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旅のうた(歌日本紀行)

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#歌碑

(第12回)「なごり雪」〜線路の先の物語」

(第12回)「なごり雪」〜線路の先の物語」

 なごり雪。なんてきれいな言葉なのかと思う。この歌が世に出た当初は、「なごり雪」ではなく「名残りの雪」というのが正しい日本語だとクレームもついた。だが、いまやこの「なごり雪」は、堂々とした(情緒たっぷりの)日本語として、歌い継がれていく切ないメロディとともに、広く認知されている。

 この歌の舞台は正確には書かれていない。東京のどこかで、故郷へと帰っていく恋人を悲しげに見送っている、そんな歌だ。

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(第4回)  五台山で『南国土佐』を想う

(第4回)  五台山で『南国土佐』を想う

 高知の人は、ほんとうに高知が好きだと思う。私見だが、高知、秋田、宮崎には、ある同じ特徴を感じる。それは、「奥まっている」という感覚だ。存在する地理的特徴に起因しているが、東京の中心部からダイレクトに渡ってこれる感覚がなく、一旦、どこかを経由してくる感覚だ。

 たとえば、秋田なら盛岡を経由し、宮崎なら鹿児島、そして、高知の場合は、本州の入り口、高松と言うわけである。もちろん、この時代、空路を使え

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(第2回) 竜飛岬で『津軽海峡冬景色』を唸る

(第2回) 竜飛岬で『津軽海峡冬景色』を唸る



初夏の津軽。竜飛岬先端から津軽海峡を眺める。

 作詞家の阿久悠氏が以前どこかで、「昨今の歌は、歌詞が飛んでいない」と言っていた。冒頭三行で聞き手の気持ちを、日常の位置からどこか遠いところへ連れて行ってあげることが重要だと、そんな主旨のことを語っていた。そのときに例にあげていたのが、この『津軽海峡冬景色』である。

 「上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中」

たしかにこの歌は、こ

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(第1回) 『岸壁の母』をひねる、舞鶴の港

(第1回) 『岸壁の母』をひねる、舞鶴の港

 万葉集の時代から昭和ムード歌謡、ひいては、ゆるキャラとこどもたちが歌う「企画ものご当地ソング」まで。歌が土地を元気にし、土地が歌を元気にする。歌でニッポンを巡るこの旅は、かの名曲『岸壁の母』。菊池章子、二葉百合子に歌い継がれた名曲の舞台に迫る。

 昭和40年代から50年代にかけて、『岸壁の母』は、お茶の間によく流れていた。「母は来ました今日も来た」。まだ小学生で事情がよく飲み込めていなかった私

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