「〇〇力」は本当に君たちのほしいチカラなのか。
本日Twitterで、このような発言をした。
「営業力が欲しいです!」
「企画力を身に付けたいです!」
採用人事の皆様ならおそらく一度どころじゃなく聞いたことがあるだろう、「〇〇力」。
まあ採用することだけを考えるなら、何の違和感も感じない。
志のある学生さんを採用するためならそのまま「〇〇力つけるならウチだよ。」と話すだろう。
僕は、採用担当だ。
仕事を遂行するなら、こういう人たちに自社でできるメリットを提示し、魅力に感じてもらわねばならない。
しかしそんな”義務感”の中、強烈な睡魔に襲われてしまった経験がある。
どころじゃない。毎度かもしれない。笑
人として、職業人として最悪だが、僕も「聞かないと」と思い頑張っている。頑張っているのだ。
そんな感情と意識と裏腹に、僕のまぶたは下に下に降りていく。
「なんで、僕のまぶたは意識とは全く逆の行動をするんだろう。」
自分の脳内にこだまする声に応えるように、また筆をとることにしたのだ
君たちは進んでいるのか、止まっているのか
未来の話をしようじゃないか。
という主題の時、人はどのような意識で会話をするのだろうか。
「俺多分結婚してるんだろうなあ。」
「日本ももうすぐ終わりなんじゃない?」
「部長が退職しているかもだしポスト空くかもな。昇進したいな。」
「多分」「〇〇じゃない?」「かもしれない。」「〇〇したい。」
憶測と仮説で話は進み、断定した表現なんぞはしない。
先に何が起きているのか。
自分はその時どうなっているのか。
そんなこと、いかに議論したところでわからないからそれも仕方ないし、
そうなるのが必然である。
未来に確信などないのだから、今ある概念が未来にもあるなんていう確信すらないのだ。
すなわち、
既存の概念の中から導き出した言葉や概念を使って、未来の話をすること自体がそもそも論おかしいのであるという理論が完成する。
就職活動の話で行くと、
「就職した後の自分像」の話の渦中で、
「今既存ある概念軸でしか考えていない言語や概念そのもの」が登場すること自体
上記理論からすると論理破綻しているのだ。
君たちは先に進みたいのか?それとも現状のまま止まっているのか?
「先に進みます!」と言いながら、
「今の概念軸」でしか話をしない人たちを、
僕は本当に前に進む気があるのか、ないのか
みたいな見解で見ることしかできず。
そうした結果脳内で「どっちなの?」論争だけが勃発。
結論は僕には出せない(自分のことじゃないから)ので、この論争は休戦協定を結び、思考停止になる。
そうした結果、、、
眠気が襲ってくるのだ。
申し訳ないとは思っている。
本当に人としてどうかと思う。
頑張ってはいる。
頑張ってはいるのだ。
しかしながら、「君たちが進んでいるのか、そもそも止まっているのか」という論の答えがわからなくなってしまう今、
この睡魔はどうしようもない。
抑えることが自力では不可能だ。
自力ではどうしようもないからこそ、
人に力を借りたい。
みんなの意見を正確な言葉(自分たちで消化している言葉)で伝えてほしい。
もし、わからないのであれば
「わからない」でも構わない。
7割くらい腑に落ちた「それっぽい言葉」で、
僕の睡魔を刺激することだけは大いにやめてほしい。
一緒に考えるから。
どれだけの時間でも付き合うから。
僕でできる支援ならなんでもするから、
ひとまず現状を正確に伝えてほしい。
そうすれば、見えてくるはずなのだ。
他の誰でもない、自分だけの「明日」が。
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