが一番さ。笑ってりゃいいんだよ」
なんだ、簡単じゃないかと、ソラはシエルの頭を小突いて駆け出す。バランスを崩したシエルは仰向けに転んで床に頭をぶつける。
ちえっ、あんなくらいで転びやがって。
「こらぁ、ソラ、待ちなさい」ディアが追いかけてくる。振り返ると、泣きじゃくるシエルをルチルが抱きあげていた。ぼおっと光っている。まただ。ルチルはいつもシエルばかりかまう。
ルチルのことは「母さん」と呼ばなきゃだめだよ、と浜の崖に腰かけてディアはいう。
浜風がディアのオレンジの髪を躍らせる。陽があたってきらきらとまぶしい。赤い胸毛と翡翠色の翼があでやかなケツァールのヒスイが、ディアの肩で羽根を休めている。ヒスイはディアの相棒だ。ディアの傍らにはいつもヒスイがいる。ヒスイは、ディアが命じなければソラには止まってくれない。
「なんでルチルが母さんなのさ?」
「あんたたちを生んで育ててるからね」
「じゃあ、ディアの母さんは? ノアは父さんなんだろ」
「あたしには母さんはいない」
「どうして?」
「さあ、どうしてだろね」
底抜けに明るいディアの顔が陰ったことに、ソラは気づかなかった。
俺たち二人の「母さん」はルチルだっていうけど、ルチルはシエルに付きっきりじゃないか。遊んでくれるのも叱ってくれるのも、いつだってディアだ。ディアが俺の母さんなら良かったのに。
みんなシエル、シエルだ。シエルなんて弱虫でのろまで、泳げないし、潜ることも魚を捕まえることもできないくせに。鳥もイルカもヤギもシエルのまわりに集まる。俺はなんだってできるのに。どいつもこいつもシエルの味方ばかりしやがって、くそっ。
「ビューはシエルにやるよ。いつまでたってもチビで飛べないグリフィンなんか、いらない。シエルにぴったりだ。なあ、だから、ビュイックを俺の相棒にしていいだろ」
ノアにねだると、
「グリフィンは神獣だ。選ぶのは彼らのほうだ」と静かに首をふられた。
「おまえがビュイックに選ばれるようになることさ」
ノアはソラを抱きあげ、蒼い空へと高くかかげる。
ノアが好きだ。
島でただ一人のおとなの男で、漁も狩も大工仕事も畑も何でもできる。大きな手で頭をなでられるのが好きだ。天卵の子には母はいても父はいないと教えられた。母さんよりも、父さんが欲しい。
天卵の子は、人の三倍の早さで成長する。今日でやっと二歳だが、すでに二人は六歳の子と変わらない。おまけにソラの身体能力にはノアも目を瞠るくらいで、十歳の子にも負けぬほどだった。かたやシエルは何をやらせても不器用で臆病な性格もあり四歳児のできることすらおぼつかない。それをルチルは心配する。でもさあ、とディアはいう。シエルは異国の本をもう読めるみたいだよ、と感心する。
「双子といっても、違うもんだね」
ディアはルチルの焼いたクッキーをほおばり笑う。
ルチルはカップに熱い紅茶を注ぎながら、ディアがいてくれて良かったと心から思う。シエルを抱きあげている間に、すばしっこいソラの姿は見えなくなる。ルチルは二人を同じようにかまってやれない自分のふがいなさに、ときどきため息をつく。
「出ておいで、ソラ」「ソラぁ、どこにいるのぉ」
ディアとルチルの呼ぶ声が海風にちぎれる。
誕生日の準備でディアも朝から忙しそうで、しかたなくソラはシエルとかくれんぼをしていた。シエル相手ではつまらない。あいつが鬼になると、いつまでたっても探しにこない。いいかげん退屈してそろそろ出ていこうかと思っていたら、ディアとルチルがソラを探しはじめた。ディアの裏をかいて隠れるのは楽しい。ノアまで俺を探し回っている。はは、簡単に見つかってたまるか。ルチルが焼くパイの甘い匂いがする。嘆きの山には一人で行かないと、ノアと約束をしてるから、それは守る、男と男の約束だもんな。どこに隠れよう。ソラは、はしゃぐ心を抑えて身を低くした。
ソラは浜を見下ろす崖の藪にひそんだ。
小家と崖の間には黄金色に波打つ麦畑が広がっている。来週あたり刈り入れするか、とノアが言っていた。それまでに鎌の使い方を教えてほしいと頼んでいる。冬ごもりの間に小刀のあつかいを教えてもらった。小さな弓も作ってもらった。へへん、シエルなんて、小刀も弓も、まだ無理さ。俺はノアみたいに、なんでもできるようになるんだ。
そのうちに、呼ぶ声がしなくなった。
浜が騒がしい。小舟が何艘も近づいている。カモメたちがけたたましく飛び交う上空にハヤブサのギンの姿を見つけた。ギンはノアの目だ。島の空を見張っている。やばい、ギンに見つかる。ソラは崖の藪に腹這いになる。
沖に目をやると、これまで見たこともないほど大きな船が停泊し、次々に小船を降ろしていた。高い帆柱に金の旗がはためく。二つの頭をもつ鷲の旗。いつだったかシエルが、本を開いて「これがレルム・ハン国の旗。双頭の鷲が描かれてるよ」と指さした。
「ソウトウノワシって、なんだそれ?」
「頭が二つある鷲のことだよ」と教えてくれた。シエルは本が好きだ。世界のいろんなことがわかるという。それの何がおもしろい。魚を獲ったり、崖から飛び降りたりするほうが楽しいじゃないか。本ばっかり読んでるから、あいつはいつまでたっても泳げないし、木登りもできないんだ。
弓や剣をもった兵士が隊列を組んで、続々と浜から丘に続く坂道をあがってくる。いつもなら浜でたわむれているイルカたちの姿はない。こんなにたくさんの船も人もソラは見たことがなかった。
「すげえ」感嘆と興奮がないまぜになる。
隊列に駆け寄ろうと身を起した瞬間、「王宮に狙われているから光っちゃだめ」うるさいくらいに注意するルチルの声が耳裏でこだました。あれは王宮の旗だろうか。「心を落ちつけろ」ノアの声が聞こえた気がして、ソラは藪に隠れたままゆっくりと振り返った。
黄金色に波うつ麦畑でノアが、浜へと下る坂道を睨んで立っていた。
なんだか様子がおかしい。ついさっきまで俺を呼んでいたルチルとディアの姿もない。
兵たちはノアを見つけると、またたくまに縄で縛りあげた。
金モールのついたぴかぴかの服の男が、「天卵はどこだ」とわめき散らす。
ルチルの言葉がほら貝を耳にあてたときみたいに耳奥で反響する。
――光っちゃだめよ、見つかるから。
けど、ノアが、ノアが捕まってる。
ソラは金色の麦にまぎれるようにして近づく。左手にはノアにこしらえてもらったばかりの弓を握りしめる。自らが飛ばせる矢の距離を目測し、弦をきりきりと力いっぱい引いた。
弓でしとめたことがあるのは、足をけがしたアナウサギだけだ。
夢中だった。敵を射抜いたか、わからない。頭がきーんとしている。二本目の矢を背の箙から抜こうと手をかけたときだ。
「ソラぁああああ、走れぇええ!」
ノアの声が風を切り裂いた。敵をなぎ払い駆けて来る。
時間が止まったようなおかしな感覚だった。
ごうごうと唸る海風がソラの耳を覆う。麦の穂が風にいたぶられ金の渦を巻く。そのなかをノアが駆けて来る。ものの数分だったろう。全速力のはずのノアの一挙手一投足がひとつずつ止まって見える。いまこの空間にはノアと自分しかいない、そんな不思議な錯覚にソラの五感は奪われていた。
――良かった。ノアは敵から逃れたんだ。助けられたんだ。俺が、俺が助けたんだ。
安堵と達成感が躰のうちから湧き上がって熱くなる。
金色に輝く麦の波のなかで、ソラは恍惚と立ちつくしていた。ノアの広げた腕があと数歩で届きそうになった刹那、何かがソラの肩をがしりとつかみ躰が浮いた。肩にくい込む鈎爪。ビュイックだ。
ビュイックがまた助けに来てくれた――。
ソラは全身から緊張をとき身をゆだねた。
(to be continued)
第67話<「ソラ」(2)>に続く。
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
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これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。