コペンハーゲン国際空港の思い出/3

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カップヌードルを食べた私は、すぐそばにあった出入り口から外に出た。
夜の北欧はとても綺麗だ。
それは空港も例外ではない。
時折プラットホームに滑り込んでくるメトロなどの音が響いてくるが、それ以外では、これ以上ない心地よさの静寂に浸ることができる。
そして、澄み渡った北欧の空気。
雄大な自然が満ち溢れている北欧の空気はとても綺麗だった。
空は高く、晴れた日の夜は高い場所から輝く満点の星空を見上げることができる。
深呼吸をすれば、久しく忘れていた空気の香りを思い出す。
私はタバコを一本取り出し、その先に火をつけた。
初めてタバコを吸ったのは、12の頃だった。
学校は楽しかったし家族も好きだったが、休暇が嫌いだった。
全寮制のため、普段はあのむかつく幼馴染たちの顔を見ずに済むのだが、長期休暇にもなると、親の顔が見たくなる。
そして、地元に帰れば、必ずと言っていいほど馬鹿で間抜けで教養も寛容さも理解力もない、あの低劣なモンスターどもとすれ違うことになる。
飼い慣らそうとは思わなかった。
関わりたくない。
殴ることはできなかった。
汚いものに触れたくない。
ただただ、私は連中と関わりたくなかったのだ。
そして、今、私は学生時代に貯めた金で起業し、クレジットカードとパスポートとiPhoneさえあればどこにでも行けるようになった。
あの地元に帰るのは、年に数回だけになるだろう。
そう思っていたのだが、いざ財布をすられてしまうと、なんだかあの憎たらしい地元が恋しく思えてしまうから面白い。
私は、タバコを灰皿に捨てた。
北欧で吐くタバコの煙は、幽霊のように真っ白で、とても濃かった。
私は、シチリアに住むダルマツィオ・フラッティーニについて考えた。
今はあちらも夜だ。
リヒテンシュタインに住むディートリント・ハスラーは、夜型のため、まだ起きているかもしれない。
誰かと話したい気がしたが、YouTubeライブを開いていることを思い出した私は、視聴者の皆さまに話しかけることにした。
「さっむい」私は、黒のパンツにアイヴォリーのTシャツ、黒のカジュアルジャケット、グレーのフェルトコート、黒のブーツを身につけていた。
北欧ではあまり目立たない服装だ。
私は日本の血の他に、リトアニアとオーストリアの血も引いていたため、完璧になじむことはできなかったが、北欧の人からはアジア系として見られ、アジア系の人からはヨーロッパ系に思われていた。
これはある意味で都合が良かった。
私はヨーロッパではヨーロッパの人間としかかわりたくない種類の人間だった。
旅先で同郷の者との出会いを喜ぶ人間たちの気持ちがわからないでもなかったがあまり関わりたいと思わなかった。
私は、カメラに語りかけた。「今はマイナス4度だってさ。半端なっ」視聴者は100人ほど。みんな、中に戻れよw、ヤバそー、空気がうまそうだね、などと思い思いにコメントしてくれる。「戻るわっ」私は笑いながら言った。「あ、暇なんでバッグの中身紹介するね」
私はナップサックを開き、中のものを取り出した。12inのPCケース、お気に入りの文庫本とハードカバー、充電器、iPad mini、モバイルバッテリー、Tシャツと下着。続いてポケットの中も出す。タバコ、ライター、デンマーククローネのコインがいくつか、パスポート。ロングコートを着ている時だけは、パスポートをパンツの後ろのポケットに入れるようにしていた。コートが盾になってくれるので、これが一番安全なのだ。「どうよ」その時、かわいそうに……、ほらよ、飯でも食え、そんなコメントともにスーパーチャットが表示された。1000円だった。「お、ありがとうございます!」続いて、それよりも少額のスーパーチャットがいくつか出てきた。私は、結局ライブを朝までやることにした。そして、手元にあった小銭で、コーヒーを買い、薄暗い朝日を顔に受けながら飲んだ。
そうだ。
私は思った。
とりあえずカードを再発行しよう。
受け取り手はダリアでいいだろう。
ダリアも、カードの送付くらいは引き受けてくれるだろうし、カードが手に入れば口座間の移動で金を手にすることができる。
私は早速、スウェドバンクに連絡を取った。
カードの再発行には、2週間以上かかるとのことだった。

真夜中は交通量も少なくなる。

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