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ヘルメットの卒業

私が初めてヘルメットをかぶったのは小学校一年生だ。
黄色のヘルメットで、しっかりと頭に固定できるように顎紐で長さを調整した。

ピカピカの一年生というと、男子は黒いランドセル、女子は赤いランドセルをしょって学校へ行くイメージを抱くだろう。
今でこそカラフルでデザインチックなランドセルで選び放題だが、私の時代は女子は赤いランドセル一択だ。
ランドセルCMやドラマではかわいらしい女の子や男の子が頭には何もかぶらない、かぶっても黄色の通学帽だろう。

 
だが、私の小学校は違う。
通学の際と自転車に乗る際は黄色のヘルメットをかぶらなければいけないルールがあった。

だからランドセルといえばヘルメットだし
自転車といえばヘルメットだった。

何故ヘルメットをかぶるかといえば、私の県の交通事情による。
18歳になったら自動車免許とるのは当たり前、就職条件は自動車免許必須、大人一人1台車所有が当たり前の我が県は

交通マナーの悪さや交通事故死亡率の高さで有名だった。

ヘルメットは小さな、唯一無二のみんなの命や頭を守る大切なものなのだ。

 
 
しかし黄色のヘルメットは子どもの間で評判が悪かった。

「ダサい。」
「道路工事のおじさんみたいでかっこ悪い。」

今ならばヘルメットを作った人や道路工事の方に失礼極まりない発言だと思うが、そんなことは小学生には関係ない。
そのダサさをどうにかするため、ステッカーやシールを貼っている人がいた。今風に言うならデコヘルメットとなるだろうか。

また、カッチリと顎紐を縛るのも「ダサい」要因とし、紐をぶらぶらさせる男子も何人かいた。
上履きのかかとを踏むような行為だ。
かぶるからには顎紐をしばらないとほとんど意味はないと思うが、小学生にはそんなこと関係ない。
鼻マスクのような感覚で、とりあえず形だけとりつくろったのだろう。

 
学校から離れるとヘルメットを脱ぐ人もいた。
「ノーヘル」である。
校門を出ればこっちのものだと、通学路でノーヘルになる人
学校外ならいいじゃないと、自転車に乗る時はノーヘルの人
各個人でマイルールを作っていた。

男子は通学路でも自転車に乗る時でもかぶらない人は一定数いたし
女子は自転車に乗る時はかぶらない人が一定数いた。

 
私はというと、6年間ルールに従った。一度も破ったことはない。
ヘルメット皆勤賞と言ってもいい。シール等も貼らなかった。私のヘルメットはキレイだった。
人生で一番ド真面目だった時期が幼稚園~小学校時代だ。学級委員もやったし、児童会(生徒会役員みたいなもの)もこなしていた。
そんな真面目 of 真面目だった私はルールは従うものと思っていた。破るつもりはない。

クラスメートが車と接触事故を起こして命が助かったのがヘルメットのお陰だったということもあるが(しかもたまたま第一目撃者はうちの母親だったという逸話もあるが)
例えそんなことがなくてもヘルメットはかぶり続けていただろう。

小学5年生の時に通学路で接触事故があり、横転したバイクが私の足下で止まったこともあった。
ヘルメットで頭だけ守っていても危ない時は危ないと身をもって知ったが
やはりそれもきっかけにはならない。

ルールだから守る。

私の頭の中はそれだけだ。

 
ノーヘル派の人間は言う。
「ヘルメットかぶってお前らダサい。」「ともかちゃんもヘルメット脱げば?バレないよ。」

ヘルメット派の人間は思う。
「ルールを破るお前らがダサいわ。バレるバレないの問題じゃないわ。」
そして言う。
「私はかぶるよ。」

 
ノーヘル派とヘルメット派の静かなるダサい合戦である。
私含めヘルメット派は内弁慶や真面目派が多かったので、言い返したりはせず、グッと堪えた。ただ、思うだけにしていた。
バカにされようがルールは守った。
そしてヘルメット派の友人との仲は深まったのである。

 
ちなみに夏のみ、登校時は自由な帽子をかぶって登校がルールだった(自転車の時はかぶる)。
ヘルメットは蒸れる。暑い。女子がヘルメットを嫌った理由にはダサさよりも蒸れの問題がある。
ヘルメット派の人間だって好き好んで蒸れていたわけではない。
実際、夏にかわいらしい自分好みの帽子をかぶって登校した時はテンションが上がった。
私だって女子だ。かぶるならヘルメットより、そりゃ帽子がいい。

しかし子ども心に、「夏に事故があった場合どうするんだろう?」とは思ったが、先生には言えなかった。

 
 
さて、小学校を卒業したら中学生である。
小学校の時にはなかった制服に身をつつみ、気持ち新たに頭にかぶるのは

ヘルメットである。

白い光沢のあるヘルメットで、小学校よりはまだお洒落だった。

 
黄色のヘルメットは小学校で卒業となり、ヤンチャな男子はヘルメットをサッカーボールがわりに蹴って遊んでいたりしていた。

さらば、イエローヘルメット。ハロー、ホワイトヘルメット。

 
中学校のルールは自転車に乗る時のみかぶるというものだった。
私は自転車通学だった。
校内で1名徒歩通学者がいるだけだった校内事情からすると
登校時、そしてプライベートで自転車に乗る時はヘルメット着用というルールは

小学生の時と何も変わらなかった。

 
ただ、違いはあった。
中学校に入ってからはヘルメットにシールを貼る人は誰もいなかった。デコヘルメットは小学校までらしい。

 
中学校でも私はド真面目だった。
ウンババなんてあだ名で呼ばれていても真面目さを買われて、学級委員、部長、委員長と次々に推薦されるままにこなしていた。
合格率70~80%の高校を受験する予定の私にはありがたかった。
内申点は非常に大切だ。
小学生の時より打算的な面が出てきた私は、内申点もあってヘルメットをかぶっていたところもある。

ヘルメットはいざという時に命を左右するだけでなく、進学さえ関わってくる。
無碍にはできない。色々なものを守っているのだ。

 
 
受験が終わり、中学校卒業式を迎えた。
後は次の日に結果発表を待つだけだ。

卒業式後、そのまま小学校にみんなで遊びに行くことになった。
小学校に行くのは小学校卒業以来だった。

「ともかちゃん、ヘルメット脱いじゃえば?もう卒業だよ。」

「…そうだね。もうヘルメットは卒業でいいよね。」

 
私は中学校三年間皆勤賞だったヘルメットをその時初めて外して、小学校へ向かった。
なんだか少し、悪いことをしている気分だったけど
風に髪がたなびくことが気持ちよかった。
なんて解放感だろう。

10人でノーヘルで自転車をこいだ。笑い声が止まらない。青春の1ページだ。
みんな高校はバラバラだけど、新たなステージへ進むことに希望が溢れていた。
今まで9年間一緒だったみんなとは、ここで大きな一区切りとなる。

こうして私のヘルメット9年間の生活は終わりを告げた。

 
 
その後、高校と大学も引き続き自転車通学となった。
9年間ヘルメットをかぶっていたわりに、私はアッサリとノーヘルで自転車に乗る生活に慣れたJKとなる。

命云々が大切とかではなく、本当にただルールに従っていただけだと思った。

私が女子高生になる頃には小さい子向けのお洒落なヘルメットも販売されるようになり、プライベートでお洒落なヘルメットをかぶりながら自転車に乗る子どもが増えた。

今の子はいいなぁ。
なんてお洒落なヘルメットなんだ。

ヘルメットをかぶった子どもと横切りながらそんなことを思う。

 
 
大人になり、福祉施設で交通事故で身体障がい者になる方を支援する仕事に就いた。
今の医療では治らない後遺症を見たり、話を聞いて、私はようやく周りの大人達がどうしてあんなに必死で子ども達にヘルメットをかぶらせたがったのかを痛感する。

毎年のように悲惨な交通事故がある。大きく取り上げられていない接触事故も数多くあるだろう。

失うのは一瞬だ。
自分だけでは防げない大きな喪失もある。

 
 
私の母校の生徒は今もヘルメットをかぶって登校している。

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