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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#哲学

全体を読み返してこそ熟読玩味できる

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄『私の人生観』を、いま一度全体を読み返してみて気…

既視の海
1年前
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描いたのは「俺流の肖像画」ではなく、小林秀雄の自画像

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄の講演文学である『私の人生観』を、あらためて通読…

既視の海
1年前
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みずから考え、工夫し、つくり出す思想を持て

小林秀雄を私淑する哲学者の池田晶子によれば、哲学は「在る」ものではなく、哲学を「する」も…

既視の海
1年前
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ジャーナリズムは「とってつけた」他人の思想を語っているだけだ

先の戦争では、江戸時代に武士の心得として書かれた『葉隠』における「武士道と云は死ぬ事と見…

既視の海
1年前
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『葉隠』、宮本武蔵、そしてスティーブ・ジョブズへたゆたう

戦争中に、従軍記者をしたり、兵士相手に講演をした小林秀雄は戦後、軍国主義プロパガンダに加…

既視の海
1年前
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生きた人生そのものがロジックであり、思想である

宮本武蔵は兵法を極める方法論をもって自らの思想をつくり、「器用」を極めたものが国の指導者…

既視の海
1年前
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文体を欠いた思想家はシンフォニーを創り出せない

日本の哲学者は、論理は尽くすが言葉を尽くしていない。観念を合理的に述べれば十分だと思い込み、定義付けさえすれば専門用語を勝手に発明しても構わないという姿勢は極めて安易だ。詩人は専門語など勝手に発明しない。日常の言語を使う。永続性を願って詩を作るのにふさわしい文体を考えなければならないのと同じに、思想を語るには文体が欠かせない。小林秀雄は、このような状況を「文体侮蔑」と呼ぶ。 これについてはすでに、1937(昭和12)年に発表した『文化と文体』『現代作家と文体』(ともに「小林

国語という大河に生きて、言葉をつかむ

ベルクソンが天才だと思うのは、特定の人や作った本人しか解らないような専門用語を用いず、日…

既視の海
1年前
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知性の限りを尽し、言葉を尽す

小林秀雄は、なぜそこまでベルクソンに惹かれるのだろう。「彼の天才は、…」という語り出しで…

既視の海
1年前
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概念とイメージの両面から直観に近づく

リルケの芸術観とベルクソンのvisionは、表現こそ違えど重なる。これは詩と哲学の結びつきであ…

既視の海
1年前
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とにかく書いてみる。書いてみなければわからない。

芸術家は美しい物を作ろうとはしていない。だだ物を作っているだけだ。完成したものが、作り手…

既視の海
1年前
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読んだだけでは駄目だ。眺めるのが大事なのだ。

「読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ」とは、いったい、どういうことだろうか。…

既視の海
1年前
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知覚の拡大は、共感の拡大だ

芸術家も哲学者も、生活上の行為をするための物事から注意を逸らし、むしろ生活に役に立たない…

既視の海
1年前
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芸術家のほかに知覚を拡大できるのは誰か

なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか。人は知覚を行動するために用いている。しかしその知覚を行動に結びつけず、自分のために物を見るのではなく、物のために物を見る人たちがいる。それが芸術家であるとベルクソンは説く。芸術家は、自分の知覚を利用しようと思うことが少なければ少ないほど、より多くの事柄を知覚するのだという。小林秀雄も「ひたすら見る為に見ようと努める画家が、何か驚くべきものを見るとしても不思議はあるまい」と述べる。 そのように拡大された知覚をベルクソンはvision