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ここがタメになった「人類史に輝く古代都市はなぜ消滅したのか?アナリーニューイッツ」2/②

4つの古代都市を調査し、その滅亡の理由について書いています。実際には決定的な証拠がないため「資料から予想されること」を主に記述しています。
都市の滅び方がそこまで悲劇的ではなく、数百年栄えて気候も変わってきたしヨソに引っ越そうという感じで移住していく感じなのが意外でした。もちろん粘って住み続ける人もいたのですが少ない。

アンコールワットは自然に隠された幻の古代遺跡とされて、発見された時奇跡の発見とされました。実際はそれ以前に外国人がちょっとずつ来ている。王族は塔を建てていったり、修道士は記録作って発表したりけっこう派手なことをしています。なぜか日本人の武士が訪れていて地図を作る。そのひっそりさ具合がすごく日本ぽいです。

アメリカインディアンは宗教が各部族にあるとは知っていましたが、大規模な宗教が誕生して聖地のような宗教専門都市ができていたのは驚きました。立地が少し不便で経済活動に向いてなくても人は集まってしまう。宗教というのは強いです。


~~以降は内容説明~~

【アンコールワット】
・アンコールワットはカンボジアに位置する古代都市であり、特徴として貯水池と運河が挙げられます。しかし、徐々に洪水が頻発し、土砂が運河を埋め、都市は衰退していったと考えられています。
・一般的な熱帯地域の焼畑農業が行われ、動物の骨や糞を混ぜながら耕作を行っていました。主な作物はバナナ、サゴヤシ、そして芋でした。
・他の古代都市とは異なりアンコールワットの建物は土や植物で作られていたため、都市が崩壊すると自然に戻る過程が早かったです。そのため、アンコールワットは見つけにくい遺跡となりました。
・この都市では労働力が最も貴重な財産とされました。船を使ったインフラが発展に大きく貢献していて、運河や池の維持に人海戦術が必須だったからです。
・アンコールワットは1860年に探検家によって発見されたとされていますが、実際にはそれ以前に何度か外国人が訪れていました。
・16世紀にはカンボジアの王が一部のアンコールワットの復元を試みたり、ポルトガルの修道士が都市について語っています。
・17世紀には日本の巡礼者がアンコールワットを訪れ、地図を作成しました。
・18世紀にはカンボジアの王が仏教のための塔を建てました。
・都市開発計画のスキルが未発達であったため、池や運河の形や位置が適切でなかったことが原因で、徐々に維持に余分なコストがかかるようになりました。運河に土砂が堆積する問題も発生しました。
・再開発が何度も試みられましたが、状況は改善されませんでした。こうしてゆっくりと滅んでいきました

【アメリカのミシシッピ川地域の古代都市カホキア】
・アメリカのミシシッピ川周辺には、アメリカインディアンの古代都市が存在しました。農業が主要な活動であり、家畜はほとんど見られませんでした。
・この都市は宗教的な都市であり、生贄制度が存在していました。経済的に有利な場所に建設されたものではありません。
・この都市は数十年で一斉に崩壊するようなものではなく、数百年単位で人口が減少していくという形で衰退していきました。このため、住んでいる人々にとっては衰退が体感しにくいものでした。
・都市では土を盛り上げてマウンド(ピラミッドのような構造)を作ることが特徴でした。


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