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鑑賞する緩衝材

SDGs、アップサイクル、サーキュラーエコノミーといったキーワードが一般的になり、社会全体として持続可能性へのアプローチはますますその重要さを増している。企業や日々の生活から排出される廃材(ゴミ)の有効な活用は今後、より注目されるだろう。

しかし、社会の関心が高まる以前から「もったいない」「ちょうどいい」といった感覚は、暮らしのそこかしこで保存されていたのではないか。ほぼ無意識に行われてきた生活の知恵は、普段見過ごされがちだが、生活に馴染んだ無理のない持続可能なアイデアとして、すでに私たちの身近に浸透している。

そもそもが古紙から再生される新聞紙のリユース活用法はさまざまである。掃除や保管、荷造りなど今でいうライフハックともいうべきアイデアが満載だ。そう思うと、日常的な素材(=ゴミ)もたくさんの知恵がすでに込められてるようにも見えてくる。

リユースのアイデアの中でも、あまり意識にのぼらない「緩衝材」としての活用法について様々な角度から見つめ直すことで、パッケージや包装資材のポストサイクルとして「鑑賞する緩衝材」というものの可能性を探ってみることにした。


01|鑑賞用緩衝材

エアプランツで知られる中南米原産の観葉植物「チランジア・ウスネオイデス」は、もともと現地で荷物の隙間に詰める緩衝材として使用されていたという。緩衝材が観賞用として親しまれていることにとても興味をひかれる。このことを単なるダジャレで終わらせるのは「モッタイナイ」と思った。

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02|点字新聞による緩衝材展示

新聞紙を使った緩衝材のパターンは、 
 1.丸めて荷物の隙間を詰める
 2.食器などのワレモノを包む
 3.細切りにしてクッションにする
くらいが主な緩衝方法だろうか。

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03|STOCK IN

新聞を印刷する前の原紙は、「ワンプ紙」と呼ばれるものに包まれている。撥水性や荷扱強度を高めるためワックスや増粘材などが含浸され、多くはリサイクルできず事業ゴミとなる。一方、包まれていた新聞紙は古紙回収され再生紙となるが、シュレッダーにかけられた新聞紙は実はリサイクルに向かない。

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04|ウェーブクッション

段ボールから緩衝材をつくるだけの機械がある。多機能を求める現代において、「それしかできない」という無骨さがとても愛しく思えた。それしかできない機械に新聞を通してみたところ、段ボールよりも柔らかな緩衝材が生成された。それは、つめる・つつむ・やわらげるを満たすマルチな緩衝材となった。

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05|エアパッケージ

学生の頃、実家からの仕送りの隙間によくスナックやチョコレートなどの袋菓子が詰められていた事を思い出す。これは小腹を満たす食料としてだけでなく、荷物の中身が振動で痛まないようにするためだったとしばらくして気づいた。最近では「食べられる緩衝材」という商品名のポップコーンもあるという。

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06|NEST EGGS

すべてのネスレ製品につけられている親鳥がひなを見守る姿。このロゴマークは、ネスレを創業したアンリ・ネスレが、その家紋をアレンジして考案したもの(ネスレ日本のサイトより引用)。ドイツ語で nestle は鳥の巣を意味する。やさしく卵を抱える鳥の巣もまた緩衝材と言えるのではなかろうか。

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07|シンデレラ・フィット

何かに物がぴったりハマることを「シンデレラフィット」という。納まりがいいと気持ちがいい。日常にひそむ小さな幸せと言えようか。緩衝材も物が動かないようにぴったりとさせることで緩衝性が高まる。ぴったりとさせた上で衝撃をやわらげるのが緩衝の定石である。

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08|続・シンデレラ・フィット。

なんとかエコ&システムパックにぴったりフィットする暫定シンデレラグラスは決まったが、惜しくも背丈があわずオーディションにもれたグラスたち。しかし、オーディデョンには落選したけれど別ユニットで成功する、というシンデレラ(?)ストーリーもこの世には少なくない。

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あとがき

緩衝材についてしばらくの期間鑑賞し続けた結果、あまりにも物語に干渉してしまいつい感情移入して感傷的になってしまったという話。

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今回の作品展示制作にあたり、後半は緩衝材をテーマにした短編の物語を紡ぐかのようになっていったのは自分でも驚きでした。

「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉があるようにそれぞれにそれぞれフィットするものがあり、また強い衝撃や摩擦を避けるために間に入るものが必要だったり、それしかできない人もいたり、と緩衝材をきっかけにいろんな事に想いを巡らせるようになりました。

物を鑑賞するってそうゆう事なのかもな、と今回の展示を通して改めて思った次第です。結果、大喜利や落語のような展開になってしまいましたが、本展示をご覧になってみなさんの気持ちが少しでも緩くなっていただけたら幸いです。


みんなのダンボールマン  


「さびしくて透明な」

美術批評 / 詩人 野口卓海

あの厄介な疫病は社会にたくさんの弊害をもたらし続けているが、玄関に積み上がる片付かない段ボールもそのひとつだろうか。物流。文字通り物の流れは日々急になり、勢いを増して私たちの身の回りを擦過する。どれほどその過程が見えづらくなろうとも、物理はノイズキャンセルできない。「物が無事に届けられる」という役目を終えた梱包材や緩衝材は、配達されるや否や私たちの手の中で簡単に息たえてしまう。生活の皮。もしかすると彼らは、もっとも正面から見られる・考えられることのない透明な塊かもしれない。そう思うとどこか、さびしい存在な気もした。

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