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言葉によって概念を理解する。「反脆弱性」を読みながら−2

 「反脆弱性」を読みながら。二日目です。今日は第1章・第2章。少しずつわかってきたことは、

「毒がなくなると人間はかえって脆くなるのかもしれないということと、少量の毒が頑健さを手に入れる第一歩」ということだ。

 この「毒」はもちろん比喩だ。でもこれって想像しやすい。例えば、今日の私は自宅待機をしているけど、この状況でただ本を読んでいたり映画を見ていたり、体を動かさなかったら簡単に体が動かなくなる(プロフェッショナルとして)ということは明らかなので、ヨガをしたり自重トレーニングをしたり、Zumbaの振り付けをしたり、Rumbaウォークの練習をしてみたりと、結構身体を動かしている。普段より、筋肉痛を感じていたりもするのは我ながら可笑しい。

 そう、シニアは特にだけどもちろん誰でも、使わなくないと身体は簡単に衰える。筋肉を育てるにはある一定以上の負荷をかけないといけない。できればそれを楽しんでできた方が良いと私は思うので、そんなお手伝いをするのが私の楽しみでもある。

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 以前、トマトを育てるときに与える水分を極限まで減らすことで甘い実をつけさせると読んだことがあるが、そんなことも反脆いことの一つだろう。人間の身体や自然は、反脆さを備えている。

 そして「言葉がないと私たちはその概念についてあまりよく理解をできないし、逆に理解をしてないことについては言葉が存在しない」ということ。これは、実体験があり非常によくわかる。

 私は、以前身近な人から結構なモラハラを受けた経験がある。だけど初めは「モラハラ」という言葉を知らなかったから、何が何だかわからないけど、ただただ辛いだけだった。よくわからない理由で怒られる、怒鳴られる。怒鳴られて怖がったら「怒らせるお前が悪い」「そんな態度を取るから余計に腹が立つ」などと言われて混乱した。

 そのうちに「怒鳴られる 怖い」などとインターネットで検索して、自分だけじゃないとわかって少し安心して、検索を続ける中で「モラハラ」とい言葉に出会い、全てが腑に落ちた。

 なるほど。この人はモラハラをする人なのか。私はモラハラを受けていたのか。ならばどうする?

 私は、最終的にその人から離れた。

言葉が見つかり、私は概念を理解できた。理解できて、行動できた。もしインターネット検索をせず泣き寝入りをしているだけだったら私は今も混乱の中にいただろう。

今回のテーマ「反脆弱性」「反脆い」という言葉も、初めて聞いた言葉だった。その概念はなんとなく知っていたような気がするけど、言葉があることで理解が進んだ。「反脆い」ことは、しなやかで強いことだ。変化は何にでも誰にでも起こる。それを受け入れる余裕を持ち、自らが変化していく強さを知っているということは非常に心強い。


よろしかったらサポートお願いします。外からはそう見えないだろうと思うのですが、案外肝が小さく小さい人間です。でももう少し、自分に自信を持って生きたいです。