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#デザイナー
40年前の美大生が考えてた事
私が美大に入った頃は、
グラフィックデザイナー?何それ?
卒業したら何になるの?
…が周囲のおおかたの反応だった。
うちの親父なんぞは、
「将来は看板屋か?」と真剣に聞いてきた
なのでそのころ美大へ行くのは、
学歴社会からドロップアウトした連中で
社会的不適合格者の一員となる事だった。
親戚のおばちゃんなんかに伝えると
「あ、そう美大でデザインをね…。」
言外に(あ〜逃げたのね。社会から…)と
「エヴァでね…」「はっ!?」
その打ち合わせは、
結構込み入った内容だったのだけれど、
なんとかこちらに有利に引っ張り込んで
終えられた。
ひとしきり雑談も終わり、さあ意気揚々と
引き上げようかというその時だった
「エヴァでね…」
「はっ!?」
(エヴァ…あ、エヴァンゲリオンか/0.5秒)
「死海文書の話が出てくるんだけどね…」
(え〜シカイブンショ…なんだか予言が
書かれているやつだったかな?/0.8秒)
「あれはね、
あるアートディレクターさんのつぶやき
いや結局ねアートディレクターだ、
デザイナーだってもね、
芸者さんと変わらへんのね。実は。
営業がたいこもちで、制作会社が置屋で、
クライアントさんはもちろん旦那さんです。
そやから、
旦那に気に入ってもらえてお座敷が増えて、
たまにそのまま水揚げされて、
囲われる人もいはる。
まあ、その会社に移籍するか
ハウスエージェントになるということ
なんやけどね。
でもそれがアガリでもないん
デザイナーの勉強会は必要か?
勤務先のチーム内で半年続けていた、
デザイナーのための勉強会を
止めることにした。
上からやってくれとか頼まれた訳でもなく、
個人的に始めたので、止めるにあたって
何のしがらみもない。
ただ、潮時かなと思ったので
止めることにしたのだ。
ネタが尽きた訳じゃない。
ネタなぞ、noteに書くほどあるのだ(笑)
受講者、つまりチームのメンバー
(といっても二人だけ)の
反応の薄さが主たる原因だ。
良い仕事、悪い仕事は最初から決まっている話
どう見ても普通の仕事なのに、
着手当初から小さなつまづきがある。
打合わせの時、いつもの手帳を忘れたとか。
それも、頻発する。。
そんな時その仕事はよく気をつけましょう。
進行するうちに必ず「なんでこんなに!」と
思うほどトラブルがいっぱいでてきます。
ホラー映画を思い出してみてください。
いきなりクライマックスから始まるような
演出のホラーはないでしょう。
最初は静かな
フリーランスデザイナーで失敗した話
もう何年も前になりますが、
私は一時フリーランスデザイナーとして
身を立てる
つもりでいました。
結果的にそれは失敗したのですが…
でもフリーランスが失敗に至るまで
ちょっとした…いえ大事な学びを得ました。
実は‥
もうデザイナーは辞めよう…
と考えたことが一時ありました。
そこで他の職種であれはどうか?
これはおもしろそうか?と
様々考えていたのです。
今考えたら、逃避だったと
まぼろしのスーパーマリオ
任天堂の名作スーパーマリオブラザースは、
発売してからもう35年以上経つという。
それと同じ35年前の秋、私は大学の就職課の求人一覧を眺めていた。その頃の就職活動と言えば、夏が過ぎて涼しくなってからやるモノだった。
しかも涼しい秋といっていっても、三回生じゃなく四回生だ。今の人たちから見れば、この時点ですでに落伍者だろう(笑)
だが周りだってそんなもんだった。
特に美大などに通うと決めた時点で
ありそうでないインパクトの話
よくインパクトのあるデザインを…とか、
もっとインパクトが欲しいなあ…とか。。。
言われませんか?
私はあります。
さるお役所のデザインコンテスト募集リーフ作成の案件。ビジュアル的に迫力のあるタイポ案とモノクロ写真を活かした渋めの案の2案を出した。
意図としては応募者に対して、
応募作品を脅かさない…でも最低このラインはやれよといったところだった。
そしてそれらに対して、お役所担当者の最初の評