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「20代で経験した会社の倒産・失業エピソード」

こんにちは。良ちゃんこと良平です。

平成元年世代。人生100年時代に仕事もプライベートも長く現役で楽しみ、いずれは多くの人に火をつけるきっかけを与えていくというとビジョンを掲げています。
最近は自身の転職エージェントの活動や自分の実体験、職業紹介を通じ感じたことや気づきを書き起こしています。
前回は、「コンバート論で注目のジャイアンツ・坂本勇人選手から感じる「代えの利かない人財」とは」というテーマで書かせていただきました。ぜひご覧いただけたら嬉しいです。

下記のデータのようにコロナの影響で、失業や倒産に遭った方もいらっしゃるかと思います。実際、飲食業や航空業、観光業で働く方は、大きな影響を受けた方も少なくないかもしれません。

就プラ|就活・転職活動等のキャリア情報プラットフォーム より

コロナ禍に関係なく、実は私も、5年前に勤めていた会社の倒産を経験しています。少し昔の事のように感じますが、まだ5年前。その時に体感し、血肉にしてきた事は昨日の事のように覚えています。様々な葛藤や思い知った事がその時は数え切れないほどありましたが、今となっては貴重な経験であり大きな糧として、転職エージェントの仕事においても分かち合える武器になったと、その体験に今は感謝しています。
今回の投稿では、今の自分のチャレンジに結果的に繋がった、自身の倒産経験から今に繋がるエピソードについて、アウトプットさせていただきます。


1.倒産により痛感した「無力感」と「会社員のメリット」

5年前に、私は勤めていた通信業界の営業会社が倒産し、解雇になりました。
その時に感じたのは、「まさか自分が、、」という感想で、とてもあっけない幕切れでしたで。
と同時に、自分は会社に守られ、会社の資源を使わせてもらっていたのだと。
営業職だったのですが、会社員である以上、雇われの身であること、絶対の安定はないことを痛感しました。
会社員(特に正社員)の大きなメリットは、会社が存続する限りはある程度守られており、給料日にはお金が振り込まれてくるシステムです。しかし、倒産となりこれが当たり前の日常だったのが、突然ストップしたわけです。しかも最後の月の給与はもらえず、未払い金で会社と裁判との折り合いがついてやっと支払われました。
実際、給与が振り込まれたのは8ヶ月後でした。
何もない時は会社員でもいいですが、会社というハコがなくなったことで裸になり「無力」であると痛感しました。改めて自分は、弱い立場なんだなと思い知った瞬間でした。

2.会社の看板でなく、自分という看板で勝負

その後、倒産した会社でお世話になった先輩数人が、これを機に元々考えていた独立を実行に移すと決めました。そのタイミングで、私は先輩に拾ってもらい、新しい会社で働くことになりました。
それまでコツコツ仕事を頑張ってはいたので拾ってもらい、後輩や内勤(総務や経理の人)は誰も一緒にいけず私だけ新しい会社に行けるという、残酷な現実を目の当たりにしました。まさに天国と地獄です。
そして、新しい会社になって待ち受けていたのは「当たり前が当たり前でないという現実」でした。
会社の登記には1ヶ月かかるとされ、スタートは会社ではなく屋号でした。
そして、名刺もない、会社名もない、パソコンもない、プリンタもない、事務所もない、倒産したため正式な会社としては取引先もない。
そこからのスタートでした。頼みの綱は、自分自身と声をかけてくれた先輩のコネクションだけでした。
元々、電話システムやコピー機、ネットワークの機器の販売と、保守メンテナンスをまでご面倒をみるという、新規開拓した顧客と長く付き合っていくビジネススタイルでした。私はここまでで4年と少し働いていましたが、ト最初の5年で新規開拓した顧客をどれだけリピーターにできるかがポイントでした。
そんな中、倒産に遭い、開拓してきたお客様からしたら販売保守会社がなくなってしまったので、私たち(私や先輩たち)で、まず全力で顧客を引き継いで守ろうと
かつてのお客さんを、飛び込み営業で訪問したりテレアポで必死になっ事情説明や繋ぎ止める活動を3ヶ月回りまくりました。
お客さんの反応は様々で、
倒産と聞き離れてしまったお客さんもいました。
その中で、今でも支えになる感動した事がありました。
8割以上のお客さんは、「君が引き続き担当なら、変わらず任せるよ」「体に気をつけてね」など、真剣に仕事をしていればお客さんも温かいリアクションが返ってくるのだなと、感動で泣いた事もありました。
このときばかりは「営業は人で決まるものだ」「自分が看板として仕事しているんだ」と身をもって学びました。

3.会社員以外の働き方を知り必要に感じた「自分磨き」

そんな、雇用関係以上の、倒産の試練を乗り越えた家族のような存在だった先輩たちのいる会社で、2年半ほど働き会社も軌道に乗り始め、既存顧客のリピート強化のために新設されたルート営業の部署の責任者になるなどやりがいもより感じるようになり「ここで先輩たちと頑張っていくんだろうな」と当初は思い描いていました。
27歳~30歳の間、会社の先輩と仲が良かった分、会社以外の繋がりが薄くなってきている事を漠然と感じていました。
それが、いかに狭い世界で考えていたか、井の中の蛙であったかを痛感したきっかけがありました。
「人脈を広げていった方がいいよな」、と何となく感じ、交流イベントや飲み会などにも足を運びました。
その中で、会社員を続けながら、仕事以外の時間で「複業」をして将来のライフプランを具体的に真剣に考えながら動いている人と知り合い、興味を持ち、お誘いを受けた様々なイベントに参加する中で、今につながる職業紹介事業を行い自分で自由に仕事やプライベートの予定を選びながら、たくさんの仲間に囲まれ過ごしている方と出会い、
自分も自分と向き合って新たな努力をするようになりました。
私が今、転職エージェントの活動を行うようになった運命的な出会いです。
長くなるので、次回で触れていきます。
次は「転職エージェントとして感じるようになった「副業」と「複業」の意義」について綴っていきます。お楽しみに。


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