インタビュー:三澤建人「デザインのユートピアとUIという地平」<後編>
こんにちは。DDDPの中倉です。
前回に引き続き、UIデザイナー・三澤建人さんへのインタビューをお送りします。
この後編では、三澤さんがデザインを続ける理由や、UIに見出した可能性、そして、デザインの魅力とその素晴らしさについて語っていただいています。
目次
・9割と1割、再び
・デザインのユートピアと、UIという地平
・「デザインのデザインのデザインのデザイン」という地層
9割と1割、再び
中倉 ただ、それを踏まえたうえでなお思うのは、これは原研哉さんの「デザインのデザイン」を読んでいて思ったことなのですが、彼はユーザーに対して「こういう人間になってほしい」というヴィジョンが明確にあるように思うのですね。実際にその本の中で「日本人にはデザインの基礎教育が不足している」とも言っている。
人に向けたデザインを行う中でも、このような理想というのは多少存在していると思うのですが、それは三澤さんの中にはありますか?
三澤 私個人としては「理想の未来を込めるものではない」という思いが強いです。
しかしもちろん、全く無いとは言えません。割合でいえば「理想の未来は込めるべきではない」という思いが九割あり、しかし残りの一割に「理想の未来を込めよう」とも思います。
中倉 その割合は、冒頭で仰られた「クール九割、パッション一割」という割合と同じですね。
三澤 そうですね。確かにその一割は、私の理想の暮らしであり、理想の人間像だとも思います。それを具体的に表すことは難しいのですが……しかしやはり、人らしく生きる、ということなんだと思います。
例えば、便利さやスムーズさという領域と、人らしく生きるという二つの領域があるとして、これらは基本的には対になっているものの、重なり合う部分もある。つまり、いびつな形をしているんです。
ただ、基本的には便利にしたりスムーズにしたりすることで、人らしいことが得られる構造になっている場合が多いと思いますし、そうでない場合は極めて稀です。
最終的にはそれが、人が人らしくあるためのことであればいいな、と思っています。
デザインのユートピアと、UIという地平
中倉 三澤さんは仕事をしていて「折れる」ことはないのでしょうか?
というのは、基本的にデザインというのはとても大変な仕事だと思うんですね。そしてデザインよりも楽な仕事というのは、世の中にいくらでもあると思うんです。
けれど三澤さんは「折れる」ことなく、デザインを続けている。
例えばその場合に強い思想や価値、あるいは使命感を持っている、ということであれば分かるんです。つまりデザインの神様を強く信じている、ということであれば、折れそうになったときもそれが支えとなって、デザインという仕事を続けることはできるでしょう。
しかし三澤さんの場合はそれが薄いわけですね。具体的には一割しか存在していない。その割合で折れずに続けられているのは、何故でしょうか?
三澤 それはとても簡単で「すぐそばに喜んでくれる人がいるから」です。それは本当に近い距離に存在している。
例えば私はUIデザイナーなので、近くに実装してくれるエンジニアさんがいるわけですが、その人が喜んでくれるというのが、まず自分のエネルギーになる。
そしてもし、その人がなにか変な反応を示したとしても「絶対この人の向こう側にいる使い手は良い顔をしているな」と思える場合があって、その場合も、同じくエネルギーをもらうことができます。
わりと、自分が想像できる範囲のことでしか、自分は許容できなくて、自分と一緒に働いている人であるとか、使い手として想定している人がいいと思ってくれることだけやっているつもりです。
もちろん、UIデザインだけでなく、プロダクト・デザインでもそうだとは思います。ただ、プロダクト・デザインの場合に難しいのは、できることが色や形を決めることに限られているんです。
そして色や形を決めることがどういう場面で返って来るかといえば、パッと見たときに買う人がどう思ったか、あるいは、使ってみた時に、その形状が役にたった、というところでしかない。
私としてはその、色や形というのがとても狭いと感じていて、もう少し先まで行きたい、という思いがあります。
中倉 なるほど。少し疑問が解けました。通常であれば、プロダクト・デザインという分野を目指した人は、その分野への愛着であったり、執念であったりというものを、そこまで簡単には捨てられないと思うんですね。
でも三澤さんはその分野を出て、現在UIやUXをやっているというのは、デザインの領域が狭く感じたから、ということなんですね。
もちろん、冒頭で三澤さんご自身が仰っていたようにプロダクトを離れた理由には、身体的疲労や個人的な限界というのも強く作用したとは思います。ただ、そういった問題は基本的に、時間が経てば回復し「もう一回やってみようかな」という感情が出てくると思うんです。しかし、そうはならなかった。
それは、三澤さんが、プロダクトへのデザインを見限ったわけではないでしょうし、その欲求が潰えたわけではないと思います。機会があればやるかもしれない。
そうではなくて、未練や諦めといったネガティブな感情とは全く無縁に、真っ直ぐに、そして真摯にUIに取り組むことができているというのは、簡単に言えばプロダクトデザインという領域が狭く感じた、ということなんですね。
三澤 恐らく今の説明は正しい、と思います。
また中倉さんのコラムの話になるのですが、私もデザインの神様はいる、と思っています。ただ、デザインの神様を信じる人がいる一方で、人を信じる人もいる、と思うんですね。
例えば柴田文江さんと澄川伸一さんという二人のプロダクト・デザイナーがいるのですが、私の印象でいえば、柴田さんは人の内側から湧き出てくるものを信じている印象があります。 他方で澄川さんは、曲線の美しさを追求するタイプのデザイナーという印象があり、彼は今回でいうところの「デザインの神様を信じている」デザイナーなのだと思います。
中倉 それは簡単に言えば、上から引っ張っていくタイプと、下から押し上げていくタイプに分かれる、ということでしょうか?
三澤 そうですね。 ただ、今は例としてプロダクトデザインの領域から二人を挙げましたが、基本的には、デザイン領域によって信じるものが違う、と思っています。
つまり、プロダクト・デザイナーとUI/UXデザイナーでは、信じているものが全く違うと、私は思っているんです。
例えばプロダクト・デザインには、神様はいるとおもうんですね。恐らくそれは、みなさん想像しやすいと思います。形の神様です。それを信じているからこそ、プロダクト・デザイナーは形の美を追求することができる。
しかし他方でUI/UXデザインにおいては、神様はいないと思うんです。信じているのはあくまでも人で、人の内から出てくるものを追求している。
「デザインのデザインのデザインのデザイン」という地層
中倉 少し別の言葉で言い換えるなら、イデア論ですよね。そしてプロダクトデザインには、美と呼んでもいいようなイデアが存在して、その投射として様々なプロダクトがこの世界に存在している。
しかし他方でUI/UXには、そもそもイデアが存在しておらず、あえてイデアを設定するとすれば、それは人間こそがイデアだ、ということですね。
三澤 そうです。ただ、そのイデアにおける有無という相違はあれど、私はそのどちらもがデザインだ、と思います。
例えば、プロダクトとして、ワイングラスをデザインしたり、UXとしてワインを飲む場所をデザインしたりするわけですが、それではデザインという言葉が何を指しているのかといえば、それはワインの形づくりを決めることや、ワインを飲む行為を考えることではありません。
私がデザインと呼んでいるものは、それを考えようと言ったときに発生するアプローチ、つまり、考え方の話なんです。
それは哲学に近い存在だと思います。哲学というのはある意味で、物事のメタを考えることができるし、メタのメタ、メタのメタのメタ、という所まで考えているわけですよね。 デザインもそれと似たことができるんです。
例えば、何か目的があり、それに対するアプローチを考えるわけですが、そのアプローチを目的とすることもできるわけです。そうすると、今度はアプローチのアプローチも考えることが可能になる。そのように、アプローチを幾重にも重ねることで、デザインの入れ子構造が出来上がります。
中倉 なるほど。つまり三澤さんは「デザインのデザインのデザインのデザイン」という、幾重にもメタの視点を重ねることで出来上がったその厚みにデザインの豊かさを感じているわけですね。
三澤 というよりは、そこにデザインってすごいな、と感じるわけです。私はその厚みにデザインの素晴らしさを感じますし、感動するんです。
ですからそう考えた時に、やっぱり、デザインがアウトプットの手法であるとか、色や形だとか、最終的に出来上がったものの名詞だととらえるのは、フォーカスがずれていますし、貧しいと思いますね。
中倉 今日のインタビューは非常に刺激的でした。また、これまで曖昧模糊として掴むことのできなかった、三澤さんの持つデザインの世界観の一端を知ることができ、個人的に、非常にうれしく思っております。
また、デザインについて興味がある人だけでなく、興味の無い人でも、このインタビューを読んでいただくことで、デザインに対する感動がこれまでとは違ってくるのではないかと思います。
三澤 あれ、もう締めようとしてますか? もっと話したいこと、あるんだけどな(笑)。
中倉 大丈夫です。この後の三澤さんのコラム・コーナーは、そのために用意したものですから。逆に言うと、ここで全てを出し切られても困るんですよ、こちらとしては(笑)。
読者の皆様のために説明しておきますと、三澤さんのコラムはこのあと連載として、全四回にわたって続く予定です。形式としては今回と同じで、私のデザインに対する疑問や印象をお題として三澤さんになげ、それに対して三澤さんに応えていただく、という形式を考えています。
そこで、今回だけでは解き明かすことのできなかったデザインの輪郭を、お伝えすることができればと考えています。
三澤 まあ、頑張ってください(笑)。
中倉 頑張ります(笑)。
本日はどうも、ありがとうございました。
後日、三澤さんによる「アンサー・コラム」を掲載予定です。お楽しみに!
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