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未来の世界に期待すること

少し堅い話になりますがすみません。。。。。

現在は第四次産業革命の最中にあり、時代の移り変わりが非常に激しいように感じる。特にイノベーションの加速度は過去から現在に近づくにつれてより速くなり、未来はこれまで以上にイノベーションが活発に起こるだろう。またこれまではアメリカがイノベーションを主導していたが、最近では中国の深圳が爆発的な成長に伴いイノベーションの源泉になりつつある。そしてこれからはインドにその源泉が移るかもしれない。将来的には世界各国で様々な産業革命が起こるだろう。それは各国の距離が縮まり、より素早くコンタクトを取ることができ、より速く事業提携が行えるようになり、今まで以上に様々なデータを収集することができるようになることでより高精度な統計学的予測や人工知能の正確性が増すからである。これにより我々は今まででは想像できないような技術や製品に将来出会うことは明白であろう。

もちろんこのような技術を享受することで私たちの生活はより快適になり、趣味に時間をこれまでよりも多くつぎ込めるようになる。これはとても良いことである。将来日本の平均寿命が100歳になろうとも200歳になろうとも、不死で無い限りは時間は制限である。だから自由に使える時間が多くなることは大変重要である。しかしそのような時代だからこそ、私が不安に思うことがある。それは貧困問題だ。

ユヴァル・ノア・ハラリが執筆した『ホモ・デウス』によりと、これからの時代において重要なことは「データを扱うことができる能力」だそうだ。これについては大体の人の同意を得ることができるだろう。しかし彼はもう1つ言及している。それは今後の世界で一部の人(つまりデータを扱える人)はより多くの富を得ることになり、それ以外の大半は彼らの落としたお金で生活するようになるということだ(=useless people)。現在でも所得をはじめとする格差は問題になっているが数十年後には今以上の格差が生じるのは明白である。

そのような時代で果たしてuseless peopleは人間としての尊厳はあるのだろうか?そのような人々に生存する意味を見出すことができるのだろうか?過去の歴史を振り返るとフランス市民が市民権を得たのはフランス革命を成功させるためであり、アメリカの女性が参政権を得ることができたのは第一次大戦に勝つためである。つまり生産性が見込めれたからこそ、トップ層は市民に権利を与えたのである。となるとこの逆も考えられるだろう。もし生産性が見込めない市民がいたらどうするだろうか?当面は生活を助けるように国は指揮をとるだろう。しかしそれが長引くと国は自然と自問自答をするだろう・・果たして彼らの生活を助ける必要があるのだろうか・・と。そして話し合いの結果、自国の経済的負担にしかならないならば支援しない方向に切り替えることになるだろうことは想像できると思う。

だから私は願います。全ての人間が人間らしく生活できる将来を。たとえ時が流れても全ての人の尊厳が失われないことを。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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