歴史は上手に「思い出す」こと
単行本『私の人生観』は1949(昭和24)年10月に刊行されたが、もともとは前年の講演録であるうえ、加筆修正された文章としては、単行本の刊行前に、3つの異なった雑誌に分載されて発表された。「小林秀雄全作品」第17集の『私の人生観』であれば、
「私の人生観」p136L1〜p160L19
「私は思う」p161L1〜p174L16
「美の問題」p174L17〜p189L11
という分割である。しかし、これらのタイトルは雑誌掲載時のものであり、現在の決定稿では採用されず、小見出しにもなっていない。
前回までが、三分載のうちの「第一部」であり、今回から「第二部」にあたる内容となる。実際に読んでみると、「第一部」では、ひたすら仏教思想から連想する「観」について論じていたのに対し、「第二部」は歴史について論じることが多い。もちろん、豊かな連想で科学や哲学にも触れるが、通奏低音は歴史を「観る」ことのように思う。
歴史について、小林秀雄の見方、考え方は一貫している。そして何度も繰り返し語っている。
若かりし頃の文芸批評、戦争をはさんだ日本の古典論や内外を問わない芸術論、そして後期の本居宣長論にいたるまで小林秀雄は、文学や美術の作品だけでなく、その作り手である人そのものに関心を抱き、論じた。いま、ここにはいない「作り手」の歴史、すなわち人生を上手に「思い出す」ことが、小林秀雄の「人生観」の一つだったといえるのではないだろうか。
(つづく)
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