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文章を書くときは


 あたしの書いた文章で笑ってほしい、読んでる間だけヤな事忘れてほしい、くだらない私をみて救われてほしい、あわよくば私という人間を好きになってほしい、そしてこんなあさましい私を赦してほしい、そしてそんな自分を救ってやりたい。そんな気持ちで、文章を書いている。

 真面目そうなことを書いても面白くないので、笑わせたい文章を書くときは法律や道徳上
可能な範囲のアホさを引き出す。
 長文でつらつらダラダラ語ってから短文のツッコミを入れてスピード感を上げる。アドレナリンを、場所も知らない脳の言語野に流し込んで、そこから出力される言葉をそのまま、あけすけに浅ましく、欲望には忠実に、くだらないことほど真剣に書く。
 そんなくだらない自分を見て笑ってほしい、文章力があると思われたい、認められたい、くだらないものほど愛おしいとデカい声で叫びたい。全部私が教室でできなかったこと言えなかったことである、青春のリベンジに近いかもしれない。高校卒業して5年以上たつのにまだこんなこと言ってる辺り執念深い。そんな女はダメらしいのでここらへんでやめておくのがよろしいだろう。

 そんな感じで調子に乗って文章を書いて発表し始めたのが3年くらい前である。意外にも周囲の人から反響があり、当初は「お前ヤバいな」という評価がほとんどであった。心外である。とはいえその評価が嬉しかった。書くのが好きになった。インスタ然り、noteしかり、「恋愛してえ!でもできねえ!なんならそんな素養もねえ!」と拗らせた人間の話は世間一般の方が結構面白がってくれる。ありがたい話である、だがこちとら真剣なんですよね。いい加減恋愛をせねばならない、また言ってるよ。私にとって「恋愛せねば」「マッチングアプリ」は冬の季語です。

 話はそれたが、そんなこんなで文章を書くのは好きである。キーボードを叩いている時、なんとなく自由になれる気がしていて、普段脳内で垂れ流し口の手前でせき止めている台詞や感情を文章として打ち込む時、口に出すよりも緩やかにまろやかに言葉にできる気がしていて、ちょっとだけ無敵な気分だ。
 こんなこと書くと誹謗中傷コメする害悪ツイッタラー予備軍みたいだけど、世の中私以上に、どう考えても悪意に取れる言葉を口に出したり書き込んだりして人を傷つけることを何とも思わない、感性が鈍く生まれてしまった可哀そうな人たちが思ってるよりたくさんいるので、これくらいにオブラートに包んだ言葉は許してほしいなとか思う所存である。あれ、これも誹謗中傷を行う人間への誹謗中傷かもしれない。なら私もデリカシーのない人間とそう変わらないのかもしれないね。人の事言ってられないけど、少なくともこうやって本音を言うことを建前に他者を批判するとき、読み手の何人かを傷つけている事は理解して日本語という劇物をまき散らしている事をわきまえておきたい。罪の意識があるかどうかは大事だと思う。本音を言う相手と場所は選ぶべきだ、伝え方も考えるべきだ、言葉を真綿でくるんで丸くして角を除いたその上でもまだ傷つく人の存在を覚えておくべきだ。つまり本音なんて、仲良しの数名と直接会ったときに駄弁るくらいでいいのだ。テキスト化すべきでない、そうするならそれによって起こる人の気持ちの動きのすべてに覚悟を決め責任をとることを含めて発表するべきだ。それくらいの覚悟が、SNSで全体に公開する文章を書くには必要だと思う。

 音声のコミュニケーションはSNSの発信と違って閉鎖的だと思う。聞こえる相手しか届かない。だとしても情報処理速度が速い。私は頭の回転がのんびりしているので、雑談というのが割と苦手である。追いつけない、聞き取れない、聞き返しにくい、消えていく。
 それに対して、書く、というのはマイペースでいい。流されて触れられない話題やふと思いついてもそのままじゃ何の落ちもない、そんな言いたかったこと言えない事忘れた事を救い上げて丸めて表に出せるところが好きだ。音にしない、言葉に出さない、いろんなことをゆっくり形にできる。そんなところが好きだ。

 文章を書くとき、そんなことを考えて、キーボードを叩いている。

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