文体を欠いた思想家はシンフォニーを創り出せない
日本の哲学者は、論理は尽くすが言葉を尽くしていない。観念を合理的に述べれば十分だと思い込み、定義付けさえすれば専門用語を勝手に発明しても構わないという姿勢は極めて安易だ。詩人は専門語など勝手に発明しない。日常の言語を使う。永続性を願って詩を作るのにふさわしい文体を考えなければならないのと同じに、思想を語るには文体が欠かせない。小林秀雄は、このような状況を「文体侮蔑」と呼ぶ。
これについてはすでに、1937(昭和12)年に発表した『文化と文体』『現代作家と文体』(ともに「小林