でこぼこみち

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書く側になりたい人間です📝              気ままに思ったこと、感じたことを書いてます。

最近の記事

また、いつかを信じて。

三寒四温に花粉の飛散。 風邪を拗らせるのには絶好の環境において、私の中の免疫細胞は今年も我慢ならないようだ。 大型の商業施設に向かって市電沿いに車を走らせる。久しぶりに窓を開けるとミシっという音がした。同時に心地よい穏やかな空気が車内に流れ込む。 目的地が同じだろうか。春色を身に纏った街ゆく人々はどこか顔が綻んでいるように見える。 同じ毎日が続いていくことを羨ましく思った。 彼ら彼女らはそれを信じてやまないだろう。信じることすら愚かなのかもしれない。 春はあまり好きになれな

    • 『ボクたちはみんな大人になれなかった』

      始まった時にはすでに終わっていたのかもしれない。 誰もが終わりを信じて、始まりを恐れることなんてない。 ただ、自らを認めてくれる人がそばにいることはとても幸せだったんだなと思う。 周りの芝生が見えないくらいどん底で這いつくばっていても、彼女がそばにいるだけで私が私として存在する意義になる。 それでもやっぱり永遠はない。 過去に縋りつき、未来を語り、どっちつかずの毎日はとても不安で、悲しくて。 それでもいつか終わりがあることを理由に始めないのにはまだ早すぎるかもしれない。 い

      • 『号泣する準備はできていた』

        「喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあった。」 悲しみに真正面からぶつかっていた少年時代。たくさん泣いた後にはもう失うものはないとホッとするような気持ちになることが多かった。 いつの間にか傷つかない方法を知らず知らずのうちに学んでいた私たちは、不意に悲しみが通り過ぎるようになっていた。 大人になったからではなく、強くなったからではなく、悲しむという感情を味わう勇気を私たちは失っている。 自分の気持ちにちゃんと向き合えないこと。それが何よりも悲しいことである

        • 2024

          セーブデータを変えるように二つ目の人生を歩むことができれば私たちはもっと自由に息をすることができるのに。 何かをするのに遅すぎることはないのかもしれないが、時間は有限だ。 いつ死ぬかはわからないけれども、その時は一刻と迫っている。 死ぬために生きるのではないし、普段からそんなことをずっと考えている人間なんていないだろう。 未来を見据えて生きるのが人間である。ただ、少し先の未来ばかり見て歩を進めていると、本当に見たかった景色とは全然異なった場所にいることに気がつく。 特に環境と

        また、いつかを信じて。

          2023年の振り返り

          新年が明け、すでに一週間が経過しようとしている。 まだ2024年という響きには慣れない。 15年ほど前に見た何かのアニメでは、2024年にはすでに空飛ぶ車が往来する世界が描かれていた。現実はそう簡単にはいかないようだ。 一年を振り返っていきたいと思う。 仕事 ・組織をより良い方向へ動かす影のリーダーとなる。 ・新しい仕事において、部署内で一番の成績をとる。 複数の仕事を実践する機会に恵まれた。故に、守備範囲も広くなり部署内一の仕事量を請負った。だからといって質の部分を妥

          2023年の振り返り

          『愛するということ』

          「愛するとは技術である。」 愛するということは自然に生まれうる感情的なものであると現代では一般的に考えられている。 本書ではそれが技術であること、人間が求める本質的なものであると述べられている。 他でもない自分が自分を含む誰かを愛することはそのまた他の誰かを愛することと同義であること。 故に、愛は特定の誰かに動かされる感情ではなく全事象に対して生産的に発生する技術であること。 生産的なものであると知っていたが、私にはその感情がわからなかった。 また、知らず知らずのうちに

          『愛するということ』

          明けない夜はないから

          「3.11の時の夜空のように、真っ暗だからこそ見える光があると信じている」 コロナ禍にとあるスポーツ選手がそう言っていた。 信じるというのはとても勇気のいることだ。 明日に希望を持ったものだけに絶望はあるんだとRADWIMPSが歌うように、誰かや何かを信じるということは反対に裏切られることもある。 強くありたい=強く見られたいと思っている私は強くないから、誰かや何かを信じない選択をしてきた。 裏切られることがなくなったそんな私はとても強く見えていると信じている。 けれども、

          明けない夜はないから

          『対岸の彼女』

          同じものを見ていたはずなのに、いつしか連絡も取らなくなり希薄な関係になった人間関係というのはたくさんある。 自分自身が変わっていくように、私の人間関係も気づくとアップデートされている。 当たり前なのかもしれないが、あれだけ濃密に過ごした関係が今となってはこうも希薄になってしまうのは何故だろう。 時間が。かかわる人が。その時、その人のことをいつの間にか忘れさせてしまう。 無論、執着するのはどうかと思うが少しもの寂しくもある。 そんなことを考えていると、これまで関わった人々が、自

          『対岸の彼女』

          分かりあえなくても

          同じ場所、同じ時間にそこに在ろうとも全く違った世界に時々見えることがある。 漂う空気の匂いと肌寒さが知らない土地に来たような感覚を感じる。 夏を惜しむ間もなく、秋が色濃い季節になった。 「金木犀の匂いがするね」 言葉とは裏腹にまだ夏を忘れられていない格好のあなたは将来の不安を微塵も思わせないような無邪気さで私に語りかけた。 その時、私は金木犀の匂いがあまり好きではないことを初めて知った。 私たちは生まれも齢も育ってきた環境も受けてきた教育もまるで違う。 だからこそ違いがある

          分かりあえなくても

          『真夜中乙女戦争』

          私たちは私たちを知っているようで私たちを知らない。 何かに渇望し、わからない何かを必死に探る。その中で生まれる悩みは他の誰とも分かち合うことができない。どうしたら幸せになれるのか、何が幸せなのか。それは自分自身で感じ、決めなければならない。 大学一年生、人生で一番自由で時間のあるこのタイミングに入学直後から主人公はそのわからない何かに悩まされていた。 そんな時、同じような目をした二人(先輩と黒服)とそれぞれ違う形で出会うことになる。 主人公はまた違った意味で二人を愛していた。

          『真夜中乙女戦争』

          陽を浴びて生きるものたち

          小さい窓から西日が差し込む午後5時。数分あまりでこの西日は私の部屋から姿を消すだろう。 今度住む家では陽がたくさん入る家に住もう。いや、そうなると私の愛読書たちが日焼けしてしまうかもしれないな。 ここ半年、国が定める労働基準をとうに越して仕事に追われていた。 夜景は残業しているサラリーマンによって作られるものだというのであれば私は見知らぬ誰かの役に立っているのであろう。 仕事をすることの本質を考えずに上からの指示に応えるのがサラリーマンという文化があるから地理的に遮断されて

          陽を浴びて生きるものたち

          PM4:45

          八月某日。 摂氏38℃と示された電光掲示板を横目に京都のとあるバイパスを走る。 10年ほど前までであれば全国のトップニュースになるレベルの暑さだっただろう。どこかのシンクタンクによると全世界の平均気温はここ100年で0.74℃上昇しているらしいが個人的にはさようではないと感じる。鼻をぐずるほど冷房を浴びているものが言うには説得力に欠けるが。 ちょうど10年ほど前の夏。 あの夏は私にとって最悪の決断だった。 プラットフォームに発車のベルが鳴り響く。遅れたらいいのにと願う私の

          『ほろよい読書』

          お酒は人生の娯楽である。いわば楽しくなるための薬である。 もちろんアルコールという作用によるところが多いとは思うが。 そうではなく、何か起こってもお酒のせいにできるからなんじゃないかと私は思う。 様々なお酒を起点とした老若男女の恋愛を綴った作品であった。 本作品は私が上記で述べているような恋愛においてどうしようもない感情、気持ちをお酒のせいにしたものではない。 時にはお酒自体が恋愛のキューピッドになってくれることがあったり、お酒のせいにしても言えない心のうちに秘めた想いがあ

          『ほろよい読書』

          恥じらいまじりのツーショット

          「雨は大丈夫か?」 午後10時。仕事の忙しさで天候のことなど頭になかった私は同じ箇所にばかり座ったせいで少し形の悪くなったソファに横たわりながら、机の上で響いたスマホを手に取り、ホーム画面のポップアップ通知を辛うじて目にした。 最近、よく聞く線状降水帯という言葉。これが九州地方に停滞していたらしい。 全然大丈夫と一言打つと、どでかい派手なスタンプが3つと1枚の写真が届いた。 母と父のツーショットだった。母が単身赴任している父の元に旅行に行き、2人で観光していたらしい。私が住む

          恥じらいまじりのツーショット

          拝啓 捨てられなかったものたちへ

          今年もこの時期が来た。 癖っ毛のある私の髪の毛は言うことの聞かない幼稚園児のようにひどくうねっていた。 嫌なほどの湿気から逃げるように今年初めてエアコンのスイッチを入れるも、5分ほどしたところで肌寒さを感じまたスイッチを切る。 梅雨は嫌いだ。いや、この癖毛がなければ好きだったのかもしれない。 窓に滴る雨粒から焦点を変えてうっすら映る自分の姿を見ながらそんなどうしようもないことを考えていた。 そんなある日のこと 誰も知らない土地に来ても、実家からわざわざ持ってくるほどずっと捨

          拝啓 捨てられなかったものたちへ

          『おやすみ、東京』

          ここに出てくる人はみんなそれぞれ夢を持っていた人たちの話。 夢や希望を持っていたものは、現実に打ち拉がれて、諦め、最後には周りの環境に染まっていく。 ただ、心のどこかにはまだ自分に期待をしていている自分がいる。その片鱗に触れた時にふと本当の自分を思い出す。 けれど、それは一時の微睡であるような。 深夜の東京に生きるそれぞれの人たちを描いたストーリーでした。 夜が好きです。 夜の暗闇に私も私の心も紛らわせることができるから。 だから、心の声は夜に出せることが多いような気がする

          『おやすみ、東京』