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「タンジェリン」監督:ショーン・ベイカー/偽善の"ダイヴァーシティ賛歌"はもうお終い

2015年アメリカ映画。
『全編iPhoneで撮った』と聞いており、大画面で必ず見るつもりでいたのだが仕事で観に行けず、ようやくNetflixで拝見。

トランスジェンダーの二人が主人公で、サンダンスで絶賛された作品と聞き、「教育的な映画はあまり見たくないな…」と躊躇していたものの、想像していた映画とは全く違った。

【LGBTを扱う=教育的】と言うレッテルと張っていたのは、誰でもないオレ。己の想像力の貧困さに涙がでる。思慮の浅さに喝を入れてくれる作品、非常に好みである。

監督・共同脚本・共同撮影・編集:ショーン・ベイカー
出演:キタナ・キキ・ロドリゲス、マイヤ・テイラー、カレン・カラグリアン、ミッキー・オヘイガン、ジェームズ・ランソン
共同脚本:クリス・バーゴッチ 共同撮影:ラディウム・チャン

セリフについて
誤解を恐れずにいうと、物語は結構どうでもいい内容である。

しかしながら「どうでもいい話」にグイグイ観客を道連れにして行く過程が心地よく、良質な音楽を聞いているような感覚だった。

この勢いの良さの理由は、役者の演技、編集、登場人物の行動力(物語)など色々あると思う。ただこれは他の「いい映画」にもある特徴。「タンジェリン」が突出しているのはセリフ運びだと思われる。

特に冒頭。
初めの5分ほどで物語の展開、シチュエーション、内容全てを紹介。これからどんな人間が何をするのか、全て会話で予期させてくれる。

「いい映画」は初めのカットでそれを行う。ただ会話がないことがほとんど。初めの5分でこれから観る映画の内容を<セリフ>で語り切る作品は非常に稀有である。あるとしても大抵、説明のオンパレード。会話になっていないものだ。(日本の商業映画の説明だらけのセリフには辟易させられることが多い)

物語の説明を「よくもここまで会話として展開し、疾走感と共に始められるなあ!」という感激から「タンジェリン」は始まる。

頭から完成度がここまで高い作品が面白くないはずがない。

作品のテーマについて
見ながら興味が尽きなかったのは、生物的には男性だが女性である娼婦のライフスタイルや価値観というものを生々しく描写している部分。

恋人が「real bitch=性別的に女性」と浮気すると、ここまで熱烈に怒るものなんだ、とか、こういう言葉使いをお互いに交わすんだ、とかトランスジェンダーを特に好む客はこういう風に相手を買うのか、などなど自分の知らない価値観を中心に世界が動いており、そこに身を置く経験をさせてくれる。

特に終始気になっていたのが主人公の二人の圧倒的な魅力。
非常に可愛くチンチンがついてるなんて信じられない。何度も劇中で彼女たちにチンチンがついてることが言及されているが、本当は演じているのは女性がなんじゃないかと疑い続ける。

しかし最後に「やはり男なんだな」というような<ネタバレ>のようなものがある。そこで自分の中にある<差別的な意識>とでもいうのか、世界を<男らしさ>や<女らしさ>で見ていることに気づかされる。

そんな自分を恥ずかしく感じたりするのだが…

決してそれは悪いことではなく「世界には色んな角度からの見方があるのだ」というような、世知辛さも含めて包容してくれる。そんなものを感じさせてくれるなんて本当にすごいことだと思うのだ。

iPhoneで撮ること
仕事でも、なぜか大きいカメラでカメラマンが撮った方がクオリティが高いと感じている節がある。

ただ、その「クオリティ」って何だよ。
よくよく考えてみると、ちゃんと思考を重ねた結論ではなく。「タンジェリン」を観て、自分の視野の狭さに恥ずかしくなった。

映像が綺麗・綺麗じゃない論争はどうでも良く。
「物語に必要なものが撮れているかどうか」が大問題なのである。

iPhoneで撮ることの利点は色々あると感じた。

監督も言っているが、iPhoneが小さいがゆえ、役者への圧迫感が少ない分自然な演技が引き出せたのではないかということ。
今回、役者たちがほぼ素人ということで、特にその要素は大事だと思う。

あと被写体深度の浅さもこの映画の強みであると思う。
通常のカメラだと背景をボカしたり、ピントがあってる所とあってない所を使い分けた映像演出などができるが、iPhoneだとそれができない。背景までパキッ!とクリアに見える。

それを逆手にとって、この映画は「登場人物たちが生きている街」をくっきりと見せてくれ、恐らくあまり照明を使わずに撮っているので街の様子も、登場人物たちの存在感が非常にリアルで生々しい。夜のシーンは特によかった。

三脚を据えないで撮っているのでドキュメント感もあり、観客も「そこにいる」感覚にさせてくれる。映画を通して、全てが生々しいのだ。

まとめ
よく見聞きする「ダイバーシティ賛歌」には「LGBTを差別するのって変よね〜」「みんな仲良くしましょう」とどこか遠くから投げられている気がして、どうもしっくりこないことが多く。

遠くから投げられるより当事者(→この呼び方も好きじゃないのだが、他に呼び方がわからず)とつるんでいる方がよっぽど「LGBTってわざわざ分ける意味がわからんわ」と思えたりするのではと思うのだが、いかんせん。どうやったらそのシチュエーションに出会えるのか分からない人もいる。

【男とか女とか肩書きとか関係なく、人生って色んなことがあるよね】と映画で感じられるなんて、本当に素晴らしい。

映画をあと色々調べてみたのだが、監督はこの作品を「社会派」だと読んでいたこと。自分のしる「社会派映画」とは全く違う。ここまで間接的に「社会」を語る演出力に脱帽してしまう。すげー。

学んだこと
己の思慮の浅さをあぶり出すことを徹底する。
ドラマを作る上で取材力が非常に大切である。

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