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豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて

自分の 59歳の誕生日である今年 9月11 日に note に新規登録し、これまで 2001年の 911 アメリカ同時多発テロ、パレスチナ/イスラエル問題に絡んでのボブ・ディラン批判、そして 36年前の1983年秋にパレスチナとイスラエルを旅した時のことなどを題材に投稿してきました。今日が 10本目の投稿です。

実は今日もパレスチナに関わることをテーマとした投稿をしようと思っていたのですが、切っ掛けがあって、気が変わりました。

切っ掛けとは、一つは、パレスチナ問題に絡む投稿をする目的で、自身のホームページに掲載してあるパレスチナ問題を取り上げた過去の日記を検索していたところ、たまたま、記憶に残っている別の日記が目に留まり、それが気になり出したこと。そして、それだけでは掲題の投稿をする気持ちになっていなかったのですが、しばらくして、今日は私と妻が婚約して 32年目に当たる日であることに気づいたことで、先に述べた、たまたま視界に入って、書いた時の気持ちなどの記憶を蘇らせたその日記を取り上げる気になったのです。婚約してから 32年という、その 32という数字にはさしたる意味はないのですが、兎にも角にも(ところで何故ウサギにツノなのでしょう、ずいぶん昔から思っているのですが、これはどういうわけか調べたことがありません、これって本題とは全く関係しませんね、笑)今から 32年前の 1987年10月25日に私と妻は婚約したこと、そして、今日たまたま見つけた 2003年 8月 4日に自分が書いた「豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて」というタイトルの日記の内容が、今の、2019年10月25日の自分の頭の中で結びついたのです(なぜ結びついたのか、そこには自分では「何となく」分かる理由がありそうですが、そのことはとりあえず今日は具体的に書きません)。

上に掲げた写真は、婚約した 1987年10月25日に撮った妻と私の写真です。正確に言うと、その写真を使った自分たちの人前結婚式と披露宴の招待状の写真です(以下の私の文章の内容とストレートに関係する写真ではないのですが、上に書いた今日の投稿の切っ掛けと、その「何となく」の理由があって、自分としてはこの写真を今日の投稿に使いたくなりました)。

前置きが長くなりましたが、以下に、16年前の夏に書いた自分の日記を転載します。書いたことの中には、16年の歳月を経て変わった事実も含まれています。例えば、「日本は世界第2の経済大国」とありますが、勿論これは現在はもう違いますね。今は「3位」ですね。いずれ「4位」、「5位」と落ちていくのかもしれませんが。それと、日本人の統計上の自殺者の数は、ここ数年で、当時の数よりは減りました。とはいえ、依然として多いと言って間違いないでしょう。当然ながら、更に減っていってほしいものです。

2003年 8月 4日(月)   豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて 

 今日の日記の 2本目やで。
 昨日は夕方から仕事に出かけ、職場に向かう途中で CDを 2枚買いました。1枚はピンク・フロイドの ATOM HEART MOTHER(「原子心母」)。この間「2001年宇宙の旅」を久しぶりにビデオ再生して観た時、「原子心母」を聴きたくなりました。実は前から LP時代の B面にあった IF って曲が気になってたこともあるんですが。そのうち僕の訳詞に入れるかもしれません。「2001年宇宙の旅」の最終章とシンクロするという ECHOES を含む MEDDLE も買いたかったのですが、その店にはたまたま置いてありませんでした。発売30周年を記念した THE DARK SIDE OF THE MOON(「狂気」って邦題、はまり過ぎ、笑)のデジタル・リマスター盤も気持ちが動いたのですが、ちょっと今現在の自分にはこのまとめ買いはヘビーなのでやめました。BRAIN DAMAGE や ECLIPSE (「狂人は心に」とか「狂気日食」とか邦題はぶっそうですなぁ)なんかも訳したい気がしたりして。ま、気は確かですから大丈夫です。(3枚とも昔は他のフロイドのアルバムと共に LP盤を持っていたんですが、兄貴の持ち物だったかな、今も田舎の家にあるかな、今の自宅には LPを録音したカセットしか置いてませんでした。何故か? WISH YOU WERE HERE だけずいぶん前に CD買ってたな。まぁこれで「原子心母」は CDで聴けるようになりました。)

 もう 1枚はサイモンとガーファンクルの 1967年のニューヨークでのライヴ盤を買いました。ポールのギター 1本に ポールとアーティのハーモニー。こんな音源が CD化されていたなんて。いや、奇跡です。聴いてみたら見事なパフォーマンスでした。

 話をちょっと、とばしましょう。一昨日の新聞の投書欄にこういうのが出ていました。僕は新聞の投書欄はあまり興味ないんですが、時々ふっと眼にとまる時があります。件の投書は在日中国人の「主婦」の投書でした。部分的に引用します。

「夫の会社は、世間一般のゴールデンウィーク・お盆・国民の祝日の休みが一切無いです。平均週 6日働き、朝 6時半に会社に向かい、深夜 11時前後にくたくたで帰宅し、お風呂と食事の後、5分もしないうちにソファでグッスリ。可哀想で、いつも悲しくなり、妻として何とかしてあげたいですが、何も出来ないです。こんな状態はもう 2年ぐらいになります。」
「日本人はいつも自分の国が先進国であり、人々は幸福に生活していると誇りにしています。でも、中国から来日して 5年の歳月がたちましたが、いまだにこの国の豊かさが見つかっていないです。」

 実際、豊かさって何でしょう。日本は世界第2の経済大国といいますが、どう考えても世界で 2番目に幸せな国だとは思えません。当り前といえば当り前で、多くの人が思っていることかもしれません。個人個人の自分の人生に対する主観的な幸福感を計量出来るモノサシがあったら(そんなものあるはずないのですが)、日本人は間違いなく世界でもワーストランキングにした方が早いんじゃないでしょうか。よくある豊かさ指標とか幸福度指標みたいな、あんな類のものは客観的な価値観があるという思い込みを前提に作るモノサシなんだから、ああいうものだけじゃあんまり信憑性ないと思いますがね。

 日本が世界で稀に見る自殺大国で家出大国なのは、これは統計(客観的数字)が示しています。過労死なんてのも日本社会を特徴付ける現象の一つですね。そもそも karoshi は既に日本発の国際的に通用する用語になっています。最近は過労自殺なんて言葉まで使われるようになってしまった。

 自殺ということで言えば、この数年の日本では、1日辺り 100人になんなんとする人々が(正確には 90人前後ぐらいか)自殺しています。平均で、これが毎日ということです。平均の世界では、昨日も 90人ぐらい、今日も 90人ぐらい、明日になればまた 90人ぐらい自殺する。

 死ぬことは生きることの反対ではなく、本来生きること、生きていくことの延長にあるものです。延長上にあるものの生物的選択(?)でなく、自覚的日常意思的選択としての死の多さは、多くの日本人が生きている世界が決して、生きていることの豊かさを感じさせない世界であることを象徴しているものではないでしょうか。自殺が社会だけを背景にするものでなく、一人一人がどのように生きて成長して、育まれて、(死ななければ)成人になっていく年老いていく、その、一人一人のどのように、ということに関わっているにしろ、これほどの統計的な大きさ(社会現象と言えるに違いない規模)からすれば、多くの自殺例が、社会をかたちづくる特定の何かにほぼ共通に背景付けられていると考えるのが自然でしょう。当然ながら一人の人生はその特定の一人にしか生きられませんが、一方で、しかしその人生はその特定の一人の力のみによって進められていくものでもありません。その人は自らの人生を自ら生き、自らを育みますが、当り前のことですが、同時にその人は親に育まれ、周囲の人に育まれ、社会に育まれて生きていくのです。

 僕は昨春仕事を変えましたが(そもそもその人の生業は当人の「豊かさ」や幸せや幸福感みたいなものを決定付けるものではありませんが)、それは物質的な豊かさと何の関係もない転進でした。収入が大幅に落ちるのは承知のうえでしたし、実際落ちました。しかし、その転進は結果として全く稚拙な行為だったのだろうと思います。というか、それも承知のうえではあったのですが。

 結局僕は失敗し、自ら転がり落ち、一時は無給の身分になり、挙げ句の果てに人の情無しに有り得なかった元の生業への復帰というところに辿り着きました。頭が割れんばかりに悩んだ末のことだったのですが、今は僕の脳みそは混乱の最中です。豊かでない心持ちに苦しみ、脱け出たつもりが(これがいけない、何かを目指すこと先にありきの転進ではなかったのです)、結局今はますます混沌の中です。眠りにもつけない。笑う人もいるでしょうが、やむを得ません。僕の脳みそは僕がどうやって自分の人生を生きるのかということから離れられないのです。というか、何をしているのか、自分はどう思っているのか・・・。

 日本は ODA大国で、その産業技術や管理手法、労働倫理などが、そのままに近いカタチだったり、変形したりして、南の国々に伝わっています(南北問題の南ってことです)。企業は海外展開し、近代産業社会に必要な鋳型を求めます。どの国にも文化はある、そのまんま日本人のようにはならんさ。それはその通りだと思います。しかし、日本人の労働倫理も企業社会のカルチャーも、何もかも、格別日本人の民族性みたいなものに依存しているわけではありません。事実、日本人は江戸時代はけっこう遊び上手だったという説を聞きます。そもそも「9時-5時」スタイルを基本として人間の日常を動かすのは、近代産業社会の要求なのです(この 1日 8時間型を基本にこれを超えることを超過勤務と言ったりしますがこれも社会の要求です、日本の労働基準法36条は使用者と労働者が限度について合意した場合のみ超過勤務させられることを認めているので、本来は超過勤務はこの制度の例外なのですが、日本では法規上の例外事項が日常の現象になっています)。

 この「9時-5時」スタイルを近代産業社会が要求するということにおいて、民族も文化もあったもんじゃありません。つまり、システムは人間を変えるのです。何も近代化を否定するのではありません。しかし、近代化イコール豊かさの追求と思ったら大間違いなのではないか。飢餓や国内の武力衝突に苦しむ国々の平和や平穏を支援するのは当り前です。富める国がやれることはやるべきです。しかし、近代産業化社会みたいなものが構築されてなくたって実はそこそこ豊かで、自然も食料資源も十分にある国々が今もわりとたくさんあります。減ってきているでしょうが、未だあります。少なくありません。日本とその国々とで、どっちの子供が笑っているでしょうか。日本でも、どう考えたって、昭和30年代から40年代(あえてここは昭和といいましょう)にかけての時代の子供達は、今の日本の子供達よりも笑っていたと思いますね。子供がストレスをためる、中学生ぐらいで人生に疲れるなんて言う、そんな話はなかったと思いますね。まぁおそらくは都会ではもう始まっていたんでしょうけれども。

 南の国々は北の国々の一部のこういう物言いに反発する場合があるのですが、しかし南でも一部は気づき始めてるんじゃないでしょうか。どうなんでしょうね。人類がカッコつきの「進歩」をするのは誰にも止められなくて、やむを得ないとでもいうんでしょうか。最近のグローバリゼーションへの全世界的な反発はどういう歴史的意味がありますかね。

 僕のこの数年の人生の転がり方からすれば、第三者からすれば、こんなこと言ってる資格は僕にはないという見方もあるかもしれません。いろんな考えの人がいるのは事実ですからね。でも、あえて近頃減退気味の勇気をもって言えば、僕は資格はあると思います。というか誰にも資格はあるのです。人間は結局、本質的に勝手なのです。ある人の人生は客観的に宙に浮くかのように存在しているのではなく、誰かが、つまり、そのある人が、その人生を生きているのです。その人生を生きることができるのはその人ただ一人だけなのです。僕はこの間に迷惑をかけたりひどく煩わせてしまった人達、方々に心から申し訳なく思っているのだけれども、一方で、僕という人間は結局変わらない。昨日の夜の僕と今朝起きてからの僕にはどこか違いがあるのだけれども(つまり養老猛司によれば同じ人間ではないらしいんだ、笑)、それでも基本は変わらないから、僕は僕自身を自己認識できている。そうして、僕は僕の人生を勝手に生きようとしている。それでいて、その勝手の仕方がつかめなくて眠れなかったりしているんですがね。以前は何とかバランスを保っていたように思うんですが、もう今となっては至難の技ですね。無理があります。そうして、困ったもんだと感じながら、勝手に悩み苦しんでいる。本当に困ったもんだ・・・。

 僕はたぶん人がいい方だと思いますが(笑)、つまり他人のことをいろいろ思いやったりします(笑)、近頃ますますそうです(でも家では昼間ためたものが出てイラついたり妻を思いやることに欠けたりもします、以前より増しています、これは全然だめです、いけません)、要するに本質的には(!?)まぁまぁの「いい人」だと思っているのですが(笑、可笑しいかな)、しかし、結局自分の人生に関してはエゴが働きます。これは利己主義とかいって悪くいうものでなく、人生というものの必然だと思うのです。僕が勝手なのではなく、人間が生きることが勝手なのです。僕はそれをある程度自覚していますが、つまり主観的にそうとらえていますが、仮にホンモノの客観みたいなものがこの世にあるとしても、それはその通りに評価されるでしょう。僕は僕の人生をどうにかして生き、それを他の誰かが代ることはできません。辻褄合わせのために生き切ることは容易ではないでしょう。人間は孤独です。だんだん言っていることがわからんくなってきたな(笑)。僕は幸い、愛する家族を持っています。その事実は、僕の人生におけるホンモノの豊かさをサポートしてくれるものではあるに違いありません。

 本当の豊かさは、物質的なものを指していないのは明らかでしょう。日本人は(物質的な)豊かさを求め、社会が共通の目的でまとまり、共通の規範で動き、多くの日本人がそれに従い、そして(物質的な)豊かさを実現し、そのことによって社会は共通の目的を失い、共通の規範で動きにくくなり、少なからぬ日本人が社会の基盤を強固にするものとして存在していた規範に信を置かなくなり、それを前提にしたルールを守らなくなりました。子供達の行動にもそれは現われ始めています。どう考えたって、昔の子供達の方が笑っていたと思いませんか。人生における豊かさは一筋縄でいかないようです。僕にもこんなことを考える資格はあります。誰にもそれがあるように。僕はますますそんなことを考えるようになってしまいました。世の中には、こういうことを考える人を嘲笑しかねないムードもあります。いいでしょう。いろんな人がいます。結局、自分の人生は自分で生きなければなりません。その意味で勝手に生きるしかありません。辻褄合わせは苦しいものです。僕は僕なりに、長ーくかかっても、何とか上向きにしていかなくてはいけません。それと、ちゃんと眠らないとねぇ(またそれか)。未だ未だかかる、わけのわからん話でありました。

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上記の私の日記は、2001年夏に「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」(成美堂出版)という本を買って html を独学し、「3日間」ならぬ 5日間ほどで立ち上げたホームページ上に掲載していた自分の日記の中から、2003年 8月 4日付の 2本目の日記を転載したものです。一部全角になっていたアルファベットや数字を半角にし、また、一部の段落間の行間を空けるという 2点のみ編集しましたが、文字については一字一句そのまま転載しています。

日記の URL: http://dailyrock.konjiki.jp/nikki16.html#yutakasa

因みに、同日 1本目の日記のタイトルは、「ベングリオンのパレスチナの現実」でした。URL は http://dailyrock.konjiki.jp/nikki16.html#realpalestine です。

最後に、note のマイページのプロフィール冒頭に「音楽をこよなく愛する」と書いている私が、10本目の投稿にして初めて触れる「私が愛する音楽」。

今日が自分と妻の「婚約記念日」ということを今日午後になって思い出してから、一つの歌が自分の頭の中で流れています。Paul Simon の 1975年のアルバム Still Crazy After All These Years に収められている I Do It For Your Love という曲です。"We were married on a rainy day" で始まる歌詞なので、歌詞的には婚約というより結婚の日に相応しいのでしょうけれども。

当然のように Paul Simon 作詞作曲の作品ですが、Herbie Hancock の 2005年のアルバム Possibilities に収録されている、Paul Simon の歌をフィーチャーしたジャズ・ヴァージョンも素晴らしい出来です。これはヴィデオも美しい仕上がり。

2004年10月11日、44歳の時、中3 だった15歳の時にアルバムを買って聴いて以来、大のお気に入りのアルバムの一つ、Still Carzy After All These Years の感想文のような「ライナーノーツ」もどきを書きました。

http://dailyrock.konjiki.jp/rock3/ps.html#sc

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