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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【7】

3診察【5】

ーセカンド・オピニオンー


症状は日ごとに悪化。
治療方法に疑問をもち、
くすりとは、応急処置的なもの。
回復傾向に程遠い。どうしたものか。


当時、
発病する1年くらい前から
付き合っていた彼女に、
病気も打ち明けていた。

ところが、
電車にのれなく
(乗れるが、なるべく避けていた。)
飛行機はもってのほか。
(これは想像しただけで、心臓が飛び出そう。)

こうなると、旅行もいけない。
いよいよ彼女は
シビレを切らした。

それもそのはず。
不安発作をおこし、
通院し、
くすりをのむ。

そんな日常
彼女は面白いわけがない。
ぼくらはまだ20代前半だ。

『休みにどこかいこうよ。
電車なんて大丈夫だよ。
なんとかなるよ。
ワタシがいるじゃん。』
『◯◯さんは
また海外行くんだって。
うらやましいな。』
『ね! 飛行機乗っちゃおうよ。
近くなら行けるよ。』

彼女も、はげましと
期待をこめて
いたのだろう。

しかし、毎度
ガッカリするような返事しか
できなかった。

「いやいや、絶対無理。ムリムリ!」
「まずは、新幹線にのれたらかな。」


(クソー、発病以前は
何もかも"へっちゃら"だったのに。
夢で終わってくれないかな、
なんだよこの病気…
意味わかんない。)

手術すれば治る病気で
数日後には退院。
そういう病気なら
さぞかし良かったかと。

不謹慎にも、
いつも思っていた。

先の見えない現状に
臆病になっていく。

不安から逃げるため
仕事においても、
プライベートにおいても
あらゆる誘いを
いつも断る。

【行けたらいく。】
【できたら、やる。】
【次の機会に…】


こんな答えで
次第に

付き合い悪いな💢
何で来ないのとか💢

先輩、同僚からも
言われるようになっていた。


『いつも来ないよね』は
特別"キツイ一言"だった。

誘いを断る理由は
次のストーリーを
常に描いていたからである。


①不安な要因が発生(条件が整う)

②発作がおきる。

③どうしたの?大丈夫?と心配される。

④大丈夫。なんでもない。

⑤でも、顔真っ青だよ。

⑥その場から逃げる→⑥-2.逃げられず終了(意識失う)

⑦あーもうやだ。何て俺だけ?

⑧その後、まわりから彼は病気だよ。と知れ渡る。

変なプライドを捨てること、
開き直ること、
これが出来ない。

"病気だから"とは
決して言えず
いつもかくしていた。

もし、⑥-2を経験していたら
もっと早く良くなった可能性が
あったかも?



セカンド・オピニオン
という言葉が
まだ聞きなれていなかったころ、

『違う病院で
みてもらったら?』
『病院があわないんだよ。』


彼女が言う。
違う病院でみてもらう。

この選択肢。
全くなかった。

視野がせまかった。
なにごとも
俯瞰しなかった。
こういうことに早く気づいていれば…

この一言が
病院を変えた
大きな要因であった。

紹介状をもって
改めて
女医のいる病院へ。

診察では
発病から今日に至るまでの
経緯を話す。

yによる自律訓練法
yが病院を変えると言った瞬間
ぶちギレて、
恐ろしかったこと。

これら
すべてをはなした。

女医は、

ここに変えて良かったじゃない。
病院を変えるのは、
普通にあること。
あなが、ここに通えない理由があれば、
私達は普通に紹介状を書きますよ。
その先生アタマ
おかしいですよ。

こう慰められ、
少し嬉しかった。

自律訓練がダメとか、
脳波測定がダメとか
は言わないが、
今まで頓服だけだったのは
ちょっと疑問。
当面は、くすりをキチンとのんで
症状を出さないようにしましょう。

これで自信を少しずつもってもらい、
くすりを減らしていく。
この方法で、
治療していこうとおもいます。

yの某クリニックの診察券を
捨てた。


つづく。

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