なぜ日本には緑が多いのか?
こんにちは^^
今回は、日本の原風景のルーツについてお話しする。まず日本と言えば空から見ると緑があふれる島国であり、地上から見てみると豊かに実った田んぼに手入れの行き届いた里山がある。
ではなぜ日本は緑が多い国として発展していったのだろうか?
|農業中心の日本を作った天武天皇
675年、天武天皇の御代に詔(みことのり)が出された。それは「牛、馬、サル、鳥の肉を食べることを禁ずる」「特定の器具を使った漁業や狩猟を禁ずる」という内容だった。
これにより、主に日本人は魚や大豆からたんぱく質を摂るという食習慣が始まった。その後、明治時代まで約1300年以上もの間この食生活が日本人の基本となっていた。
天武天皇は続けて、「南淵山・細川山(当時の都付近の山)で草や薪を取ることを禁じる」「禁止されているところで勝手に草木を焼いたり切ったりしてはならな」と、許可なく山野を開拓することを禁じた。
このことは、牧畜を積極的に行うヨーロッパや中国といった国々の人々とは異なる生き方を日本人に選ばせた。日本人は森を切り拓き、広大な牧場をつくる牧畜民の道ではなく、農業中心の民族へと育っていった。
|海外の文化との違い
牧畜を中心としたヨーロッパや中国では、たくさんの牛や羊を養っていくために山や森をどんどんと切り拓き、その草が食べつくされれば、さらに木を切り倒して牧草地を広げていった。その結果現在、土地が裸になり、乾燥して荒れ、深刻な問題になっている。
しかし日本は現在も緑にあふれている。今でも日本の国土の7割を森林が占めており、この豊かな風土こそが天武天皇の時代に定められた方針のおかげなのだ。
|天武天皇から受け継がれている多くの文化
天武天皇は日本の食生活に影響を与え、日本の緑を守っただけではない。伊勢神宮の再建や、各地の神社を修理させ祭りを行事として行わせた。お正月を祝うのも、桃の節句や端午の節句を祝うのもここから始まった。
また日本の天皇は、絶対的な権力を振るうようなことはなかった。豪族たちにそれぞれ立場を与え、力を振るわせるというのが天皇の政治のやり方だった。ここでの天皇の立場は精神的権威であった。
|まとめ
これが日本の「形」だ。万世一系という世界のどこにも存在しない唯一無二の国家の仕組みができて行ったのである。
長く繋がれてきた日本の美しい国土と文化に感謝とともに、日本人として生まれてきたものとして責任を持って後世に繋ぎたいと思う。
今回の内容は田中英道さんの「『日本』とは何か、『日本人』とは何か」という本から学んだ内容をアウトプットさせていただいた。
お読みいただきありがとうございました。
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