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チャイム着席

私「チャイム着席ってあったよねー。」

 
姉「嘘!?ベル席だよー。」

 
私「いやいやいや、チャイム着席だって。チャイム着席係あったやん。」

 
姉「ベル席係だろ?」

 
 
チャイム着席とベル席、どちらの名称だったかを姉と話すが、お互いに譲らない。
多分、姉の学年はベル席で、私の学年はチャイム着席と呼ばれたのだろう。

まぁ名称が異なるだけで、やっていることは同じだから大した問題はない。

 
 
 

 
私が中学生の頃、チャイム着席というものがあった。

学校では授業開始や終了を告げるチャイムが鳴るから、そのチャイムに合わせて座るというものだ。

小学生の時にも確かにそのルールはあったが、大雑把なものだった。
先生が来るまでは休み時間の延長みたいなもので、多少席を行ったり来たりしたし、騒いだり話したりをして、先生の足音が聞こえたら慌てて座る生徒も多少いた。
私もチャイムが鳴ってからも、先生が来る前ならばと席を立ったりしていた。

 
 
だが、中学校は小学校より厳しい。

中学校はチャイムが鳴り終わるまでに、必ず着席しなければいけない。
着席していなかった人は係の生徒が名簿にチェックし、毎週月曜日の学年集会で、各クラスごとに発表しなければいけないからだ。

私の学年は3クラスしかない。
だから一番成績がよいか、まぁまぁか、ドベしか道はない。

 
中学校は担任がいても、各科目事に担当の先生が異なる。
そのルールに則り、各クラスには教科リーダーと呼ばれる係があった。
教科リーダーは全科目ごとに各2~3名で構成され、授業前日に先生の元へ行き、提出物や持ち物、授業の場所を確認する。
そして帰りの会でその内容を発表し、教室の後ろにあるセカンド黒板に、それをチョークで書く。
セカンド黒板には時間割が書かれていた。

 
当日はその授業前の休み時間に職員室に行き、「先生、授業お願いします。」と声をかけにいく動きが加わる。
先生と共に教室に行く場合もあれば、授業に使う道具や資材を運ぶ場合もあれば
声かけだけして、生徒は先に授業場所に移動する場合もある。

私は数学の教科リーダーを親友と行っていたので
しょっちゅう職員室に行った。
数学は一週間の中でも授業数が多い科目だ。

 
 
 
そんなわけで、先生から用事を言い渡された教科リーダーはチャイム着席が場合によっては除外になるが
それ以外の生徒は全員がチャイム着席を義務づけられる。

 
キーンコーンカーン キーンコーンカーンコーン♪

 
チャイムはキンコンカンコンを二回、毎日同じリズムとスピードで繰り返す。
体育の授業の前後は体操着や制服に着替えるからバタバタしたし
理科室等の移動教室は距離の問題でバタバタする。

女子はトイレが混むし
排尿より生理時は時間がかかるし
圧倒的に女子は不利である。

 
だが、チャイム着席でいつもギリギリだったのは男子だった。
時間の使い方や計画性が女子の方が優れていたのだろう。

 
キーンコーンカーンと、一回目のチャイムが鳴る。

 
すでに座っている人達は「早く早く!」「頑張れ!」「まだ間に合うよ!」と応援する。
もはや毎日が運動会だ。

チャイム着席だけでなく、廊下を走ったりするのもペナルティ対象で
チャイム着席係がチェックをしていた。
だから時間がない時に、私達は早歩きで移動した。
きっとうちの中学校は早歩きが得意な学生だらけだった。

 
間に合わなさそうな時は、男子がスライディングをしながら席に移動したり
すごいポージングで椅子を触ったりしていた。
走るのはペナルティだが、スライディングはチェック項目に入っていないし
先生がいないならば、椅子に体のどこかが触れていればOKだ。

 
私達のクラスは生徒達の間でそういうルールにしていた。

 
男子は面白い。
ひょうきんな男子はあの手この手で、いかにチャイム着席のルールを守りつつ椅子に触れるかを競ったし
夢中になって転んだり
チャイムが鳴るたびにみんなで応援したりと
授業の前後は和気藹々としていた。

 
私は二組だったが
二組はとてもいいクラスだった。
先生も天然でひょうきんなおひとよしだったし
クラスメートも呑気で抜けていて、和やかな雰囲気だった。
笑い溢れるいいクラスだった。
ハリー・ポッター風に言うなら、グリフィンドールだ。

 
 
一組はヤンチャな人達が揃っていた。
ギャルや不良見習いのような人が揃っていた。
先生はサバサバしていて、悪く言えば冷たかった。

だから、私は一組とはあまり関わりたくなかった。

 
 
 
三組は優等生が多かった。
真面目な落ち着いた人が揃っていた。
だが、先生を見下し、先生との間に調和がなかった。
一見いい子だが、裏がある人が多い。
それが三組だった。

先生はイケメンだが、合理的であり、生徒の気持ちに寄り添うというよりは、良かれと思ってやったこと…やることなすことが裏目に出て、生徒からひんしゅくを買うタイプだった。

新婚であったし、先生の立場や都合もよく分かるのだが
私達が中学校三年生の時、合唱コンクール当日や前後に新婚旅行で海外に長期間行ったことで
完全にクラスメートは担任を見放した。

 
合唱コンクールの日にちは毎年決まっていたし
先生は何年も勤めていて、それを知っていたからだ。

「私達中学最後の合唱コンクールより、先生は奥さんが大事なんだね。」と陰で言われ放題だった。

奥さんの仕事の都合だったかもしれないし、先生も新婚旅行に行ってもよいとは思うし
おそらく関係性が築けていればまた違かったのだろうが
三組は先生を見る目が冷めていた。

 
 
だから、クラス仲が良く、先生とも仲が良く、アットホームな二組で私はよかったと思ったし
他のクラスメートも同じことを言っていた。
私は中学時代が最高に楽しかったが
もし他クラスにいたらどうだったかは分からない。

それはチャイム着席を見ても、顕著だった。

 
 
一組はズルをしていた。
チャイム着席をしていなくても、先生がいなければチェックをしなかった。
 
 
三組は真面目だった。だが、真面目過ぎた。

一組や二組の態度を逐一チェックし
先生側に密告していた。
自分達が担任に冷淡な態度をとっていることを棚上げして
仲良くワイワイしていた二組に
うるさいだのなんだのいいがかりをつけてきた(休み時間くらい、いいじゃないか…)。

 
 
 
だから、私達二組は、学年集会で大抵、ナンバー2かドベだった。
「二組はしっかりやりなさい。」と言われる始末で
一組からはニヤニヤ笑われ
三組からは見下した目で見られた。

 
「アイツらズルいよ!一組は係が係の役をやっていないし、三組はなんでもチクッて、真面目にチェックしている二組が一番成績悪いじゃん。」

 
私達は一組や三組がいない時に、よくそんな話をみんなでした。
真面目がバカを見る……ではないが
私達は悔しい思いをしていた。

 
「でもさ………一組や三組、羨ましい?」

 
「クラスの雰囲気悪いじゃん。」

 
「チャイム着席の成績が学年で一番悪くても、内申書に響きはしないしさ。」

 
「うちらはこのままで、良くない?二組、最高じゃん。」

 
 
私達はブーブー文句を言いながらも、最終的にはだからこういった結論になった。

一組も三組も恐かった。
敵に回したくなかったし、必要以上に関わりたくなかった。

だから私達は、一組や三組のやり方を、先生に密告したりはしなかった。
それに、学年集会で学年主任には小言を言われたが
担任の先生からそれを咎められたりはしなかった。
先生は、私達生徒の味方だった。

  
「先生は、二組のみんなが大好きだし、誇りに思うわ。」

 
担任の先生は、そういうことを笑顔で言う人だった。

 
 
 
私が中学三年生の秋に担任は結婚したが、新婚旅行には行かなかった。

「今はみんなが受験で忙しい時だし、新婚旅行はいつでも行ける。受験はみんなの人生を決めるし、今年は中学生活最後だし、私はそんな状態で行けないわ。」

 
と言ってくれた。
ウルッとした。

 
 
成績が一番上は三組。
運動が一番上は一組。

合唱コンクールで優勝し、文化祭出し物で評価されたのは、我が二組だった。

 
私達のクラスは運動や成績ではパッとしないけど
団結力や感性の豊かさでは
きっと学年1位だった。

 
 
 
担任の先生は国語の先生だったから、卒業文集は他のクラスの2倍くらいの厚みになった。
力が入りすぎている。
国語や作文好きとしてはその力の入りすぎが
むしろ嫌いではない。
私は燃えた。


先生は私達一人一人にメッセージを送ってくれた。
私は文才を褒められた。

担任である国語の先生に文才を褒められたのは
クラスで私一人だった。

  
それは私の大きな自信に繋がった。

 
 
 

 
チャイム着席は、卒業と同時に終わりを告げた。

規律正しく、それでいてアットホームに過ごしてきた中学校と
都会の私立の高校はまるで雰囲気が違かった。

 
授業前後にチャイムはなるが
誰もチャイム着席しているか否かなんてチェックしない。
周りに聞いても、中学校でチャイム着席をチェックしていたのはうちの中学校くらいだった。 

 
私はどんどん高校生活に染まっていった。
もう男子も、中学生時代みたいなバカ騒ぎはしていなくて
チャイム着席のたびにいちいち盛り上がっていた日々が
どんどん過去へと変わっていった。

 
 
本命の高校に落ちた私は、進学先の私立の高校と雰囲気が合わず
学校のやり方や先生のやり方に拒否反応を示した。

スカートの丈や前髪チェックにうるさい先生が
別の先生と不倫していたり
毎朝生徒の前で、学長の外車を磨く仕事をする高齢者を見たり
学長が挨拶をしなかったり
いちいち何大卒かを自慢する先生を見たりと
高校は合理的で冷たい場所だった。

 
学歴偏重主義のその高校は
成績さえよければ権利が与えられ
有名大を目指すことを強要され
上下関係は分かりやすすぎた。

 
正規の職員と、そうでない職員で部屋や待遇も別れていたし
成績が低いコースの校舎ほど奥地にあり、汚かった。

 
高校に入ると、一組や三組のやり方なんてかわいく思えるほど
色々なものが腐っていた。

 
 
友達はたくさんできたし、いい友達ばかりだった。
街中にあるから寄り道はたくさんできたし
いい先生も何人かはいた。

だから高校生活は楽しかった。

ただ、高校のやり方には最後まで賛同できないまま
私は卒業した。 

 
 
  
大人になってから振り返ってみても、学校生活ならば中学校時代が一番楽しかった。

中学校の雰囲気ややり方やアットホームさが私はとても好きだった。
「本当に二組はいいクラスだったね。担任の先生も優しかったね。」と友達と言い合った。

 
 
仲の良かった友達とは、中学校を卒業してからも
毎年集まって女子会をしていた。

そのうちの一人は学校卒業後に幼稚園の先生になり
中学時代の担任の先生がそこに子どもを預けて再会したそうだ。  

縁はいつもどこかに繋がっている。

 
 
 
真面目な人がバカを見るなんて
ルールを守ればいいわけじゃないなんて
昔から分かっていたことだけど
大人になるほどに
要領の良い人や権力者には決して勝てないと
更に思い知ることが多い。

 
それでも私が私らしく生きられたら
頑張っていたなら
誰かは応援してくれるだろうか。
見ていてくれる人はいるだろうか。

 
 
大人になると、チャイムは鳴らない。

自分で歩いたり、止まったり、座ったり、走ったりしなければいけない。

 
それはチャイム着席があった頃よりも自由で
孤独な戦いだよ。


 

 

 




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