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#10 雨下の迷い者たち

 音楽室は校舎の一番上の奥にある。つまり、一番遠い場所にあるのだ。楽器とか、高価なものが保管されているから、と言われているが、とりあえず、遠い。吹奏楽部の子たちが、演奏会の時にいちいち一階まで重たい荷物を運ばなくちゃならず、大変だ、という話を聞いたことがある。
 そんな、長くて暗い廊下をひたすら歩いていても、スイは光をまとったかのようにきらきらしていた。まるで、晴れの日をそのまま形にしたみたいにきらきら。僕が伴奏を完璧に弾けたら、スイはどんな笑顔を見せてくれるだろうか。
 音楽室のドアを開けると、音楽室独特のにおいがした。ドアの音に、合唱部員が振り返る。人数は、五、六にんくらい? 少ないなあ、合唱部って大人数で合唱するイメージだった。これだったらものづくり部の方が人数多いくらいじゃないか? ロボットもあわせると。
「みんな聞いて! この子に、部歌の伴奏頼むことにしたの! 雨森ユウキくんです!」
はじめは興味でこちらを見つめていた部員も、その声をきいてびっくりして集まってくる。僕の周りを、合唱部員が取り囲み、まじまじと見つめてくる。一人、髪の毛を二つに結んだ女の子が僕の目の前にやってきた。
「へえ~、なんか、弾けなさそうだけど。大丈夫なの?」
にたり、とかげのある笑い方をする女の子。ええ、もしかして、僕がピアノ弾けないって見破られてる⁉
「ピアノ歴何年?」
「えっとそれは……」
「へえ~、数えられないくらい長いんだ、そりゃあ楽しみだ。ねえ、もしあんたの伴奏が下手くそだったら私、一生呪うから」
目に光が、ない! 目が笑ってない! 冗談じゃないの⁉ 見た目はかわいらしいって感じなのに。クリオネみたいな子だな。
「はい! そこまでそこまで! アコ、初めてあった子にそんな風にからんだらあかんやろ!」
スイが僕とアコの顔の前でひらひらと手を振る。そして、僕の耳元でそうささやいた。
「ごめんね、アコね、知らない人は全員敵だって思ってるんよね」
そして、みんなに向かってこう話し出す。
「そんなにユウくんの伴奏が気になるんやったら、何か弾いてもらえばいいやん」
スイのその言葉に、ああ、とアコが賛成する。
「そうだなあ、おいあんた、何弾ける?」
な、なに……
僕はすかさず、外の様子を確かめる。ついていることに、テンの降らせた雨はまだ降っている。テンの話が本当で、もし僕が「アメヨミ」なんだったら、きっと、世界のどこかのピアニストの力が、今、使えるはずなのだ。
「じゃ、じゃあ、曲名は忘れたんだけど、弾いてみようかな」
逃げるようにみんなの輪の中から飛び出して、ピアノの椅子に座る。なんだか、懐かしい気持ちになる。ああ、そうか、小さいころ遊びで弾いていたことがある。家にピアノあったし。それに、お母さんが弾いていた気もする。でも僕は、ピアノ教室に通っていたわけでもないし、音楽の知識もほとんどない。普段の僕なら、絶対今、弾けないはずなのだ。でも……
 ふう、と小さく呼吸をして、両手をピアノの上に乗せる。その瞬間だった。僕の目の前に、情景がうかびだした。これは、きっとステージの上だ。自分の目の端の方に、暗い場所がちらつく。あそこが多分観客席。自分のまつげすら見えるくらい、スポットライトが明るくてあつい。そのまま勝手に手は動き出した。軽やかに、鍵盤の上をすべるように。手が、指が、自分でも信じられないくらいにばらばらに、踊るように動いている。小さいころに見たバレエの踊りで、バレリーナがはいていたトゥーシューズも、こんな感じの動きをしていたような気がする。純粋に演奏を楽しむことができている、そんな気がした。


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