E判定からの合格
高校二年生の時に心理学部を受験しようと決めた時
私は関東圏内の大学を調べた。
私の県には心理学コースの大学はあっても、学科や学部に「心理学」が入っているところはない。
父親は一人暮らし反対派だった。
せめて寮生活にしてほしいと希望があり
私はとりあえず、自宅から通える範囲の大学で、かつ心理学という名称が学部や学科に入っていて、私のレベルに合った大学をいくつかピックアップした。
模試の判定がA~B判定のところに狙いを定め、私は母親と共にオープンキャンパスに行った。
まず、第二希望の大学に行った。
まぁまぁだった。
可もなく、不可もなかった。
次に、第一希望の大学にも行った。
明るい雰囲気で活気があった。
試しに心理学の講義も受けられ、母娘で感動した。
そこは女子大で
高校は共学にこだわっていた私も
まぁ大学はどっちでもいいやと思えた。
共学だからといって特に出会いはなかったし
女子だけでキャッキャするのも楽しそうな気がした。
ネックは、想像以上に我が家から遠かったこと。
順調にいって、片道二時間半だ。
私は思わず、寮の案内を真面目に聞いてしまう。
父親が一人暮らし反対しているのは経済面ではなく
心配からだということは分かっていた。
母親は一人暮らし賛成派だったので
思ったより遠かったことを伝えれば、寮生活なら許可は出るだろう。
女の子同士でキャッキャしながら暮らすのも楽しそうだな。
そう思っていた。
一日に二箇所巡り、さて帰ろうか…というところで
私は母親に
「実は近くにも気になっている大学があってさ。偏差値足りないから無理なんだけどさ。」
と話した。
「近いんだったらついでに行ってみようよ。」
と母が言う。
私「いや、でも、偏差値足りないし、オープンキャンパスやってないよ。」
母「見るだけタダじゃない。雰囲気だけだって分かるわよ。」
私は母に押されて、急遽その大学に行くことになった。
それが、私の運命を変えることになる。
二箇所のオープンキャンパスを巡った後の為、その大学の最寄り駅に着いたのは夕方だった。
昔ながらのお店がたくさんあり、親しみのある雰囲気の駅前だった。
駅から歩くこと5分、そこに大学があった。
並木の先にあるその大学は川沿いにあり、夕日に照らされていた。
駅前はお店や住宅街があるが、大学のそばは並木や川があり、空が広かった。
母は「いい大学ね。」と言った。
……いい、どころではなかった。
直感でここだ、と思った。
建物の中に入っていないのに、駅から大学まで歩いてきて、ただ外観を見ただけだったのに
私は涙がこぼれそうになった。
ここだ。
私が求めていたのはここだ。
一番気になっていたけど、偏差値が足りなくて諦めていたけど
こんなに素敵なんて……。
私はしばらく見とれてしまった。
母は「建物の中に入ってみる?」とも尋ねたが、オープンキャンパスをしているわけではないし、夕方だったし、私は首を振った。
中に入るまでもなかった。
私の直感が、ここだ、と叫んでいた。
そんな時、大学から一人の女子生徒が歩いてきた。
「○○県の方ですか?」
その人はにこやかに、私達に話しかけてきた。
私達は今日他大学のオープンキャンパスに寄った帰りに立ち寄ったことを説明した。
「実は私も、あなたと同じ高校出身なんですよ。それでつい、声かけちゃった。」
そう、私はその日、制服姿だった。
その人は他県の母校の制服姿の私を見て、声をかけてくれたらしい。
その人は大学生活のことを教えてくれた。
いい大学だと太鼓判を押した。
「もしうちの大学に通うことになったらよろしくね。受験、頑張ってください。」
その人は最後までにこやかだった。
帰りの電車の中では、その話で持ちきりだった。
「さっきの人、いい人だったね。」
「駅前も大学も雰囲気がすごく良かった。」
「偏差値で諦めていたけど……やっぱりあそこに行きたいなぁ!行きたい!」
そんなことを繰り返し私は口にしていた。
こうして、私の無謀なチャレンジは始まった。
模試のたびに、その大学を第一志望に書いた。
判定はE
無謀にもほどがある。
第二、第三希望の大学は判定がA~B。
地元福祉大に至ってはA判定どころか、志望者の中で一位の成績。
交通費が安くなる上に、学費完全免除という魅力があった。
せっかく福祉大から心理学の大学に決めたばかりなのに
本命大学が決まったというのに
その結果にトホホ…となる。
三者面談の際、希望大学を伝えたら、担任の先生は
「まぁ挑戦、ですね。」
と苦笑した。
確かにそうとしか言えないと思った。
良くてD判定。
ほとんどがE判定。
かたや、第二~第五希望大学はAかB判定。
記念受験としか思えないほど
無謀な戦いだった。
だけど、私はどうしてもどうしてもあの大学に行きたかったのだ。
諦め切れなかった。
いよいよ、推薦入試の話を二者面談でする日が来た。
先生は第二志望の推薦をススメてきた。
「ここなら指定校推薦も狙えるぞ。」
指定校推薦は、受験したらほぼ落ちない。
代わりに、その大学に絶対に行かなきゃいけない。
私は苦笑した。
中学時代と同じだ。
第一志望の学校は背伸びをしているから、安全パイの学校をススメられる。
そして安全パイの学校なら、推薦で合格は手堅い、と。
私は何も変わらない。
だから、私が出す答えも言葉も変わらない。
「私は第一志望の大学の推薦入試を受けたいんです。」
私は譲らなかった。
E判定だ。
推薦入試に落ちたら、一般入試の合格は厳しいだろう。
私には推薦入試に賭けるしかなかったのだ。
先生「あんまり言いたくないが、ただの挑戦に終わるだけの可能性もある。第二志望大学なら、指定校推薦が狙える。」
私「分かってます………だけど、受けさせてください。」
私は折れなかった。
大丈夫。仮に本命大学に推薦入試で落ちても
第二~第五志望大学のどこかしらは必ず一般入試で受かる。
それならば、夢を諦めたくない。
当たって砕けてみたい。
負けたくない。
今に見てろよ。合格報告してやる。
私が強気だった理由の一つが、私の本命大学が内申書と小論文のみの試験だったこともある。
他大学は面接も加わるが
容姿に優れた人が有利になるし、本質が見えにくい
との理由で
本命大学は面接制度を廃止していた。
面接が苦手であり、容姿に自信がない私としても非常にありがたい。
そして、そういった考えの元、面接で人を判断しないところが更に気に入った。
私はその大学により惹かれたのだ。
小論文なら、なんとかなるかもしれない。
私は作文は得意だったし、賞状を何枚ももらってきた。
だが、去年の本命大学の推薦入試倍率が
7.6倍
となっていて、私は冷や汗をかいた。
7.6倍…………合格者が8人に1人、か。
いくら作文が得意とは言え、楽勝とは全く思えなかった。
推薦入試が決まり、私は家庭教師の先生と小論文対策が始まった。
まずはお手並み拝見、とのことで
先生が某新聞記事を私に差し出し、それについてどう思ったかを、タイマーを使って書いた。
時間制限内に書き終わることができたが
先生からはこのような指摘を受ける。
「小論文はね、倒置法は使わないの。これだと、物語みたいな印象を与えてしまうの。
小論文は、英語和訳をした時の文書をイメージして。
文書の最初か最後に、自分が今から何を伝えたいかをビシッと短文で書く。それからそれの肉付きをしていくのよ。」
私は目から鱗だった。
なまじ、読書が好きで詩が趣味だった私は
詩的な表現や倒置法を好んだ。
作文で賞をとっていたから、小論文も楽勝と自惚れていた。
……とんでもなかった。
私は小論文の基礎がなってない。
私は自分の文書の癖を直すことを意識がけた。
端的に伝えたいことを書く。
最初か最後にテーマ、一番言いたいことを書く。
先生から、新聞の特定の場所は必ず目を通すように言われた。
時事問題は小論文の基本なので、入試までの一ヶ月間はニュースの情報やそれに付随する知識を頭に入れておくように言われた。
また、自分はそれについてどう思うかも書けるようにしておくように言われた。
過去三年分の本命大学の小論文テーマ、他大学の小論文テーマ、新聞切り抜きと
私はタイマーを使用し、作文用紙に書いて書いて書きまくった。
一ヶ月間で書いた小論文は20本。
書いては添削され
添削されたものを吸収し
また新たなテーマで書く。
それの繰り返しだ。
そこに通常授業の予習・復習・宿題に加わり
推薦入試の次の日からは期末テストだった為
期末テストの勉強も加わった。
推薦入試を舐めていた。
小論文を舐めていた。
想像以上にキツかった。
小論文を一ヶ月間書き続けただけあり、私はメキメキと力をつけた。
過去の自分の作文が恥ずかしくなるくらい
私の文章は小論文用に切り替わった。
これなら、いける。
きっと、いける。
推薦入試、やってやる。
私は自信とやる気にみなぎっていた。
推薦入試の日は、父親と朝早く電車に乗った。
万が一、電車が遅れたら命取りになる。
余裕を持って電車に乗り、余裕を持って試験会場に着いた。
父とは大学の入口で別れ、私は校内に入った。
案内に従い、指定された教室に行く。
推薦入試を受ける人はたくさんいた。
それはもうたくさんいた。
何教室かに分かれているので、推薦入試を受けに来た人は何人か分からないし
その内、何人が合格かも分からない。
県内外様々な高校の制服が集まった。
知っている人は誰一人いない。
受験票を机の上に置き、フゥと息を吐いた。
緊張でろくにご飯を食べられない。
落ち着け。落ち着け自分。
お前はできる。小論文20本書いた女だ。
大丈夫。文を書くことなら得意だ。
一番にならなくてもいい。合格できるだけの小論文を書けばいい。
負けるな。
勝ち取れ。
何が、何でも。
時間になり、小論文の問題用紙が配られた。
小論文のテーマは4つからの選択制だった。
え………!?
な、なに、これ。
こんな、バカな……バカな。
最初の二つのテーマは文章問題だった。
文章が難しい上に、それを踏まえた上で指定してきた問いが更に難しい。
何を言っているかが理解できない。
ページをめくった。
三つ目、四つ目のテーマもよく分からない。
どうしよう…どうしたら。
私は焦った。
間違いなく、今まで人生で取りかかった中で、一番書きにくい小論文だった。
こんなこと、今までなかった。
テーマを見たらスラスラと私は書き出せたはずだ。
何を書いたらいいかが頭に浮かぶはずだ。
私は焦った。
焦ったが、こうしている間にも時間は過ぎていく。
もし一つだけテーマを選ぶなら三つ目しかない。
でも…でも…………
ええぃ、ままよ!
まだ書きやすい、と言ったらこれしかないわ。
私が選んだテーマは「あなたの知的好奇心について述べよ」だった。
私が迷ったのは「知的」のところだ。
好奇心だけなら、いくらでも書きようがある。
だが、どこまでの範囲が知的に含まれるか。
私が書こうとしていることが、果たして「知的好奇心」に含まれるか。
それが自信がなかった。
かといって、他のテーマは理解するまでもいかない。
それを論じるレベルにまで到達しない。
私が思う知的好奇心を、書くしかない。
書くしかないのだ。
私の知的好奇心………
心理学、しか思い浮かばなかった。
あざといかな、と思った。
浅はかかな、とも思った。
ありがちだな、とさえ思った。
臨床心理学部を受験する私が
心理学について述べることは色々思うことがあったが
私が時間内に今、論じられるのはこれしかなかった。
時間内ギリギリに、私は小論文を書き終えた。
本当にギリギリだった。
5秒前に私は最後の「。」を書き終わった。
初めてだった。
時間内に作文や論文を書くことは得意だったのに
今日ほど間に合わないんじゃないかと思ったことはない。
人生で初めてだ。
こんなに小論文に焦らされ
こんなにギリギリに書き終わったのは
生まれて初めてだった。
試験が終わった後、私は全身から力が抜けた。
まさに魂を込めた小論文だった。
周りの人が席を立って帰っていく。
周りの人全てが余裕そうに見えた。
こんなに文章で自信がないことは初めてだった。
私の武器だったのに。
文章を書くことは、私の武器だったのに。
終わった……
私は思った。
私はフラフラ歩きながら、父親と合流した。
私「お父さん…ダメだったわ………。」
父「もう何も言わなくていい。…帰ろう。」
親子で口数少なく、電車に乗って家に帰った。
父親は私の顔を見て不合格を覚悟したらしいし
私も多分ダメだと思った。
悲しんでいる暇はない。
週明けは期末テストだ。
そう分かっていても、勉強に手がつかない。
早く気持ちを上げなければ。
気持ちを持ち上げて、センター入試や一般入試に備えなければ。
落ちたものは仕方ない。
ダメ元で試験頑張ろう。
期末テストが終わり、更に数日後
ついに合格発表の日が来た。
発表は平日11:00。
学校で普通に授業がある日だったが
ネットで結果を見ることができた。
私は時間になり、トイレの個室に入った。
回線が混んでいるらしく、携帯電話で結果を見たくても、なかなか繋がらない。
この時間がもどかしい。
きっと落ちてる。でも、結果を見るまでは次に進めない。
何度アクセスしただろう。
回線が繋がり、パッと表示されたのは
合格
だった。
:……嘘だ。
いや、でも、確かに私の受験番号だ。
何度見ても何度見ても
確かに私は合格だった。
私は力が抜けて、そのままトイレに座り込みそうになった。
涙が止まらない。
あの大学に行けるんだ。
本命大学に行けるんだ。
ばんざーーーい!!
私は担任の先生に、どや顔で報告に言った。
それはそれはもう、とても驚いた顔をしていた。
どうだ、見たか!
やればできるんだよ、私は!
とまでは言わなかったが、やはり挑戦してみてよかった。
私の年の倍率は3.4倍だったらしい。
去年より倍率が下がったことが幸いだった。
正式に合格通知が来る日は朝から窓のそばをウロウロして、配達員の方が来た瞬間に、私はポストに駆け寄った。
その合格通知を見た時は、ネットで結果を見た時よりも合格の実感がわき、大事に大事に仏様に備えた。
なお、期末テストでは日本史が赤点で追試となった。
推薦入試で合格した私に怖いものは何もない。
一年生の時に化学で追試を受けていた私は、追試システムがどんなものかを既に知っていた。
期末テストと同じ内容が出される、と。
だからただ、追試テストまでに答えを丸暗記すればいい。
そんなことは容易い。
余談だが、一年生の時の担任が化学担当。
二~三年生の時の担任が日本史担当だった。
私は高校三年間で追試は二回。
化学が一回、日本史が一回。
どちらも、担任の科目で2点足りないという微妙さで、追試を受けたのだ。
まぁ前日に推薦入試だったのだから仕方ない。
暗記科目はどうしたって不利だ。
なんせ私は暗記作業が苦手だ。
さて、E判定にして大学を合格した私がその後どうなったかというと
留年することなく、大学を卒業することができた。
日本は大学に入るまでが大変で
外国は大学を入ってからが大変だと言うが
まさにその通りだったわけである。
大学での一番最初の試験の際、内心ドギマギしていたが
私は単位を一つも落とさなかった。
むしろ、統計学という必修科目で、実に1/3が単位を落とされたが
私は単位を落とさなかった2/3に入って、羨望の眼差しで見られたのだ。
模試でE判定だろうがなんだろうが、こんなものだ。
一般入試組と比べたら学力が劣るというコンプレックスもあったが
大学に入ってみたら何も関係なかった。
大切なのはあくまで、大学に入ってから何を成すか、だ。