【映画レビュー/ネタバレ】LUCY(ルーシー)―科学的根拠は間違いは指摘できても、正しいは証明できない。
― 本日の映画:LUCY(ルーシー) ―
人間の脳は10%しか使っていない
非常にインパクトのあるキャッチフレーズから始まる。
私はこの言葉に惹かれてみてみようと思いました。
私は人間ってもしかしたらすごいのかも、と思えた映画でした。
「脳の10パーセント神話」についてかなり評価が分かれています。
賛否両論あってもいいと思うので
私が良いと思った理由を書いてみようと思います。
あらすじ・キャスト監督
☞あらすじ
人類の脳は10%しか機能していない。もしも脳が100%に覚醒したら?ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、ある日マフィアの闇取引に巻き込まれてしまう。密輸のため、彼女はある物質の入った袋を体内に埋めこまれるが、その物質が体内で漏れ出すアクシデントによって、彼女の脳は突如覚醒し始めるのだった。
「頭脳拡張20%」――驚異的なスピードで言語をマスターする。
「頭脳拡張40%」――目に見えない電波をコントロールし始める。
脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中、次々に人智を超えた能力を発揮するルーシー。しかし一方で、次第に人間性を失っていく彼女は、自分自身でさえもコントロール不能な状態となって暴走していく。覚醒の勢いは誰にも止めることができない。彼女の存在は破滅か、それとも、救いとなるのか。――やがてルーシーの脳は100%覚醒へと近づいていくのだった。
☞キャスト監督
監督脚本:リュック・ベッソン
ルーシー役:スカーレット・ヨハンソン
新種の麻薬により脳が極限まで活性化した女性。
ノーマン博士:モーガン・フリーマン
脳科学の権威である科学者。
Mr. チャン役:チェ・ミンシク
韓国人マフィアのボス。
ルーシーを使って新種の麻薬を国外に運び出そうと企てる。
ピエール・デル・リオ役:アムール・ワケド
フランス警察の刑事。ルーシーから協力を要請される。
脳の10%神話とは
「人々は自らの知的潜在能力のごく一部しか経験していない」
「人間はこの未使用の潜在能力を解放することで知能を高めることができる」
1890年代、ハーバード大学の心理学者ウィリアム・ジェームズが唱えた人間の余剰能力に関する仮説です。
ウィリアム・ジェームズ(1842年1月11日 - 1910年8月26日)
アメリカ合衆国の哲学者、心理学者である。意識の流れの理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』など、アメリカ文学にも影響を与えた。
あくまでも仮説で今でも科学的根拠はありません。
この仮説は間違っているという学者も多いんです。
・脳が10%しか使われていないなら残りの部分へのダメージは受けないはず。しかし、脳は小さな領域のダメージでも大きな影響をもたらし得る。
・脳スキャン画像からみると、人間の脳は何をしている時でもすべての領域が活発に働く。損傷していない限りまったく機能していない脳の部位は存在しない。
・使用されない脳神経細胞は変性する傾向がある。よって、脳の90%が使われていないとすれば成人の脳を解剖した際には大規模な変性が見られるはずである。
などなど、他にも研究しておられる方もいるようなのでぜひみてみてください。
科学的根拠は本当に正しいのか。
科学哲学者のカール・ポパー提唱した「反証可能性」にすこし腑に落ちたのでご紹介します。
ポパーは、科学者は創造的に理論を作るが、その理論は証拠やよく知られた事実に反するときに反証されると主張しました。
理論と矛盾する事実を立証することで、証拠は理論がまちがいであることを示すことができます。
逆に言えば、理論と矛盾するまだ見つかっていない他の証拠が存在するかもしれないので、証拠は理論が正しいことを証明できません。
さらに続けて、ポパーは
「我々に世界についての情報を与えるだけである経験科学においては証明は発生しない、もし証明という言葉をある理論の真理を永遠に確立する議論という意味で使うならば」
とも述べています。
アルベルト・アインシュタインは以下のように言っています。
科学の理論家というのは羨まれるようなものではない。自然が、より正確に言うなら実験が、理論家の仕事の避けられない、あまり友好的でない審査員だ。実験は、理論に対して決して「正しい」と言わない。もっとも賛同するときに、「正しいかもしれない」と言う。ほとんどのときは「間違っている」と言うだけだ。実験が理論に一致するとき、実験は後者の「正しいかもしれない」をくれる。実験が理論に一致しないときは、「間違っている」をくれる。おそらく、すべての理論はいつか「間違っている」を経験する。ほとんどの理論は理論ができてすぐに「間違っている」を経験する。
難しい言葉を並べてしまいましたが、簡単に言えば
科学的根拠は仮説・理論を間違っているを証明できる。
でも、正しいとは証明できない。
ということ。
科学的根拠というのは、今まで経験したことに基づき提唱されるもの。
経験していないことの証明はできない。
だから、「脳の10%伝説」も私たちや科学者たちが知り得る範囲では間違っているのかもしれない。
けれど、私たちの物理的に見えないところでのことは分からないんです。
これを言ってしまうと、見えないところの話をしちゃうとなんでも好き勝手に言えてしまいます。
幽霊とかもそうですが、誰にでもみえないものを”ある”というのは非常に難しいと思います。
ただ、以前にも多重人格者の映画のレビューをしましたが、彼らの能力は未知数です。
一人の中に複数の人格がいる事で色んな人物になれる。
私はここに通ずるものがこの都市伝説にはあると思います。
潜在能力って目に見えない
そもそも潜在能力というのは
表に現れず内側に潜んでいる能力。
他の人がその能力に気がつかないのはもちろんのこと
能力の持ち主である本人にも自覚がない能力です。
そもそも、そんなものをどうやって証明するのか。
脳を100%使っているということの可能性もたしかにあります。
歴代の科学者や研究家が様々な理論を残し、私たちがいまあります。
それがなければ私たちは生きては来られなかったと思います。
ですが、ゾーン体験といったものが私たちの身体に起こることがあります。
・リラックスしているのだけど、ものすごく集中している
・試合が自分の思うように進み、負ける気がしない
・なにもかもうまくいって最高の気分。絶好調
もしこういった体験がずっと起こっていたとしたら
私たちはどれだけの知識がつき、経験をし
どんな力が発揮できるのかって分からないなと思います。
だから、可能性としてあり得るということが私は言いたいです。
実話映画と言ってもフィクション要素はある
映画はあくまでも見せるものなのです。
ノンフィクション映画も多少は物語を面白くする要素や演出があります。
私はそういうところが面白いところだし夢があるし、こういう世界があるのかもと思えるのが好きです。
最後にコンピューターや機械を飲み込んで、コンピューターになって、至る所にいる。
この終わり方は納得いっていない部分はあります。
もうちょっと展開がゆっくり進んでルーシーの身体の変化が分かりやすい演出だったらなぁとは思いました。
でも、実際に自分にコンピューターや機械の知識があってすごいスピードでそれを処理することができたら。
なんて考えたら私は無敵かもしれないと思っちゃいますね。
そもそも飛行機を作ったのだって、鉄の塊を浮かすことができると考えたが成し遂げたこと。
誰も成し遂げてこなかったものをやる
と言われればやめとけと言われるものなのです。
だから「脳は10%伝説」もこのルーシーの最期もあり得なくもないというおはなし。
今日のつぶやき
やっぱり映画は想像力を掻き立ててくれる。
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