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告白! 私はアスペルガーーーかも①

 最初の投稿です。

 私は今まで数多くの本を執筆し、数え切れないほどの人たちに講義をしてきました。新聞や週刊誌のインタビューでも、「論理力」「思考力」」「東大対策」などのテーマが多いことからも、世間からのイメージは優等生、エリートと言ったものかもしれません。

 しかしーーー

 子どもの頃は劣等生でした。いや、単なる劣等生ではなく、社会に適合できない子どもだったのです。当時はアスペルガーという言葉が一般的ではなく、当時の私についた名称は「学校始まって以来の変わり者」というものでした。本当の変わり者は、本人の自覚がないものです。私自身も一切そうした自覚がなかったのですが、家族が全員が私にアスペルガーというレッテルを貼っているので、徐々に自分の過去を振り返るようになりました。

 するとーーー

 思い当たることがふつふつと湧き上がってくるのです。

 この連載コラムはどうしようもないほどの社会不適合者が、数多くの本を執筆し、数多くの人たちを教えるに至った、「私」の物語です。この恥ずかしい告白の中に、少しでも皆さんに役立つことがあることを願いながらーーー。

 自分が変わり者だと薄々気がつきだしたのは、中学校に入った頃でした。授業が始まると、机の上に顔をぺたんと乗せ、居眠りをするか、何か妄想に耽っていました。教科書は大抵は紛失して、手ぶらで授業に臨むことがほとんどでした。今なら発達障害児だと認定されるのかもしれません。先生方は当初は注意をしたものでしたが、やがては私を視界から外すようにしていたようです。逆に、予備校で教える立場になった時に、そうした先生の気持ちが痛いほどに分かりました。私はいじめっ子でも、いじめられっ子でもなく、周囲から特別な存在と見られていたようです。もちろんいい意味ではありませんが。

 と言っても、人間は生きている限り、絶えず何かを考えているようで、私とて例外ではありませんでした。当時、京都の北にある地方都市に住んでいたのですが、京都の冬は耐えがたいほど寒いのです。私は何でもすぐに無くしてしまうのですが、何といっても一番無くしやすいものは手袋です。登校する時、裸の手がかじかんで、凍りつくようでした。そこで、私は考えます。

ーーー足はまだ靴に保護されているから、恵まれている。それに比べて、手は剥き出しで、何にも保護されていないから可哀想だ。そう思うと、私は躊躇なく実行に移ります。

 その場で靴を脱ぎ、靴下を取り出し、それを手袋代わりにするのです。その結果、手も足も公平になるので、私にとってはとても合理的に思えたのです。そうやって教室に入ると、最初のうちはみんな奇異な目で見たのですが、やがてはそれに慣れ、誰も何も言わなくなりました。私は自分が周囲からどのような目で見られているかなど、まったく思いもよらなかったのです。社会性が零でした。

 靴で思い出すことが一つあります。実家の隣に親戚の家があり。そこに一つ年上の又従兄弟がいました。彼の名前は出口光といって、慶応大学講師、上場企業であるタカキュウの社長を経て、現在株式会社メキキの会長として活躍しています。私は彼と仲が良くいつも彼の家に出入りしていました。後に彼から聞いたことですが、私が遊びに行くと、彼の家族は大慌てで玄関の靴を隠したそうです。なぜなら、私はいつも女物のサンダルを履いて登場し、最も高価そうな靴を履いて帰ったそうです。私にはそうした自覚が無く、おそらく多少の誇張があったと思いますが、思い当たる節もあるにはあったのです。

 当時、私は祖父母の家に住んでいました。その家には祖父以外、祖母と若い女性のお手伝いが三人、玄関にはいつも女物のサンダルが幾つか並んでいたのです。私の脳裏には靴が誰かの所有物であるという認識がまったくなかったのです。靴はみんなの共有のもので、目の前のものを履いてもいいのだと決め込んでいました。そこで、光さんの家に遊びに行った時も、目の前の適当な靴を履いて帰ったのでしょうが、私に隠れて、みんなが慌てて靴を隠していたということを聞いて、流石に愕然としたものです。

 私は世界が自分中心に出現しているのだと漠然と思っていました。私が目を覚ました時だけ世界は表れ、寝ている間はおそらく世界は存在していないのだと。電車に乗っている時は、突然誰かが「実はあなたはある国の王子様です」と世の中に埋もれている私を捜し出してくれると妄想していました。私にとっては妄想の世界が真実で、現実は表れては消える泡沫のようでした。

 そして、「学校始まって以来の変わり者」は高校生になると、更にエスカレートしていったのです。

☆この文章は自伝的エッセイなので、概ね事実に立脚しています。ただし随分古い記憶で、私の中でも曖昧になっていることが多く、しかも私の主観で再構成されたものなので、事実そのものではありません。また関係者に迷惑をかける可能性を少なくしたいため、一部配慮した箇所もあります。

☆私は三十代から予備校講師として第一線に立ち、ベストセラー、ロングセラーの参考書類を数多く執筆してきました。しかし、本来の私は感覚人間で、どうしようもないほどの劣等生だったのです。そんな私がどのように今の私に変わったのか、脳裏の奥にしまい込まれた記憶を引きずり出してみるのもそれなりに意味があると思ったのです。

☆どうかご感想、ご意見、ご質問など、コメント欄にお書き下さい。皆さんのご参加によって、この自伝的エッセイは完成されるのです。



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