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デリケートな胃と絶好調な腸

胃は弱いが、腸は強い。

胃腸という言葉があるのに
私の胃と腸は分離している。 

人一倍胃が弱いくせに
人一倍腸は強い気がする。

一長一短。
一勝一敗。

そんな言葉が私の脳裏をかすめる。
どうせなら胃腸が強くなりたかったが
まぁ腸が強いだけでも大変ありがたい。

 
 
 
私の胃が弱いのは母親似らしい。

嫁ぐ時に胃薬を巨大な容器に入れて持ってきたという話だ。
嫁入り道具は胃薬なんて
母親以外からそんなエピソードは誰からも聞いたことがない。

 
 
私は姉に比べて少食で偏食家だ。
環境変化や乗り物に弱い。

私が小学生の頃
親戚みんなで某ホテルに毎年泊まっていた。
恒例行事だった。
旅行の際、普通ならば喜ばしいはずのバイキングが私は苦手で
小学三年生の頃、朝食後に私は気持ち悪くなった。
家族や親戚がみんなで観光している間に
私は一人車に残り、横たわり
袋の中に嘔吐した。

その年はせっかくのお泊まりも観光も記憶はろくになく
嘔吐の思い出だけが私に残った。
どうやらオレンジジュースが合わなかったらしく
それから数年間
私はオレンジジュースを避けるようになった。

 
 
小学校四年生の頃、家族で横浜中華街に行った。
初めての横浜中華街だった。
お泊まりだった。
人生で初めて、姉妹と両親で部屋を分けた。

姉は夕飯後から「ちょっと気持ち悪い。」と言っていたが
家族みんなは中華を食べ過ぎたのだろうと思っていた。
時間が経てば大丈夫だろうと思っていた。

 
私はその日の夜、悪夢を見た。
私は椅子に縛りつけられ、外国人の太ったコック複数人が「食べろ。これ食べろ。」と英語でまくし立てながら
私の口元に料理を押しつけてくる。
空中には檻に入ったご馳走がプカプカ浮かんでいる。

 
暑い。気持ち悪い。嫌!

 
 
私は真夜中に汗だらけでガバッと起きてそのまま枕に嘔吐した。
そんなことは初めてだった。

どうしよう……

と、呆然としていると、隣のベッドから

 
「お前もか…。」

 
と姉が呟いた。
姉も同様の状態だった。

 
 
姉の話によると、ベッドで嘔吐した後にしばらく横になって休んでいると
うなされた私がガバッと起き、同じように嘔吐したという。

私と姉はしばらく横になって休んだ後
両親の部屋を尋ねた。
まだ携帯電話がない時代だ。

 
 
私はこれを機に、本格的中華や横浜中華街が苦手になった。
人生でその後も何度か誰かしらに誘われて横浜中華街に行ったが
そこではどうにも心臓がドキドキしてしまう。
いまだに一食はまともに食べられない。

姉はそうでもないようだが
私は横浜中華街で警戒心が強くなった。

 
 
高校時代は祖母がピザをとってくれたが
ある日私は派手に嘔吐し
それからしばらくピザも恐怖になった。

 

社会人の頃、台湾料理を食べたら真夜中に気持ち悪くなってトイレから動けなくなり
私は次の日の仕事を休んだ。
それからしばらくは台湾料理も避けるようになった。

 
  
何かしらを食べて吐いたり、気持ち悪くなると
その食べ物を再び食べられるようになるまで
私は数年時間がかかる。

 

 
小学校四年生の時、給食が急に食べられなくなった。
大学一年生の時、食事が急に食べられなくなった。

 
どちらの時も胃に異常はなく、ストレスから来たらしかった。
回復は数ヶ月~年単位でかかった。

胃が臓器として弱いだけでなく
メンタルストレスも胃に来るのだからどうしようもない。

 
 
私は体調不良の中で何よりも
吐き気と嘔吐を恐れた。
どうしたら、吐き気と嘔吐を避けられるか。
それは私の人生の課題である。

だからだろう…
私は外食はあまり食べられない。
人との食事はあまり食べられない。
食べ慣れないものはあまり食べられない。

 
 
私は無意識にセーブしているのだろう。
気持ち悪くならないように、吐かないように
体が無意識に拒んでいる。

お腹が空いていても
実際には思ったより食べられない。
そんな日はとても多い。

 
初めて会う人との食事会は
楽しみなのに緊張してあまり食べられない。
そんなことも多い。

 
もしも私の胃が強靱ならばと
どれだけ願っただろう。

 

 
 
一方、私の腸は強かった。

女性は便秘症の人が多いらしいが
私は快便そのもので
薬に頼ったことはない。

 
胃の弱さ故にあまり食べない日であっても
私の腸は活発だった。
実にイキイキしていた。
少量でも排泄する生真面目さというか
マメさを兼ね備えていたし
基本的には色や形も至って健康的なバナナ型だった。

 
 
小学生の頃、学校で排便をしたらからかわれるという暗黙の了解ルールがあった。
おそらく全国共通である。

女子はまだ全て和式だからよいが、男子は小便器と和式からトイレがなるので
和式に入ると排便だとすぐにバレるので大変だろう。
からかいの対象となるが
便意は生理現象であり、いちいち待ってくれない。

 
 
だが、私の腸は非常に優秀で
小中学生の頃は一度も学校で便意はなかった。
それどころか
遠足などの野外活動中もなかった。

空気を読む子。

それが私の腸だった。
ある意味メンタルに繋がってもいて
そういった場所では便意は感じなかったのかもしれない。

 
私は基本的には女子特有の「仲良しのみんなで一緒にトイレ」所謂連れションをやらない派だったが
たまたま尿意が被れば一緒にトイレに行くし
成り行きで一緒にトイレに行くこともある。
連れションをやらない派だろうが
もしも便意があれば
いつ誰に排便の事実が知られるか分からない。

 
尿意と異なり
便意は力む必要があり
力み加減や量、処理によっては
排尿より時間がかかる。
更に、臭いも独特だ。
間をあけずに次の人がトイレに入れば
すぐに分かるだろう。

排尿の音を消す音姫を設置するのも大切だが(私の高校は全てのトイレに音姫が設置されていた。さすが私立である)
消臭スプレーも完備されていたら
なお優しいトイレだろう。

 
 
 
そんな私が初めて学校関係で排便デビューをしたのは
高校二年生の帰り道だった。

友達と別れた後に便意を感じた私は
ちょうど近くにたくさんトイレがあるお店があったので
急遽そこに寄り道をして
事なきを得た。

 
学校帰りに排便デビューした。

 
それは私の中で謎の達成感だった。

みんなは知らないだろうが、済ました顔で排便しましたぜ★スッキリしましたよ、皆様!

と内心思った。
思うだけで、もちろん言わない。
言った方も言われた方も困るだけだ。

 
トイレの個数がたくさんある場所のため、私が入った階のトイレは列に並ぶ人は皆無で
臭い問題も無問題だった。
私は何食わぬ顔をしてお店を出た。

 
 
調子に乗った腸は
そのまま後日、高校でも便意を訴えた。
たまたま友達が周りにいない時で
私は便意に促されるまま、ササッと排便をした。

 
学校で排便デビューを果たした瞬間だった。

 
デビューすればなんてことはなかった。
気にしていた私がバカバカしいくらいなんてことはなかった。

 
 
 
高校時代に学校排便デビューを果たした私は
それ以降は場所お構いなしだった。
便意は色々な時に感じた。
出る物拒まず。
体に毒素はためない方がよい。

 
そんな時に、友達から自身がIBSだと打ち明けられた。
私は友達の話でIBSという存在を初めて知った。


IBS…過敏性腸症候群は、私が知らなかっただけで発症者は多く
特に女性に多いらしかった。
腹痛やお腹の張り、下痢や便秘やガスに悩まされるという内容で
どうやらメンタルからくるものらしい。

 
確かに学校嫌いな子が朝になると腹痛…
とかあるしな。

 
なるほど、私は胃にすぐに来るが
腸に来る人もいるのだと
しみじみ感じた。

 

 
友達は強靱な腸を持つ私を羨ましがったし
私は私で普通の胃袋を持つ友達が羨ましかったし
お互いに、二人で一つだった。
胃と腸と部位は異なるが 
お互いに日常的に苦労していた。

 
私は食事中、人知れず気持ち悪くなって内心呻くことも多々あったし
友達は友達で人知れずお腹が大変だったことは多々あった。
お互いに爆弾を抱えながら
バレないように迷惑をかけないように
普通に見られるようにヒッソリしていた。

 
そしてお互いに、メンタルが不調の主な理由である。
私達が分かち合え、戦友になった瞬間だった。
私は友達の存在が心強かったし
友達も私の存在が心強かったようだ。

 
みんな、それぞれに悩みや弱みがあるんだなと
お互いに打ち明けることで
こうして自分を受け入れられていく。

 
  

 
さて、私の強靱な腸だが、人生でたった一度だけ負けたことがある。 

 
貧血の薬である。

 
貧血の薬は副作用で便秘になる。

 
医者にも薬剤師にも言われていた。
だが、私は腸を過信していた。
そんじょそこらの腸と一緒にしてもらっちゃ困る。
私の腸は強靱なのだ。

 
私は特に気にせずに、服薬前と後で同じ生活を続けた。

服薬一日目。排便あり。
服薬二日目。排便あり。
服薬三日目。排便あり。


・  

 
ほうら見ろ。全然余裕。
私の腸様を舐めちゃいけない。

そうタカをくくっていた私は
服薬から半年目、酷い目に遭うことになる。

 
便意はあるが
すんなり排便できない。
便が非常に、固い。

 
力んでも、うんともすんともしない。
んなばかな。
かといって、引っ込みもしないし、ほおっておくこともできない。 
存在感は確かにあるのだ。
なんとしても出さなきゃいけない。
なんとしてもだ。

 
それから私の戦いは始まった。
まだ自宅だからよかった。
私の戦いは約30分に及び
快便女王の初の屈辱であった。

 
 
…………負けました。

 
 
私は素直に負けを認めた。
薬の強さを侮っちゃいけない。
その日から、必ず毎日ヨーグルトを摂取した。
ヨーグルトの効果は絶大だ。

私は再び快便女王に返り咲いた。
腸!超!絶好調というやつだ。 

 
 
  
 
やがて、大人になって福祉施設で働くようになり
私は薬や病気、メンタルから
胃が弱い利用者と接したし
腸が弱い利用者とも接した。

 
全てを分かち合うことはできないが
多少は辛さが分かれたのだと思う。
力になれたのだとも思う。

 
 
 
 
 
私の胃は相変わらずデリケートで
緊張や不安や睡眠不足からすぐに調子を崩すし
食べ慣れないものはすぐに反応する。

 
 
だが、腸は年々強くなるばかりで
いつしか一日一回以上排便があるようになった。
場所お構いなしだ。
自宅だろうが職場だろうが外出先だろうが
便意を感じたらササッと排出物を出した。
快適そのものだ。

 
10年ほど毎日ヨーグルトを食べていたが
去年、試しに止めてみたら支障はまるでなかった。
ヨーグルトは今でも好きで食べるが
毎日食べる必要はなくなった。
 
 
仕事を辞めてから食欲は減り
ろくに食べていないし
栄養バランスも、給食を食べていた頃より悪いと思う。
だが、相変わらず腸は強いままだ。
快便快適である。

 
願わくば
もう少し心が強くなりたい。
そして、胃が強くなりたい。
食事をもっと楽しめたらありがたい。

そして腸はこのまま
絶好調であってほしい。 

 



  

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