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バレエミックスで躍動感・Lily(りりぃ)さん

※YouTubeのリンクは切れています。

まえがき

 日本全国のバレエ生徒の総数は約40万人だという。この研究調査の結果から見るに、「日本はバレエ大国である」と表現しても差し障りが無いだろう。

 しかし、体育などでは馴染みがないし、男社会で生きた筆者としては遠い世界のように感じてしまう。筆者の回りの女性たちはダンスや舞踊をしていた人もいたが、バレエをしてきた人は少なかった。都市部であるか地方であるかなど地域差は関係しているかもしれない。

 ふとTwitterを見てみると、

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 横浜の街をバックにポーズを決めている女性のアイコンが目に留まる。ポーズは優雅だが、服装は今時の若者という風貌で、ギャップが世界観を創出している。

この写真の女性はLily【りりぃ】さん。

エストニアで三年のバレエ留学をした後、日本に帰国した経験を持つ。

 現在はSNSやYouTubeで自身の体験談やバレエとダンスを組み合わせた動画を配信している。

 一見すると、コスプレをしている女の子が踊っているようなサムネイルであるが、動画を見て欲しい。足下を見ると、トゥシューズを履いている。そして、爪先立をしながら軽快に踊っている。

 コスプレと歌に引かれるかもしれないが、実は技術が際立つ動画だと感じた。

 かなりの腕前(足前?)だと思うが、バレエをここまで上達させるには並大抵の苦労では無いはずだ。

 りりぃさんのバレエや現在の活動、今後についてをインタビューすると、分からないなりにも国内外のバレエの現状が少し見えた気がする。約8000字と大作だが、是非ご一読いただきたい。

※エストニアの国立オペラ劇場・タリンバレエ学校で教えている内容、一日のスケジュール、学生寮については下記動画をご覧ください。

一見優雅に見えるけど・・・

――トゥシューズで歌って踊るというのは初めて見ました。
「クラシックバレエでは女性ダンサーはトゥシューズという先が硬く平たくなった靴を履いて踊ります。トゥシューズで片足で立った時、つま先には象3頭分の圧がかかると言われていて、ダンサーは横隔膜を縮め上体を引き上げてできるだけ重力が足にかからないようにして踊ります。そのためバレエをしている時は腹式呼吸ができず、胸式で呼吸するので声が出しづらい状況になります。だからバレエの舞台にはセリフがありません
「トゥシューズを履いて声を出すのは普通は無理な話なのですが、私は足の条件が良いおかげで割と楽に立つことができるため、なぜか声どころか歌まで歌えてしまったので、これは腹話術のような特殊芸といえるのではないかと思い、YouTubeで披露してみました。しかし、こんな話、普通の人は知らないので、大変なことをやってもイマイチ苦労も伝わらず、「ふーん、トゥシューズで踊りながら歌ったんだ。で?」みたいな反応だったり、「歌はいらん!」と言われたり。へこみます。もちろん「おもしろい」「すごい」と言ってくれる人もいますが。なので今回、大変さを理解してくださっての取材依頼はとても嬉しいです。そこのところ、少し伝えてくださると嬉しいです」

――トゥシューズで歌うというのが、そこまで難しいとは知りませんでした。表現の幅についてはいかがですか。
「トゥシューズで踊るデメリットは、出来ることに限りがあり、どうしても振り付けが単調になってしまうことです。クラシックバレエにはお決まりのステップがあってその一つ一つに名前がついています。それを組み合わせて振りが作られているので、なかなか斬新なことができません。それでも、バレエの先生に叱られてしまいそうな新しいステップや形を創ることを心がけています。そもそも歌って踊る私の動画を見たら、たいていのバレエの先生は卒倒すると思います(汗)。今通っているお教室の先生はとても寛容な方ですが、それでもYouTubeのことは話せていません(汗)。ちなみに、YouTubeでは音楽と動画を別撮りしていますが、基本同じことをライブでもできます」

――失礼かもしれずすみません。コスプレしてバレエをするというのはコミカルにも見えます。ただ、バレエでエストニア留学までされていますよね。国内外のバレエの現状も教えてもらえますか。
「バレエ大国ロシアでは9歳くらいでバレエ学校に入りますが、その際、厳しい身体検査があります。習う前から身体がバレエに合っているかどうかをチェックするわけです。基本的には、十分な柔軟性があるか、特に女子はつまさきがよく伸びて甲が湾曲するか、足の付け根の股関節が横に開いて、膝をねじらずとも1番ポジションができるか、背骨の何番目かの関節が柔らかくて後ろに大きくベンディングできるか、両親の身長はどのくらいか、などがチェックされます。さらに、音感・リズム感などのいわゆる踊り勘、ジャンプなどの筋の強さなども合わせて見られます。なぜかというと、特性に合わないでバレエを続けると、間違いなくケガをするからです日本ではバレエは女の子のお稽古事として、素敵な衣装に憧れたり、しつけや情操教育の側面も強いです。しかし、小さいうちは良いのですが、小学校低学年でトゥシューズを履くころになると、股関節が開かない、膝が伸びない、巻き爪がある、など問題を抱えたまま練習を続けて最終的にケガをするか、痛すぎてやめるというケースが多いです。頑張って小学校高学年まで続け、コンクールに出るようになると、だんだんと自分でも限界値が見えてきて、絶望する場合が多いかと思います」

――日本と海外のバレエへのアプローチは違うんですね。
日本のコンクールは先生の力がすべてというくらい・・・。あまりこれについては話したくありません。さらにいけないことに、頑張って続けたところで、仮にコンクールで上位をとったところで、日本にはその先が無いです。自立して食べていけるだけの給料が出るバレエ団が無いということです。強いていえば、新国立劇場バレエ団が一応公務員扱いになるのかと思いますが、例えば『男性ダンサーが結婚して妻子を養えるか』といえば団のお給料だけでは無理でしょう。それで男性ダンサーの場合は民間のバレエ教室の発表会の男性パートお手伝いというアルバイトをして生計を立てます。女性の場合は悲惨です。というのも、そういった割りの良いバイトもないし、トゥシューズ代がとても高く、新国立はどうか知りませんが、そのほかのバレエ団は『トゥシューズ基金』があって、いくらか補助は出るかもしれませんが基本自腹です」
「トゥシューズは1足最低5000円で、毎日練習すればどんなに長くもっても1週間でつぶれます。なので、月に4,5足は買わなければなりません。毎月給料が支給されるバレエ団はおそらく新国立劇場バレエ団とKバレエカンパニーくらいではないでしょうか。あとは舞台の都度の歩合給ではないかと思いますが、詳しくはご調査ください。ただでさえ一般の新卒の給料をはるかに下回る給料しか出ないか上、トゥシューズ代が生活を圧迫します。さらにはバレエ団によっては公演のチケットノルマがあったりします。親がとても裕福か、高給取りの旦那さんと結婚しない限りは続けられない、『大変スキルのいる趣味』のようなものです

――対して欧米は?
欧米では、そもそもバレエ芸術やバレエダンサーに対する評価がまるで違います。『日本の歌舞伎』みたいなものですから。海外の中堅バレエ団はダンサーが自立できるだけの給料を払い、場合によっては下位ダンサーには住居も提供してくれたりします。トゥシューズはもちろんバレエ団から支給されます。ということで、プロになりたいみなさんは海外をめざします。日本人は誰でもバレエを始められるけど多くの人は骨格に限界があり求められる形が出来なかったり無理して続けて大きな怪我をしてしまったりで辞めてしまう友達も見てきました。そうなると最初に厳しい身体チェックをするロシアが冷酷だとは思えません」

――優雅に見えますが、想像以上に過酷なようですね。踊れる身体を維持するためにどのような努力をされていますか。
「毎日のバーレッスン、センターレッスン、トゥシューズレッスンに加え、インナーマッスルを鍛えて体幹を強化するトレーニング。ゴムベルトを使って足指を強化するトレーニング。バレエで開いてばかりで痛めやすい骨盤を戻すためのウォーキング。場合によってはマシンを使った筋トレも行います。バーとセンターのレッスン概要については、私のYouTubeで『セーラー服と機関銃(前文にリンク)』の動画を見てください。ふざけた格好をしていますが、まじめにレッスンの説明をしています(笑)。概要欄も合わせて読んでください」

おすすめ動画(りりぃさん選)
『ムーンライト伝説』『あなたがいることで』『Feel Special』
オリジナル曲:『タリンの夜』、『for your tommorrow』

バレエとエストニア留学

 りりぃさんは6歳からバレエを始める。実は、りりぃさんの父が大人になってから趣味でバレエをやっていたという。そのため、家にはバレエのビデオがいくつかあって、1歳半ごろ白鳥の湖が大好きで毎日見ていたようだ。5歳くらいの時、父の練習に付いて行った時、プロの人たちも来ていて「帰らない!私もやりたい!」とゴネたらしいのだ。
 そして、「父親が良いお教室を探してきました。ちなみに父は私よりも体が柔軟で、整体の先生やジムのインストラクターに毎回驚かれます」(りりぃさん)。

 その後は、中学3年生の時、高校受験のため1年間休んだものの、高校入学後に復帰。そして、2017年7月。エストニア大使館やエストニアとウクライナのバレエ学校が協賛する『ジャパン・エストニア・ウクライナ国際バレエコンクール』に出場して3位に入賞した。「上位2人がすでに留学が決まっていたり辞退したりした結果、運よく私にスカラーシップが回ってきたので『1年間の予定』で高校を休学して留学しました」(りりぃさん)。

 最初のレッスンで「学校で一番偉い先生のクラス」を受け、その先生から「あなたは3年間(卒業まで)在籍していい」と伝えられた。そのため、急遽日本の通信学校(NHK学園高校)を探して転校した。当時を「私立高校だったので入学金を無駄にしました・・・」と振り返る。

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――現地での言葉について。
「私は小学校4年、5年の時ロシアのワガノワバレエ学校に、6年の時ベラルーシのボリショイバレエ学校にそれぞれ10日間ずつ短期研修したことがあったので、片言のロシア語がわかり、旧ソ連のエストニア留学は他の人に比べたらそれほど身構えることなく決めることができたと思います。3回の短期研修は、当時通っていたバレエ学校にワガノワから先生が来て選抜されました」
「話が逸れますが、3年弱留学したと言っても、英語ネイティブの国ではなく、学校の先生を含めて皆が共通語である英語を四苦八苦しながら話している状況で、その他エストニア語とロシア語が使われていて、分散してしまって一つもまともに話せるようにならなかったのが残念です。ロシア語も若者が使うスラングばかり覚えました」

――生活について。
1年目:「日本人が私1人だけでした。クラスと寮が同じだったロシア人のアンナとマリーナ、それからエストニア人のジェーナが親切にしてくれました。学校では主に英語とエストニア語が使われていましたが、寮はロシア人の割合が高く、ロシア語が飛び交っていました」
「16歳になりたてだった最初の半年はカルチャーショックで箱の中に閉じこもってしまい、誰とも話さない日が続いたり、同室の別の学年のロシア人とうまくいかなかったりで、泣くことも。そんな時、アンナやマリーナ、ジェーナが慰めたり抱きしめてくれました。また、もくもくと毎朝のバレエクラスをこなすことで、何とか自分を守っているというような日々でした。半年が過ぎたころからようやく生活に少しずつ慣れ、ロシア語と英語のちゃんぽんで友達と会話するようになりました。買ってばかりだった食事も、栄養や体形維持を考え自炊するようにもなりました」
2年目:「クラスに留学生が増えました。スウェーデンから2人、ギリシャとオーストラリアから各1人、年度の途中から日本から2人来ました。また、1つ上と3つ下のクラスにも日本人留学生が。学校帰りにギリシャ人のマルゴと日本食を食べに行ったり、スウェーデン人のセルマとクリスティーナとカフェに行ったりしました。でもやっぱり一番の仲良しはアンナとマリーナとジェーナ、それに一年生から同じクラスだったエストニア人男子生徒のカスパル。アンナとは部屋で将来について話し込んだり、一緒に海までお散歩したりしました。2年目のルームメイトは1つ上の3年生のロシア人カーチャ。彼女はとても優しいお姉さんで、就職活動(バレエ団のオーディション)のことなどいろいろ教えてくれました」
「2年生からエストニア劇場の年末のくるみ割り人形にネズミの役とコックさんの役で数回出演しました。その都度、ギャラ代わりにトゥシューズやチョコレートをもらったのがとても嬉しかったです。2年生の最後には学校公演でエストニア劇場で踊りました」

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3年目:「マリーナが一足先に卒業していなくなって寂しかったな。1つ上の日本人のRちゃん(仮名)が同じクラスに残ってくれて仲良くなったのも束の間。Rちゃんは2019年の年末にルーマニアのバレエ団入団が決まり、学校を去っていきました。3年生になるとバレエのクラスがエストニア劇場のプロの団員さんが使うリハーサル室で行われ、楽屋や公演時の舞台袖への出入りも許可されるので、何度も公演を見に行って勉強しました。土曜日には団員さんと一緒にレッスンしました。 また、オランダに修学旅行のような卒業研修に行きました。オランダはクラシックバレエよりコンテンポラリーダンスがさかんで、NDTというコンテ中心のバレエ団の世界一といわれる舞台を観たり、リハーサル室で研修を受けたりしました。クラスメートと街を散策し、ショッピングも楽しみました」

コロナショック

 そして迎えた今年。海外の環境で活躍を目指す年となる予定だったが、コロナショックが到来する。アジア人であるりりぃさんや知人たちは苦難を強いられる。

「2020年が始まり、本腰を入れてバレエ団オーディションと卒業試験※の準備に取り掛かった矢先のコロナ。最初、コロナはアジア人の病気だと思われていたので、学校の先生や寮母さんに「日本のダイヤモンド・プリンセスは大丈夫か?あなたの家横浜でしょ?」と心配されました。私も知り合いも、アジア人はオーディションの招待が全くもらえず、苦戦しました※2。2月の終わりには、行き帰りのトラム(路面電車)で子供たちから「コロナ、コロナ!!」と指をさされ、大人からもあからさまに顔を背けられるようになりました。そうこうする内に、世界中のバレエ団オーディションは軒並み中止や延期となり、3月半ばにほぼ強制的に帰国させられました
※付属の国立劇場バレエ団へのオーディションも兼ねている。
※2書類と写真とビデオ審査があり、通過した人にのみ現地でのオーディションに招待される。

エストニアって、どんな国?
 

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 トラムでは指をさされるという経験をした。もしかすると、留学は必ずしも良い終わり方ではなかったかもしれない。しかしながら、あくまでもエストニア人は『優しい』と言い切る。また、バレエ以外にもエストニアではIT化が進んでいるという現地の現状を知ったという。

「エストニアの人々はとても親切で優しいです。私がホームシックにかかっていた頃、校長秘書のアンおばさんは私を心配して食事に誘ってくれたり、冬物の洋服やブーツを買いにつきあってくれたりして、家にも招待してくれました。寮母さんだったエヴァおばさんは日本語の勉強をしているエストニア人のお姉さんを紹介してくれたり、人形劇に連れて行ってくれたり「寂しいだろうから」と抱き人形※を手作りしてくれました。エヴァさんのご主人も、帰国のたびに車を出して空港まで送迎してくれました。モクスワ経由アエロフロートを使うことが多くて、アエロフロートはしばしばロストバゲージがおこるのですが、そのたびに申請を手伝ってくれました」
ちょっと甘えすぎたなと思うくらい、親切なんです。アンおばさんもエヴァおばさんも今でも私のYouTubeを喜んで見てくれているそうです。そのほか、銀行の口座開設の時、保険に入る時、お店やいろいろな窓口業務でもそれぞれの仕事を皆さんまじめに丁寧にこなしている印象です。エストニア人は基本まじめです
※YouTubeのタリンの夜という曲の動画で最初に映るウサギの人形。

――印象的だったことはありますか。
「話が飛んですみませんが、バレエとは過酷な芸術です。常に寮の誰かはケガをして自国に帰って治療していました。私も1年生の年末に足を痛めましたが、帰国するには遠すぎるので先生に付き添われて病院に行ったり、国立エストニア劇場バレエ団の専属のお医者さんに診てもらう等、治療に通いました。その際、滞在カードがあれば、指定医療機関はすべて無料で治療でき、カルテも電子カルテで共有されていて、IT大国の片鱗を見ました。それから、エストニアと日本では予防接種の種類が違っていて、日本でやっていなかった肝炎の予防注射を学校にいる看護師さんに3回接種してもらいました」
「ちなみに、滞在カードがあれば公共の乗り物は国内すべて無料です。一度エストニア第二の都市タルトゥまで遊びに行きましたが、片道2時間の特急が無料で驚きました」

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国内外のバレエ団の現状


 日本ではコロナ禍により、多くのコンサートや公演が中止になったことは言うまでもないが、劇場への影響は海外でも同じ。そして、その影響はまだデビューしていない若い世代にも波及する。

――コロナ禍において、身を持って感じたことは。
「タリンバレエ学校では毎年高校3年にあたる卒業生クラスから3名くらいは国立エストニア劇場バレエ団に入団していたので、私も上位3位内の成績をキープしつつ頑張ってきたのですが、今年度は採用中止ということで一時とても落ち込みました。他のバレエ団も、10月にオープンした公演がコロナ第3波でまたクローズしたりして、オーディションどころではない状態です。今回のコロナの劇場ビジネスへの影響がどれだけ大きかったか、私のような末端の人間でも痛いほど感じます
「本当のことを話すと、2年生の途中でバレエ団の芸術監督が変わり、学校とのコネクションが薄まってしまったのかよく事情はわかりませんが、その年の3年生からは1人も入団できませんでした。1年生の時の3年生は3人ほど付属の国立エストニア劇場バレエ団に入りましたし、それまでもコンスタントに数人入団していたそうです」

――卒業生や同世代の友達の進路などはどうなるのですか。
「同じ部屋だった1つ上の学年だったカーチャは、ノルウェーのバレエ団に入りました。カーチャの代は数名ほどヨーロッパのバレエ団に入団したようです。アンナはワガノワバレエ学校の出身でテクニックは素晴らしかったのですが、もともと勉強がよくできて本人も学びたいことがあるということで、タリン大学(エストニアの首都タリンにある国立大学)に進学しました。つい先日もメールで近況報告をしました。「(りりぃさんが)あと1年はオーディション頑張る!」と言ったら、応援してくれました。「いろいろやってダメだったら私もタリン大学に行こうかな」と言ったら「おいでおいで!」と(笑)。一応日本の高校卒業資格は取ったので入れないことはないかもですが、TOEFLのハードルが高いです。その可能性も残しておきたいので、現在英語勉強中です」
「ジェーナやその他のヨーロッパからの留学生仲間については、インスタなどでお互い近況を見ていますが、ジュニアカンパニーに入れた人はいるものの、バレエ団に入団できた人は今年はほぼいないようです。ジェーナは私のYouTube動画を見て『ウケてくれている』ようです。私は今年の7月に書類と写真とビデオを送ったイタリアのバレエ団から研修生としてOKのお返事を頂いたのですが、結局ビザが出ないということでボツになりました。また、米国のサンノゼのバレエ団からもオンラインZOOMによるオーディションの後、「ビザがあるか」問われ、「無い」と答えると却下されました」

――バレエ団のリクルートはどのように行われるのですか。
バレエ団は基本経験者を採用します。プロを目指すならバレエ学校の上についている付属のバレエ団に上がって経験を積んでからほかのバレエ団のオーディションを受けて横跳びしていくのが王道です。新卒でのオーディションは本当にハードルが高い。もし研修生で入れたら2年目から正規団員に上がれる可能性があるので、そこを狙うか、縁故に頼るしかないです。細かい話ですみません」

――今後のバレエ団の活動の流れをどう予測しますか?
「コロナで世界のバレエ団は相当な打撃を受けました。英国ロイヤルバレエやロシアのボリショイバレエなど有名バレエ団も劇場再開が見通せず、オンライン配信を始めています。日本の新国立劇場バレエもオンライン配信しています。しかし、中堅や小規模バレエ団は生き残れるか・・・。すでに現役ダンサーたちの首切りが始まっているようですし、日本人団員さんでもまだバレエ団に戻れず日本に待機している人も多いです」
数千人規模での公演は難しい時代となり、今後はオンラインと、もしかしたらバレエが出来た頃のように数人の踊り子と音楽家がグループになって裕福層の邸宅をまわるような、サロンのような形式に変貌していくかもしれませんね

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――激動の一年になりました。最後にこれからの意気込みを。
「私は子供のころから白鳥の湖に憧れ、プロのダンサーになりたいという夢を持ち続けてきました。今も辛うじてまだ夢をつないでいるところですが、最近、歌うことや演じることにも興味が出てきました。何であれ1度でも舞台でパフォームする仕事につけたら、幸せです。今後どこの国に行っても、行かなくても、YouTubeは続けていきたいです。応援よろしくお願い致します。取材ありがとうございました!」

取材協力者:
りりぃ
Lily Tamiya
本名 田宮梨理
生年月日 平成13年8月31日
東京都港区生まれ 横浜在住
NHK学園高校卒業
タリンバレエ学校高校過程終了

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(文責:デイリーチャンネル編集部)


(文責 デイリーチャンネル編集部)



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