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ここがタメになった「生きる 小野田寛郎」7/⑦

太平洋戦争が終わってからもフィリピンの離島で30年間サバイバルをしながらゲリラ活動を続けていた日本兵のお話です。
日記のような形で淡々と語っているので、盛り上がりのあるドラマチックな作品という形ではないのですが、誰も真似できない個性的な内容が目をひきます。戦前の日本人の価値観を持っているため、現代の私たちから見ると理解しがたい部分は多いです。
生きるというテーマにしたのは、日本に来て講演するテーマが毎回生きることについてだからです。野生同然の生活をしてきた自分自身の体験から何かを汲み取ってほしいとのことです。
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戦後の日本の価値観が嫌でブラジルに出たのに、再び日本で活動を始めてしまうのは意外です。ブラジルで困らず生活できているのだから戻る必要がないのに。しかも無料奉仕です。お金を稼いだような跡はみられなく、資金もとくになかったようで、著者の死後すぐに塾の設備更新のためにクラウドファンディングが行われていました。著者は損得勘定よりも大事なものがあるという価値観があり、だからこそ無料奉仕が数十年も続けられたと思います。

塾というのは合宿型の短期のもので、集団行動が大事という割にルールは極力少ないです。なじめなかったら帰ってもいいという自由なスタイルでした。自主性を重んずる教育活動は多いのですがそれらと比べても自由な方です。子供たちに自主的にものを考える習慣をつけることだけを目指しているようでした。カリキュラムが決まっていて最後に結果記録と表彰をするタイプの教育事業ではできないことをしています。

あまり人に教えることもしない著者ですが、不撓不屈という言葉は贈ります。金に執着がなく日本で老後を地道にすごすこともできたのにブラジルで成功を目指したのは、成功することで日本の人たちに何かを見せたかったそうです。
情報化社会で先が見えるようになり「早めに諦める判断」が重要視されてきた現代ですが、この考え方は大切にしたいです。

~~以降は内容説明~~

昭和59年から日本の富士山周辺で子供達のキャンプ「小野田自然塾」を始めました。ひたすら物を教えるのではなく体験を通して人としての基本的なものを教える形にしました。

・人間は自然の一部でありちっぽけなものである。
・集団で生活する時の大切なもの、つまりルールを守ること。感謝の気持ちで他人と接すること。
・小さな目的でいいからやり遂げる気力を養い、諦めず工夫しながらトライし続けること。

子供達にこの三つを体で知ってもらいたかった。
子供達に命令は出しません。「君たちどうする」と聞くだけにします。彼らの潜在能力が発揮され自分で何とかしようとするようになります。
塾に親がついてきて叱ることがあり、せっかくのキャンプなのに家庭の延長になってしまい子供の注意力が親の方に向かってしまいます。親が全てにおいて口を出してしまうことで子供が問題行動を起こしてしまいます。
著者自身は子供の頃から気が強く親に反抗することがあり、17歳の時に進路をめぐって親と喧嘩をし家を出て中国で働いていました。その体験が根拠になっています。


人に贈りたい言葉として「不撓不屈」という言葉を選んでいます。負けてたまるかという気持ちが大事なことを忘れて欲しくないためです。
世の中綺麗事ではなく、豊かな生活をしていても泥棒に入られたらお終いであり警告や対策をする必要があります。現実が理想じゃないから仕方ないことであり危険に鈍感になるのは良くない。人間本来の野生を取り戻すことが対抗手段です。そのために自然塾をしています。


嫌なことや辛いことにあった人が絶望するのは無理ないが、自殺だけはしてほしくないと説きます。著者自身は戦争の記憶をを消すことはどうしてもできませんでした。嫌なことを引きずらず前に進むことが必要です。
教訓だけを頭に残してあとは全て忘れてしまうしかありません。


著者は死んだ方が楽だと思ったことがあります。ルバング島の山の中で白骨化した日本兵の遺体に出会ってメンバーと共に埋めていたら、「早く死んだやつの方が楽だったですね」と言われます。本当にそうだとしみじみ思いました。しかしこれは冷静でないから思ってしまうのであり目的を忘れていて正しい判断ができない状態です。目的を忘れたら死んだ方が楽に決まっています。
人間は目標があれば生きられます。もし絶望したら小さなことでいいから目標を見つけて実現するために行動することです。壮大な目標は追求せず手近な何かを見つめることが大事です。
人は生きるために生まれてきたのです、シンプルに生きることが大事だと思ってほしい。

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