自律神経やられてたときの感覚について

どうも後厄のZe;roPです
今の悩みはこれまで働いたところが安月給だったため、お金がなくやべーやべーってなってることです

さて、表題のとおりですが、前回の記事にて今年の初頭に精神をやられていたことを書きました
その際、精神は正常になった今だからこそ感じる心の違いというものを書きたいと思います

自信がなくなる

これはよく聞きますよね
まさしく過去の失敗経験やそこからくる不安などによって自信がなくなってしまうことです

しかしながら怖いことはただその時自信がないことではなく、自分自身が行った言動や行動、過去の発言などに自信が持てなくなってしまうことなんです

どういうことかというとですね
自律神経がストレスによって乱れることで脳が端的にバグります
すると長期記憶の取り出しが弱くなり、過去に起きた出来事の感情や発言、行動の記憶がはちゃめちゃになります
カウンセラーの言葉を借りると「(記憶の)引き出しが弱くなっている」ということです
つまるとこ負の連鎖を引き起こします

一度引き起こすと怒鳴られた→過去の記憶を元の修正する→しかし記憶が狂っている→言い訳を考えるができない→また怒鳴られる
みたいなことが起きてしまいます(人によっては怒鳴られなくても純粋に自信を失うでしょう)
そうやってどんどん考え方や視野が狭くなり、感情的になっていきます
僕の場合は周りが敵のように感じてきました(このパターンは無意識ながら多いようです、防衛本能ですから当然ですね)

空元気で演じる

これは結構長らくそうだったかもしれないです
そうでもしないと自分の心が持たないと思い込んでしまうのです
これに付随して今自分が辛いのは〜〜だからだと言い訳を考えてそれに合わせていきます
これは認知的不協和を解消しようと正当化してしまうことが悪く働いてしまっている為です
ですが、これはガソリンが少ないのにスポーツ走行をすることと同じくかなり無理をしていてすぐに息切れをします

すると暗い気持ちになってネガティブ思考に支配されていきます
僕はネガティブ思考は悪いことと思っていません
というのはリスクを考える際にそのようなネガティブ思考はストッパーとなるからで、本能的に備わった感情は必要だからあるのです
しかし過剰に働いては毒なのです
地下シェルターにただ入りすぎていたら食料が尽きてしまうように時にはリスクを取れるポジティブ思考も必要ではあるのです

その瀬戸際で苦しみます

超治るか焦る

これは本当にありました
「こんな状態が本当に治るんか?俺性格悪いし馬鹿だからこうなってるんじゃね?」という気持ちが凄くあって、周りの言葉はプレッシャーになりました

とはいっても周りは全く悪くないですし、この状態だと何言われても辛いだけです
友人だろうと家族だろうと誰でも拒否したくなります
周りが元気な調子についていけず、風邪のようにすぐに治らず、自分のことだから逆に日々の変化を感じ取れず、苦しい状態の方はこのご時世多いのではないでしょうか

感情がついてこない

これは例えば、「歩いてたら急に涙出てきた」「他の人についていけない」「楽しいことがわからなくなる」といったことです

そのように感情のコントロールができなくなってくると、虚無感といったものやネット上で言われるキチガイゲージなるものが発生したりします
僕の場合は虚無感しかなかったのですが、人によっては発狂に近い怒りベースの暴走が発生するケースがありました

このように自身がわからないことが発生して余計に混乱するのです

こだわりが強くなる

これはおそらく精神疾患で最も厄介なことではないでしょうか
これまで書いた内容が数珠のように繋がり、妙なこだわりができます

「私は○○だからこうなんだ」「〜〜はこうかもしれないから発生した」「私は○○は苦手だから」

といったような無意識のこだわりが発生し、自身の領域を狭めます
それは人間関係についても同様です
これは夫婦や恋人でも多く、別れる要因の一つになったりするのであながち珍しい事例ではないのかもしれません

この問題は厄介で、論じるには根拠が必要です
その根拠を過去の失敗経験によって補うことが可能だからです
するとたとえそれが精神疾患や発達障害等のハンデによる影響だったとしても、過去の経験はその人自身の失敗体験として認知されてしまうのです

適切に問題を医療的に切り分け、整理する必要がありますが、まず一人だと無理だと思います

正常になってから

それでは私が正常になってからこれらの問題をどう対処したのか書きましょう

自信がなくなる
これについては、まあいいか〜という気持ちになりました
しいては感情の落ちどころをつけた形になります
実際問題なんとか生きることは可能ですし、自分ができることを最大限やってできないことは他の人がやればいいのです
そもそもこの社会自体がそうですし、仕事がある時点でそのとおりなのです
長期記憶がしっかりしたことでミスが減り、これらの経験を通して場をやり過ごすことも覚えたので以前より世渡りがうまくなったのかもしれません
一つ救われた言葉として、「だめな自分も調子がいい自分も許したれ」という誰からの評価でもない自分自身を大事にしようという思考です

空元気で演じる
これはなくなりました
無理なときは休みます
しかしながら休めないときが誰しもあると思いますが、そこは頑張っちゃって後で自堕落に一日でも過ごせばいいんです
どうしても無理なら逃げることもありです
自分が渡れる橋を渡りましょう

超治るか焦る
これもなくなりました
知能検査を受けて発達障害とか色々わかったのですが、ラッキーと捉えて自身の性質や現状を整理し、どう動いたらいいのかを考え動いた結果、動きやすくなり、ぶっちゃけ治らなかったとしてもそれはそれだなって思えるようになったからです
ここまで至るのにはそこそこ大変ですが、なってしまえば早いです
自分を責める言葉や縛る言葉を使わず、〜〜するかぁ、あ〜でも実際きついから今日はねるか〜みたいなニート思考で一旦おkです

感情がついてこない
これも治りました
必然と上記のことをした結果、ある程度感情が戻ってきて、ある日「うぜ〜ことはうぜ〜、楽しいことは誰がなんと言おうと楽しいんじゃ!」と振り切った結果、周りからはあいつ狂ったぞみたいな評価されたりもしましたが、むしろ毎日怒鳴られてるのに笑顔で過ごし、頭下げて帰ってやけ酒してる人とどっちが狂っているんでしょうか
お酒の楽しみ方を間違っているような方が多い世の中ですが、それよりも人間的に生きていて、毎日楽しく生きている人の方にこそ人は寄ってきます
なんせそれが正常だからです

こだわりが強くなる
これは前より減りました
というのは誰しもこだわりはありますが、無駄なこだわりが減りました
これはなにかしたわけではなく、自ずとそうなっていったのです
わかりやすくいうと成功体験が増えたことによる自身の鎖が解かれていった感覚に近いです
なので心配しなくても自然と消え、あのときなんであそこまで意固地になっていたんだろうと思うようになります、本当です
ちなみにADHDやアスペルガーなどの方は特に失敗経験が多く、脳の性質からこだわりは強い傾向にありますが、プライドなんか捨てちまえ!って感じです
こだわりが優先されてたらキレイな直筆を書くよりワードとかが使われている現代は一体どう説明できるのでしょうか

最後に

今めっちゃ苦しいよ〜って方はテレワーク時代の今、多くいると聞きます
もしかしたらそれは自律神経の乱れなどが引き起こした病気の可能性があります
それか元々の発達障害等が露呈した結果かもしれません
そう診断されたらラッキーなのかもしれません
というのは診断されるということはあなたのせいではなく、対処法があるということです
僕は精神系の病気や性質が判明することを悪いとは思いません
これらを悪いと捉える傾向はまだまだ強いですが、むしろそれを捉えずこの先得体のしれない自身の性質と向き合うほうが悪いといえます
僕は風邪の感覚で精神系の治療はした方がいいと思いますし、自身のエゴやプライドでせっかくのチャンスを棒に振ってはもったいないと思います
僕は今こう考えています
どのような選択をとっても結果が正解だったと言える道につなげればいいのだと

とはいうもののやはり不安などはあると思いますが、今一度元気になったものの1意見として捉えてもらって、誰かの役に立てたらと思います
個人的に話がしたいということがあればいつでも連絡受け付けていますので、TwitterDMでもリプライでもしてください(@datui2525)

ではでは良き日常を

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