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瞑想が心地よい理由から自分軸についてつらつらと考えてみた。

瞑想ってもっと難しいものだと思っていたけれど、youtube動画を見ながらやると、とても簡単で驚いた。最初はこれで出来ているのかな?と不安になったけれど、やり終えるとスッキリするので「ま、いっか」っと続けている。

グラウディングという言葉にも興味がわいている。昔、母が本を買ってきて一緒にしたけれど、仰々しいというか、スピリチュアル寄りでちょっと理解できなかった。今回のyoutubeのように簡単なものだったらもっと取り入れられるかも知れない。どうしてそういうものに興味があるかというと、最近自分の軸を持ちたいと思っているからだ。

わたしは、結構周りの影響を受けやすく心模様がコロコロ変わる。昔は両親、とくに父親から受け継いだ信念があって、ぶれない芯があったように思うけれど、成人してから自分の感情に翻弄されて軸が見えにくくなった。

20代半ばに純文学を読んだ時期があって、それはすごくいい経験だったなと思う。特に、トルストイの長編小説を読み切った時は大きなものに対峙できた達成感や自信が生まれた。

このごろ、そういうことをまたやりたいなと思い始めている。本を読むことで、自分の信念や軸に立ち帰れると思うからだ。

話しはまた瞑想の話しに戻るけれど、わたしがyoutubeで見つけた動画では始めに先生が言う言葉も気に入っていて飛ばさずに毎回見ている。

瞑想している中でいろいろなことを思うかも知れないがそうやってこころが揺れることは構わない。大切なことはそれを感じながらもまた中心に戻ってくること。

これを聞いて、瞑想をすることで「中心に戻る感覚」を養えるんじゃないかと思った。

昔は、黒くて折れない芯のような鉄のようなものをこころに持って、それで周りと闘うイメージがあったけれど、最近は透明な大きな大木がお腹の中心にあって、その透明な中には色々な感情や経験が渦めくが、中心の膜は決して破けることがないというイメージでいる。

(これは偏見かもしれないけれど)女の人は男の人よりも柔軟であることが求められ、子宮があることで男の人にはないバイオリズムがあり、感情の波を生きている。だから、水のようなこころで、あらゆるところに意識がいきながらでも、生命の泉に戻ってくる感覚が必要なのかなと思う。

縦のリズムと横のリズムがあるとしたら、縦は現代社会の中を流れる時間軸で、横は感情の波で。どちらも大事だから、うまく共存させたい。

昔卒論を感情と理性のテーマで書いたことを思い出した。なんとなく同じようなことをずっと感じてバランスを取ろうと意識しているように思う。


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