見出し画像

建築って文系では?

建築を学んでいない方や、学びたての方は理系分野だと思うと思います。
でも、案外文系の分野でもあるんですよ。。
と、最近思いましたw

っていうのも建築ってただ奇抜だったり面白い建物を設計すればよいわけではないんですよ。
学生のうちなんかは特に自由な設計が行えて、楽しそうな空間だったらOKみたいな感じありますが、

実際はそれらすべてを言語化できないといけないんです!!
たまに「建築はアートだ」と聞くことがありますがあれは半分正解半分間違いだと思うんですよ。
デザイン面で見ればアートのように芸術性を感じるし、zaha hadidの手掛ける作品なんて曲面、曲線を多用し建築というマッシブな存在を軽やかに且つ彫刻のような造形美を作り出しています。
それはアートと言えるでしょう。

ただ、アートと根本的に違うのはそれが機能を有しているということ。
アートは鑑賞用であり、アートをフライパン替わりに使う~とかなんて絶対にないじゃないですか。
しかし、建築は使われるような機能を有する必要があります。
そういった面ではモノづくりに大別されることもありますね。

建築はアートとものづくりの中間ともいえる存在だと思います。
さて、そうなってくるとなぜ文系なのか。

それはアートをものとして説明できるようにしなければいけないからです。
建築は実際に作るだけでうん万うん億というお金が動きます。
そこに、「アートだから意味は受け手によって千差万別なんだ。感覚で感じてくれ!」なんて言ってお金を払ってくれる人なんていないわけです。
アートでありモノであるため、何が良いのか。どこが魅力なのか。それを説明して納得してもらわないと建築は成り立たないのです。
アートは個人でも作れますが、建築は人に伝えて仲間と共に作る必要があるのです。
そうなってくると、建築をどう説明するのか。
学生がよく使う「交流」も、単体で見れば抽象的な用語です。
どんな交流なのか。誰が集まって、どんなことをするのか。それに論理性があるのか。など、、、
「内外の境界を曖昧にする」とかも、
それをすることによるメリットは。どんな体験ができるのか。どこが曖昧なのか。など
そして建築のコンセプトが哲学的であったり抽象的であったりすると、アート寄りの内容になり、あたかもアート作品を隅々まで論理的に説明するかのような難しさが付き纏わります。

そう考えると理系の人なら嫌になってくると思いますが、実際の作品を見てみると、デザインの理由として施工の簡易化が新たに追加されています。
学生時代は設計した作品を実際に施工することはないので、施工を考えた合理的なデザインです!と断言するのは難しいです。
ですが、現実的には施工を簡略化することは金銭的にも、工期としてもポジティブな操作であり、のっぴきならない理由であるともいえます。
そうした施工性と意匠のバランスを担保するのが理系の専門である図形やBIMといった技術の活用です。

建築を提案、説明するにはそれ相応の言語化能力、文系力が必要ですが、それは理系の技術である程度補える。
そういう文系でもあり理系でもある中間的な存在が建築であり、そこが他にはない建築の魅力なのかもしれません。

最後に言いたいのは、
「建築はアートとモノづくりの両義性を有していること」
つまり、アートの様でありながらそこには必ず論理が存在します。
是非、建築をよく知らない方も変わった建築を見た時には一度理由を考えてみてください。
アートには解がありませんが、建築には解があります。

まずはなぞなぞを解くような気持で建築というアートに一歩踏み入れてみませんか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?